淡路の春

毎年この季節になると暖かいところへ行きたくなって,時間があった年は伊豆へ行ったり高知へ行ったりしたのだけど,今年は遠出は無理そう.それでも寒かったこの冬を越したことを実感しようと,橋を渡って淡路島へ行きました.これを描いている時点ではあちこちからすでに桜の開花宣言が出ていて,大阪でも昨日(20日)に大阪城公園のソメイヨシノが咲いたそうですが,本エントリは10日ほど前のメモです.

前から一度見てみたかった南あわじ市村上家のしだれ梅.一般家屋の庭先の梅があまりに美しく丹精されているので有名になりました.見事ですね.もちろん観光客多数.

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すぐ近くなので,4年ぶりに広田梅林へ.ここはいつものんびりできます.

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帰り道,国営明石海峡公園にも立ち寄ってみましたが,ちょうど河津桜がほぼ満開でした.他に早咲きの桜も.ミモザも大きな木に小さな黄色い花を咲かせていました.

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ゴッホ展 -巡りゆく日本の夢

ゴッホと日本との関わりに焦点をあてた展覧会.京都国立近代美術館.

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ファン・ゴッホがジャポニスムの強烈な洗礼を受け,ある時期まで極端と言えるほどの日本贔屓であったことはよく知られています.この展覧会はその観点からゴッホの絵画を整理しようとしたもので,会場は次の5つのパートに分けられていました.

1 パリ 浮世絵との出逢い
2 アルル 日本の夢
3 深まるジャポニスム
4 自然の中へ 遠ざかる日本の夢
5 日本人のファン・ゴッホ巡礼

ゴッホが浮世絵版画と出会ったのはパリでのことです.それまでかなり暗い色調の絵を描いてきたゴッホが,浮世絵の構図の大胆さや鮮やかな色彩に衝撃を受け,礼賛し,やがてその特質を自分の作品にも取り込もうとしました.パート1では,渓斎 英泉の『花魁』数点と,ゴッホによるその模写,歌川広重の『名所江戸百景』や『五十三次名所図会』など,ゴッホが見たとされる浮世絵が多数.

ゴッホは浮世絵に影が描かれていないのを見て,日本ではあまりに明るく陽光に満ちあふれているために影もできないのだと思ったらしい.そのようなことはそもそも物理法則に反しているのだけれど,どうやら思い込みの激しかったゴッホは日本を極端に理想化し,それに匹敵する陽光を求めてパリから700kmほども南のアルルにやって来ました.

ゴッホが日本に関して誤解を抱いていたことの一つに,日本では芸術家が共同体を構成し,互いに支え合って創作を行っているというものがありました.確かに浮世絵は絵師・彫師・摺師などの分業体制で制作されていましたが,ゴッホの考えていたような互助組織があったわけではありません.ゴッホはそれをアルルで実現しようとして知り合いの画家たちに声をかけたようですが,結局やって来たのはゴーギャン一人.二人の共同生活はすぐに破綻し,精神不安定となったゴッホが耳(たぶ)切り事件を起こして終わります.

2.ではその時代の作品-『アイリスの咲くアルル風景』とか『種まく人』,病院の庭で見た『花咲くアーモンドの木』など-が展示されていました.陽光を求めて来たはずのアルルでゴッホが最初に見たのはめったに降らない雪で,作品『雪景色』にその光景が残されています.そしてそれらの作品への影響が認められる広重や北斎の浮世絵も多数.

3.ではゴッホとゴーギャンの暮らした家の『寝室』が有名ですね.わざと歪ませて描いているのだとばかり思っていたら,本当に窓側にいくにしたがって少しずつ狭くなる形なのだそうです.ゴッホは弟テオに対する手紙の中で,この部屋の壁やドアの色のことをやや紫がかっっていると伝えていますが,今この作品を見る限り青または水色で,おそらくはかなり褪色しているのでしょう.ここでの作品の中では,私は『オリーブ園』が好きかな.

耳切り事件とその後の入退院生活を経て,ゴッホはあまり日本のことを口にしなくなったようです.4.では蝶や花,木々などを描いた作品群を展示.一方で,ゴッホは日本の知識人の多くから尊敬を受け,巡礼のようにゴッホ終焉の地オーヴェールを訪れた日本人画家や歌人が多数いました.5.ではゴッホを看取った医師のガシェ家に残された日本人芳名録などが展示されていました.

クリスチャン・レオッタ シューベルト・プロジェクト -リサイタルⅠ

シューベルトのピアノソナタのうち未完成のものも含めて14曲,および主要ピアノ作品とあわせて計21曲を全7回にわけて演奏する大プロジェクト.京都府立府民ホール“アルティ”.

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3月10日(土)のプロジェクト第1回の曲目は以下.

ピアノ・ソナタ第18番「幻想ソナタ」 D 894

休憩

ピアノ・ソナタ第8番 D 571
「さすらい人幻想曲」 D 760

1曲目,18番のピアノソナタは,私のとても好きな曲です.シューベルトのピアノソナタはどれも好きなので,「中でも特別」というのかもしれません.全体にとても穏やかな雰囲気が支配していて,演奏によってはどこを聴いていいのかわからないような音楽になってしまう傾向があります.ベートーヴェンの書いたような峨々たる音楽建築と比べると,一体どこから来てどこへ連れて行かれるのか不安になるような気さえすることがあります.

しかし,聴けば聴くほどこれこそがシューベルト.特に,平穏だけれど清澄であるような,静かな厳しさを内包した名人の演奏で聴くと,この曲の味わいは格段に増すように思います.レオッタの演奏を評した新聞記事に「しっかりした体幹から送り出される音」というような表現を見ましたが,これはかなりこのピアニストの本質をよく言い表しているように感じました.

非常にゆっくりしたテンポ.でもそのテンポに揺るぎがなく,演奏がとてつもない技量に支えられていることがよくわかります.粒のそろった音列が紡がれ,控えめな旋律が鮮やかに浮き立って聞こえます.ふと能の所作を連想しました.40分を超える演奏時間は私にはあっという間でした.全体にほの暗い世界での魂の彷徨を強く意識させますが,こうしたテーマはまさにシューベルト音楽の核心部です.

20分の休憩をはさんで,後半1曲目.ピアノソナタ第8番は,シューベルトが第1楽章の途中で作曲を断念したため,未完成曲としてほとんど顧みられることのない曲のようです.私もCDは持っていないし,展開部の手前で止まってしまうので,レコード会社としてもピアニストとしても,録音を躊躇するのは当然です.

しかし,この日最大の収穫は,他でもないこの未完の第8番を聴けたことでした.暗く沈んだ嬰ヘ短調.いくら短い断章(演奏時間は7~8分のようでした)だといわれても,とてもこの哀しみや苦悩に最後までつきあっていられないという人がいるかもしれません.しかし,そこにはまぎれもない心の真実があり,苦しいながらの歌もあります.そして終盤には少しずつ明るさも感じられるようになったところで,演奏は唐突に終了します.

最後は「幻想曲ハ長調」.前の2曲とは打って変わって,派手な上にきわめて演奏技巧を要する,ある意味シューベルトらしからぬ曲です.もちろんシューベルトもプロの音楽家として独り立ちする必要があったわけで,一般受けするピアノ曲も書きました.この幻想曲は,シューベルトのピアノ作品として初めて出版された曲なのだそうです.

個人的には前に演奏された2曲を好きになりすぎて,この曲が表面的に聞こえてしまって十分に曲世界に入り込めませんでした.有名曲ですが,たまたまCDを持っておらず,今回初めて聴いて理解不足だったのだろうと思います.ただ,偏見だと言われそうですが,のちにこの曲に「さすらい人幻想曲」という呼称を送って評価したのがフランツ・リストであったことは,私にとって自然に納得できることです.「冬の旅」の彷徨からははるかに遠い気がするのですけどね.

これから予定されている公演すべて聴きたいけれど,何しろ京都なので平日はとうてい無理.残念ですが,休日の公演だけはできるだけ聴きに行きたいプロジェクトです.


映画 『I Called Him MORGAN』

モダンジャズ・ハードバップ期最大のスタープレーヤーの一人といっていいリー・モーガンの絶頂期から死に至る時間を,関係者、特にリーを射殺した本人のインタビューを交えて当時の映像で.十三・第七藝術劇場.

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邦題は「私が殺したリー・モーガン」.いつもながらちょっとひどいですね.「私」-パンフレット写真の右側,ヘレン・モーガン(法的な婚姻関係にはなかったとされる)は,1960年代初頭にドラッグでぼろぼろになったリーを救って再び表舞台に送り出した人物です.そのヘレン自身が1972年,ニューヨークのクラブ『スラッグス』でリーを射殺するという悲劇的な事件を起こします.そのヘレンはインタビューの中で,「リーという名前が好きではなかったのでモーガンと呼んだ」と言っており,原題『I Called Him MORGAN』はこの事実を踏まえていますが,邦題はあまりにもスキャンダルの方に傾いています.映画館の呼び込みのお兄さんは(おそらく意図的ではなかったと思いますが)「私が愛したリー・モーガン」と言っていました.うん,そのほうがはるかにマトモです.

このドキュメンタリーは,ヘレンが刑期を終えて出所し,静かに余生を送ったあと,亡くなる直前自ら申し出て1996年2月のインタビューに応じたことで成立することになりました.死期を悟っていたのでしょう,ヘレンは翌3月に死去.

映画はリーのオリジナル曲『サーチ・フォー・ザ・ニュー・ランド』をバックに始まります.リーがドラッグ禍から復帰した後,それまでのストレート・アヘッドなハードバップが行き詰まる中,それを脱してさらに前進しようと様々な試みをしている時期に作られたきわめてシリアスな音楽です.やはりその死に焦点が当てられたドキュメンタリーなので,リー・モーガンの代表的演奏としては通常あまり挙げられることのないこうした曲が最初から前面に出てきて少々面食らうことになります.

リーが18歳ですでにほぼ完成されたトランペッターとして登場するところから,多くの関係者が登場してインタビューに答えています.中でもつきあいの長かったウェイン・ショーターからは,リー自身の生活ぶりや,親分のアート・ブレイキーが演奏中のリーをプッシュした言葉など,印象的な話が多く聞けます.

一方で当時の映像はそれほど豊富ではなく,リー自身の生前のインタビューも短時間です.しかし演奏シーンはさすがに濃厚で,特にジャズメッセンジャーズ時代の『ダット・デア』や『モーニン』では,映画館の大音量も手伝って,確信に満ちたリーのラッパに痺れまくります.話はやや逸れますが,これらの映像は1961年のメッセンジャーズ日本公演の時のもので,日本人がこの時代の黒人ジャズを熱狂的に支持したからこそ,こうしたトリハダ級の映像資産が今に残されているわけです.この来日公演を終えて帰途につく際,ブレイキーは「アフリカを別にすると,世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれた」と言っています.彼らが本国で受けていた扱いを思わせる言葉です.

そのブレイキー自身がリーにヘロインを教えてしまうのが何とも闇ですが,年若く制御の効かなかったリーは抜け出すことができず,やがてすべてを失ってジャズ界から半引退状態になります.そこへ手をさしのべたのが年長のヘレンで,妻であると同時に母親兼マネージャーの役割をこなしていたようです.

やがて息苦しくなったリーは他の女と過ごすことが多くなり・・・というパターン.それにしても何故射殺までしなければならなかったのか.この時代のジャズのファンなら皆知りたいところですが,ヘレン自身もインタビューの中でそれを完全に説明できたとは言えなかったと思います.おそらくは衝動性の高い事件で,銃を撃った本人にも理由はよくわからないのでしょう.

事件当日のニューヨークは大雪で,スラッグスに向かうリーと直前まで一緒にいたジュディス・ジョンソンの話は,今聞いてもとても緊迫感があります.積雪量が刻々と増えていって二人の乗ったクルマが進むのに難渋する様子が,何かリーの運命を象徴するように感じられて胸が痛みました.

私はこうした事件にそれほど関心を持っていたわけではなく,少ないけれども貴重な演奏シーンと様々な証言によって,一人の天才的なトランペッターが生きた時代の息吹を感じられることがこのドキュメンタリーの価値だと思っています.

前田裕佳 ピアノリサイタル -近現代フランスのエスキス,エスパス,エスプリ

これもひと月が経ってしまいました.エスキス(素描),エスパス(空間),エスプリ(精神)をキーワードとしつつ,近現代のフランス・ピアノ音楽をほぼ時系列的に遡る企画.ザ・フェニックスホール

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ピアニストは前田裕佳.神戸大学院修了後,エコールノルマルでディプロマ授与.俊英です.演奏曲は以下.

G. ペソン 《No-Ja-Li》 2011
P. ルルー 《AMA 1》
B. マントヴァーニ 《明暗のための練習曲》 2003
T. ミュライユ 《ラ・マンドラゴール》 1993
P. ブーレーズ 《12のノタシオン》 1945, 《天体歴の1ページ》 2005

休憩

H. デュティユ 《レゾナンス》 1964, 《プレリュード》 1973,1977,1988
O. メシアン 《4つのリズムのエチュード》より 「火の島 1」 1950
F. プーランク 《3つの小品》 1929 より 「パストラル」,「トッカータ」 
M. ラヴェル 《亡き王女のためのパヴァーヌ》 1899, 《鏡》より「悲しい鳥たち」 1904-1905
C. ドビュッシー 《ベルガマスク組曲》 1890 より
     「月の光」, 《前奏曲集第2巻》 1911-1913 より 「霧」, 「月の光が降り注ぐテラス」

後半に演奏された曲は知っているものも多かったのですが,前半はまったく未知の世界で,かろうじてブーレーズの名前がわかるくらい.それも,指揮者としての演奏は知っていても,現代音楽作曲家としては初めてです.

前田自身が書いたかなり詳細なプログラムノートが配付されますが,特に前半に演奏される曲の多くはそれを読んだくらいで鑑賞の助けになったと思えるような音楽ではありません.しかし,美しく静かな音の断片がホールを漂い,また激しく強い不協和音が鳴り響く時にも,それに身をまかせているだけで結構心地よいものがあります.音楽について体系的な素養を持たない者がこの手の音楽を聴くときには,とりあえずわかろうとする試みを保留し,ただただ鳴っている音に耳を明け渡すことから始める方がよいように思います.

後半ではプーランクの曲に注目していました.この日演奏される曲の中では普段CDを取り出すことが一番多いからです.そして 「パストラル」や「トッカータ」を聴いて初めて,ピアニストとしての前田が,相当個性的というか,独特の観点で解釈を行っているのではないかと思い至りました.午前中の光の中でしか作曲をしなかったと言われるプーランクの曲が,(私の耳には)かなり異形の変化を遂げていました.もちろん1回聴いたくらいで好き嫌いは言えません.ただ,「異形」という言葉を使うのはやはり予期していたものとはだいぶ違った印象を受けたからなのでしょう.

アンコールで出てきた前田は,とてもフランクに語り,「関西のねえちゃん」丸出しで自由闊達な人柄が伝わりました.フランス現代音楽に行き着いたのは必然のように感じました.こうした音楽を聴ける機会は実際あまりなく,また集客も見込めないので,前田本人にも,フェニックスホールにも頑張っていただきたいと願います.また公演があれば必ず聴きにいくと思います.

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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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