クラーナハ展―500年後の誘惑

国立国際美術館.見にいってからひと月近くが経ってしまいました.

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ルカス・クラーナハ(1472-1553)はドイツ・ルネサンス期の画家であり,大絵画工房の経営者にしてヴィッテンベルクの市長でもあったという人物です.イタリアで言えばミケランジェロ(1475-1564年)とほぼ同期.レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)やラファエロ(1483-1520)とも同時代人と言っていいと思いますが,私はこれまでまったく名前を聞いたことのなかった画家でした.

同名の息子がいて,やはり画家として工房の運営を引き継いだので,区別するときはルカス・クラーナハ(子)と表記されます.注目されるのは(父)の方.展示は様々な側面から以下のように分割されていました.

1.蛇の紋章とともに -宮廷画家としてのクラーナハ
2.時代の相貌 -肖像画家としてのクラーナハ
3.グラフィズムの実験 -版画家としてのクラーナハ
4.時を超えるアンビヴァレンス -裸体表現の諸相
5.誘惑する絵 -「女のちから」というテーマ系
6.宗教改革の「顔」たち -ルターを超えて

1.の「蛇の紋章」というのは,ザクセン選帝侯に見出されて宮廷画家となってから授かったもので,多くの作品にサインとして残されました.翼のある蛇が指輪をくわえています.2.では宮廷画家としての比較的スタンダードな作品を見ることができますが,大画面の肖像画作品一面に極細密な描写が施されているのに驚かされます.

3.の版画のテーマは聖書に基づくものが多かったようですが,どこか判じ絵のようなところがあって肉筆画の重厚とはかなり作風が異なります.そして,われわれ現代人がクラーナハ作品について抱く関心の中核は4.と5.の女性の裸体と彼女らのしたたかな振る舞いの表現にあります.

まず,有名な『ヴィーナス』.それほど大きな作品ではありません.そして,ヴィーナスというにはあまりに蠱惑的で,透明なヴェールをまとっていることもあって,ほとんど淫靡と言ってしまいたいような雰囲気が漂っています.このヴィーナスのプロポーションが現実の人体とはかけ離れていることがその一因でもあります.さらにこの作品のヴィーナスのポーズを実際にモデルを使って再現する試みをTV番組で見ましたが,プロのモデルでも数分は保たないほど不自然だとのこと.

こうした作品の多くは,クラーナハが仕えていたザクセン選帝侯が,男性貴族にプレゼントするために描かせたとも言われていて,そうだとすれば,作品のサイズの小ささも納得できる気がします.大きな部屋の壁に架けて堂々と鑑賞するといったものでは,少なくとも当時はなかったのではないか.

上のパンフレットに使われている作品『正義の寓意』は,剣と天秤を手にした女神という古典的テーマであるにもかかわらず,裸体の女神はやはり透明なヴェールを身に着けていて,かつ鑑賞者の視線が必ず彼女の局所に導かれるような仕掛けが施してあります.その部分は上のパンフレットではトリミングして使用されていますが.

切り取った敵将の首を平然と保つユディトや,自分に夢中な金満老人を受け入れつつ見下す若い女など,女性のしたたかな強さに注がれるクラーナハの視線は鮮烈です.それと同時に,当時勃興しつつあった宗教革命の潮流の中で,その中心にいたマルティン・ルターと親交を持ち,生き生きとした肖像画を残しています.一つのモノサシで計ることのできない巨大人格であったことが窺えます.

エルガーの交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲を聴く

演奏機会の少ないエルガーのヴァイオリン協奏曲が聴けました.兵庫県立芸術文化センター.

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以前,このヴァイオリン協奏曲をヒラリー・ハーンが弾いたアルバムのことに触れたことがあります.そこでも書いたように,とにかくこの曲は演奏時間が長い.特に第3楽章が長い.第1,第2楽章の美点は理解しつつも,第3楽章のいつ終わるともつかない独白には辟易させられる・・・ 演奏機会が少ないのは,そんなところに理由があるのかもしれません.

もちろん,私自身はこの曲が大好きです.最終章は何が言いたいのかよくはわからないけれど,この切実さには耳を傾けざるをえないというようなところがあります.それにしてもイギリス人というのはこういう人たちなのかな.

ヴァイオリンは,この曲の演奏をライフワークとしているという漆原朝子.指揮はイギリスのジョセフ・ウォルフ.古典的な協奏曲は室内楽的な小規模編成で演奏されるのが常ですが,この曲でのPACオケは交響曲に匹敵する編成でした.

比較的長い導入部を経て入ってきた漆原のヴァイオリンは,美音というよりは陰影の強さを感じる暗めの音色ですが,この曲にはよくマッチしているように思いました.翳りのある曲調で叙情的ではありますが,一方できりりと背筋が伸びるようなところがあって,情緒に流れるような場面は一切ありません.第3楽章をライブで聴けたのは本当によかった.独白の過程にある種の逡巡は感じるものの,真実味にあふれた音楽で感動的でした.エルガーの協奏曲は,有名ヴァイオリニストなら誰でも録音しているというものではないので,漆原の録音が待たれます.

休憩をはさんで交響曲第1番です.こちらは比較的演奏されているようですが,私は初めてライブで聴きます.20世紀の音楽としては古風な感じがしますが,19世紀のブラームスとは違うし,もちろんブルックナーとも違う.チャイコフスキーとはもっと違うし,シベリウスほどのローカル性は感じない.しかし“英国的威厳”みたいなものがあるとしたら,まさにこうしたものだろうと思われる気風に満ちています.

そういう意味でのローカル性は確かにあって,この曲が英米で特に人気が高いと言われるのも頷けます.変イ長調という,弦楽には適さないとされて交響曲にはあまり使用されない調で書かれているせいか,第1楽章の行進曲風の場面でもどこか足取りが重めです.こういうところがアングロ・サクソン的自律の表明なのかもしれません.

前半も後半もすばらしい演奏で,観客からはアンコールを求める拍手が止みませんでしたが,結局指揮者とヴァイオリニストがそれに応えることはありませんでした.私はこの日のプログラムであれば,アンコールはなくてよかったと思います.


京都・常照皇寺から美山へ

常照皇寺にある御車返しの桜はいつも遅いので,今年もまだ大丈夫と思って行ってみました.ただしこれは4月22日の話. 最近はメモ程度のものでさえなかなかまとめられません.

参道の石段手前のしだれ桜は今年も見事に咲いていました.

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 御車返しの桜も満開でした.昨年はグレーに見えた花でしたが,今年はピンクがかっています.光のせいでそう見えるのか,天候によってほんの少しずつ発色が変わるのか.

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九重のしだれ桜はもう花を散らしていましたが,奥の古木はかわらず堂々たる風格で迎えてくれました.

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常照皇寺から美山へまわってみました.こちらではレンゲの花が咲いていました.若葉が鮮やかでした.

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2017年 丹波の桜とカタクリ

もう桜の季節もとうに終わってしまいましたが,今月中旬に見たものを今頃になってやっとメモを残すことになります.今年は昨年ほど桜を見ることができなかったので.4月16日の日曜,丹波の山間部に行けばまだ残っているかもと思って出かけてみましたが,加古川堤の桜並木はやはりもう散っていました.

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青垣のヤマザクラに望みを託して3年ぶりに行ってみると,こちらはこの時が盛りでした.渋くていい桜です.

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近くにカタクリの群生地があるので,初めて行ってました.時期的にはこちらも少し遅いようでしたが,前夜の雨に濡れた花が斜面一面に咲いていました.一輪一輪は楚々としているけれど,たくさん集まっていると賑やかです.


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BMW E89 Z4 バッテリー交換 -登録編

Z4のバッテリーを交換した後,ISTA-Dを用いた車載コンピュータへの登録作業についてメモを書き,一度は公開しました.しかし,結局のところ所期の結果が得られておらず中途半端な状態でしたので,公開を取り下げることにしました.もう少し調べたり自分なりの努力をしてみて,進展があればまたここにまとめようと思います.

ということで,バッテリー交換についてはひとまずこれで終了とします.


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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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