海北友松展

これももう一月以上前に見に行ったのですが,メモを書きかけのまま放置していました.桃山期,武家出身の絵師として権力者たちからも重用された海北友松の作品展.京都国立博物館.

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同時代の絵師にはライバルとも言える長谷川等伯がいます.2010年春にここで等伯の『松林図屏風』を見ました.今回の友松展は,あの時見た国宝『松林図屏風』の価値に匹敵するとさえ言われる,友松最晩年の最高傑作『月下渓流図屏風』がアメリカから60年ぶりに里帰りして展示されているのが話題になっています.

展示の構成はかなり細かく分割されていました.

1.絵師・友松のはじまり -狩野派に学ぶ-
2.交流の軌跡 -前半生の謎に迫る-
3.飛躍の第一歩 -建仁寺の塔頭(たっちゅう)に描く-
4.友松の晴れ舞台 -建仁寺大方丈障壁画-
5.友松人気の高まり -変わりゆく画風-
6.八条宮智仁親王との出会い -大和絵金碧屏風-
7.横溢する個性 -妙心寺の金碧屏風-
8.画龍の名手・友松 -海を渡った名声-
9.墨技を愉しむ -最晩年期の押絵制作-
10.豊かな詩情 -友松画の到達点-


友松は近江の大名・浅井家の家臣であった海北綱親の五男でしたが,その父の戦死を契機に出家することになります.しかし,兄たちも次々に信長との戦で亡くなるに及び,家名再興を夢見て還俗しました.しかしその夢はかなわず,絵師としての道を歩むことになります.武門の生まれであることから,絵師としての生業にはまったく満足しておらず,自ら「誤まりて芸家に落つ」とさえ言っています.

このような経歴から狩野派の絵師として遅い出発をしますが,やがて頭角を現し,京都・建仁寺の塔頭や方丈に描けるまでになります.禅居庵『松竹梅図襖(梅図/松に叭々鳥図襖)』は,たっぷり取った余白による叙情性と鋭い筆致による厳しさが同居しています.大方丈障壁画の『竹林七賢図』も,人物や衣服の輪郭線を描く運筆の冴え冴えとして見事なことと,前景の樹木の穏やかさとに感銘を受けます.これ以外の方丈障壁画四点もすべて重文です.

貴族,特に八条宮智仁親王との交わりの中で生まれた諸作品の中では,『浜松図屏風』が美しいと思いました.浜に打ち寄せる波は銀で描かれていて,現代ではその部分はもう酸化して茶色っぽく見えますが,描かれた当時はきっとキラキラ輝いていたことでしょう.まったく違った絵に見えるでしょうね.

京都・妙心寺に残された晩年の作品四点は,うち三点が重文です.『花卉図屏風』は絢爛豪華な金碧の背景に彩られています.一転して『寒山拾得・三酸図』は清々しい水墨画.この辺りまでくると,まさに自在の境地です.

友松が得意とした『雲龍図』はこれだけで一つの区画が与えられ,照明も落として雰囲気満点でした.個人的には日本画の龍や虎は,絵師がいかに達者であってもマンガみたいで感心したことはなく,海外でも評価の高いとされる友松の龍でもそれは変わりませんでした.ただ,墨が垂れるがままにして背景とし,それが凄みある空間を構成しているところはさすがに秀逸と感じました.

しかし,以上の作品をずっと見てきて,最も美しく,かつ愛すべき作品はと問われたら,やはり最後の『月下渓流図屏風』ということになります.早春の夜明け,月が渓流を照らしている光景を,六曲一双の屏風に描いています.右隻は雪解け水なのか,やや速い流れの左岸に老梅が描かれ,上部に置かれた鋭い葉をもつ松の印象を川岸の土筆が和らげています.左隻では川幅の広がりとともに流れがやや緩くなり,丸みを帯びた岩とともに,色づけされた白梅の葉が何とも鮮やかです.それらに取り囲まれた中央部には大きな空間が置かれ,水音が響き合っているかのよう.

武家出身の絵師として若い頃,「誤落芸家」と自嘲した自意識はもはやなく,穏やかで澄んだ境地がうかがわれます.全体の構成もゆったりとよく考慮され,最後はこちらも暖かい気分で見終わることができましたが,この『月下渓流図』が米国にあるのはやはり残念です.

1980年代のバブル期,日本企業は盛んに海外の名画を買い込みました.特に日本人に人気の高い印象派画家の作品は大いにその経済的価値を高められたわけです.もちろんそれらの作品群は私も大変好ましく感じているわけですが,翻ってこの『月下渓流図』のことを知ると,こうした作品群こそ第一に買い戻すべきであったと思わざるを得ませんね.

『マティスとルオー』展

作風はまったく異なるものの,ギュスターヴ・モローの門下生として50年にわたり深い友情で結ばれた2人の画家の作品展.あべのハルカス美術館.

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2人が学んだパリ国立美術学校で彼らを指導したギュスターヴ・モローは,後にルオーがマチエールを重視した宗教的な作品を描き,マティスは極端な構成の単純化に基づく色彩の画家になることを予言していたと言われます.この手の話は往々にして後づけであることも多いとは思いますが,2人の作風を手短に表現するならまさにそういうことになるでしょう.展示の構成は以下のようになっていました.

1.国立美術学校からサロン・ドートンヌへ
2.パリ・ニース・ニューヨーク
3.出版人テリアードと占領期
4.『ジャズ』と《聖顔》

どちらかというとルオーの作品が主体ですが,同時代の2人の作品が並行して展示され,その間に2人が交わした書簡が提示されていきます.彼らの生きた時代は2度の世界大戦を経験しており,そうした困難の中にあった画家たちの状況が忍ばれます.

作品としては,特にルオーの初期作品に感銘を受けました.26歳で描いた『人物のいる風景』はレンブラントの影響が明らかな木炭画ですが,暗い画面の中月光に照らされた水面に小さく浮かび上がる人物のシルエットが犯しがたく神聖です.ルオーは後年,宗教画家という呼ばれ方をするようになりますが,私自身はあまりそうした呼称がルオー絵画の本質を捉えたものとは思っていません.しかしこの『人物のいる風景』-まだ完全には自己の表現を確立するには至っていない若き日の作品-を見ると,キリスト教絵画の範疇を超えた汎宗教的な祈りのようなものを感じます.

また,初期作品の中では,24歳頃の『女性裸体習作』も美しいです.写実性が強く,私には一見ルオーとはわかりませんが,それでもこの作品の魅力は何かと言えば,それは第一に女性の肌の質感であって,後年のルオーを予感させる点かもしれません.

同じくルオーの『ミゼレーレ』や『道化師』,『マドレーヌ』などは2014年のルオー展で見ています.いつもルオーを見るとサーカスの人々の表情に目が行きがちだったのですが,今回は上で挙げた『人物のいる風景』以外にも,『青い背景の花束』とか『聖ジャンヌダルク-古い町外れ』など,特に宗教性を帯びたテーマではない作品の中に一種の崇高さを見出すことができるように思えたのは一つの発見でした.

一方のマティス.ルオーと並べると淡泊さが目立ちますが,それでもたとえば『窓辺の女』では開け放たれた窓の向こうに明るい海が見えており,この作品が第1次世界大戦後の1920年に描かれたこと,および戦争中の1916年に描かれた有名な『窓』では外光がカーテンの隙間からしか射し込んでいなかったことを考え合わせると,この画家の作品がルオーとは違って時代の空気をより強く呼吸していたのではないかと感じられます.

また,マティスは“色彩の画家”と呼ばれて,たとえば今回も展示があった切り絵の『ジャズ』などでその評価が確立しましたが,『ロンサール 愛の詞華集』などの挿絵(リトグラフ)に見られる線描の美しさには認識を新たにしました.芸術家の個性にも様々な側面があり,ルオーとマティスという異質に見える2人の画家の交流が継続したのも,別に不思議なことではないのであって,そもそも異質という見方がそもそも偏っているように思えました.

クラーナハ展―500年後の誘惑

国立国際美術館.見にいってからひと月近くが経ってしまいました.

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ルカス・クラーナハ(1472-1553)はドイツ・ルネサンス期の画家であり,大絵画工房の経営者にしてヴィッテンベルクの市長でもあったという人物です.イタリアで言えばミケランジェロ(1475-1564年)とほぼ同期.レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)やラファエロ(1483-1520)とも同時代人と言っていいと思いますが,私はこれまでまったく名前を聞いたことのなかった画家でした.

同名の息子がいて,やはり画家として工房の運営を引き継いだので,区別するときはルカス・クラーナハ(子)と表記されます.注目されるのは(父)の方.展示は様々な側面から以下のように分割されていました.

1.蛇の紋章とともに -宮廷画家としてのクラーナハ
2.時代の相貌 -肖像画家としてのクラーナハ
3.グラフィズムの実験 -版画家としてのクラーナハ
4.時を超えるアンビヴァレンス -裸体表現の諸相
5.誘惑する絵 -「女のちから」というテーマ系
6.宗教改革の「顔」たち -ルターを超えて

1.の「蛇の紋章」というのは,ザクセン選帝侯に見出されて宮廷画家となってから授かったもので,多くの作品にサインとして残されました.翼のある蛇が指輪をくわえています.2.では宮廷画家としての比較的スタンダードな作品を見ることができますが,大画面の肖像画作品一面に極細密な描写が施されているのに驚かされます.

3.の版画のテーマは聖書に基づくものが多かったようですが,どこか判じ絵のようなところがあって肉筆画の重厚とはかなり作風が異なります.そして,われわれ現代人がクラーナハ作品について抱く関心の中核は4.と5.の女性の裸体と彼女らのしたたかな振る舞いの表現にあります.

まず,有名な『ヴィーナス』.それほど大きな作品ではありません.そして,ヴィーナスというにはあまりに蠱惑的で,透明なヴェールをまとっていることもあって,ほとんど淫靡と言ってしまいたいような雰囲気が漂っています.このヴィーナスのプロポーションが現実の人体とはかけ離れていることがその一因でもあります.さらにこの作品のヴィーナスのポーズを実際にモデルを使って再現する試みをTV番組で見ましたが,プロのモデルでも数分は保たないほど不自然だとのこと.

こうした作品の多くは,クラーナハが仕えていたザクセン選帝侯が,男性貴族にプレゼントするために描かせたとも言われていて,そうだとすれば,作品のサイズの小ささも納得できる気がします.大きな部屋の壁に架けて堂々と鑑賞するといったものでは,少なくとも当時はなかったのではないか.

上のパンフレットに使われている作品『正義の寓意』は,剣と天秤を手にした女神という古典的テーマであるにもかかわらず,裸体の女神はやはり透明なヴェールを身に着けていて,かつ鑑賞者の視線が必ず彼女の局所に導かれるような仕掛けが施してあります.その部分は上のパンフレットではトリミングして使用されていますが.

切り取った敵将の首を平然と保つユディトや,自分に夢中な金満老人を受け入れつつ見下す若い女など,女性のしたたかな強さに注がれるクラーナハの視線は鮮烈です.それと同時に,当時勃興しつつあった宗教革命の潮流の中で,その中心にいたマルティン・ルターと親交を持ち,生き生きとした肖像画を残しています.一つのモノサシで計ることのできない巨大人格であったことが窺えます.

熊谷守一展

明治から昭和にかけて97年の生涯を絵画系術に捧げた熊谷守一(1880-1977)の絵画と書.香雪美術館.

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パンフレットの『猫』は85歳の時の作品.たった5色の平面的な塗りと塗り残しの輪郭線だけで構成されていて,一見さらさらと描かれたように見える画です.しかし,スケッチブックにはもとになった2匹の猫のスケッチが多数残されていて,この線と面にたどり着くまでに長い検討の時間があったことがわかります.

暗い色調の自画像『蝋燭』や筆あとが生々しく残る『向日葵』,あるいは『ハルシャ菊と百合』など,若い頃の作品は筆遣いが大胆で,時に荒々しいと言えるほどです.困窮で自分の子どもを3人も亡くしながら,描きたいものしか描かないという姿勢を貫いた頑なさが,作品にも表われているようです.

しかしそうした筆致は年齢を重ねるにつれて影を潜め,50代で描いた『長良川』はとても穏やかな情景ですし,同じ頃墨の単色で描かれた『蒲公英(たんぽぽ)に蝦蟇(がま)』のガマは無表情だけれどどこか剽軽な味わいがあります.また『高原の秋』は筆致こそやや荒さを残していますが,ひんやりとした空気に包まれた晩秋の雰囲気が静謐です.『鯰』は制作年不詳とされていますが,50から60代にかけての作品ではないかという気がしました.やはりこの香雪美術館で見た中川一政の『鯰』を思い出さないわけにはいきませんでした.

そして70代で熊谷芸術はほぼ完成をみるようです.74歳の『ハルシャ菊』.冒頭の『猫』ほどには単純化されませんが,それでもディテールは省かれ,平坦な面で構成される画面には渋い味わいがあります.地面のカタツムリにもどこかほっとさせられます.池の『石亀』ののどかさ,ほとんど抽象と言ってもいい『白梅』の潔よさ.

こうした簡潔さに至るまでには,しかし人知れぬ苦闘があったに違いありません.観察に観察を重ねた末に,対象が相対化されてはじめて個別の猫はカッコ付きの「猫」となる.冒頭の『猫』のスケッチもそうですが,代表作の一つとされる『ヤキバノカエリ』にも構成を繰り返し検討したスケッチが残っています.自分の子どもの骨箱を持って帰る道すがらの様子を描いたもので,これほどの悲嘆はこうした相対化を通してしか描けなかったのではないだろうかとも思いました.

困難な人生であったろうと思いますが,晩年,同世代の友人が「もう真っ平だ」と言うのを聞いて,「いや俺は何度でも生きるよ」と言ったそうです.飄逸に見える作風の向こうに,芸術の力への信奉が垣間見えます.

「拝啓ルノワール先生 -梅原龍三郎が出会った西洋美術」展

ルノワールを師と仰いで親交の深かった梅原龍三郎の作品展.あべのハルカス美術館.

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昨年4月に京都でルノワール展を見て,楽しかったのだけど,さすがにほとんどずべてが女性像というのに少し食傷したのもまた事実でした.それで今回はちょっと迷ました.でも本展は梅原龍三郎との関係を解き明かすことが目的で,梅原の作品やルノワール以外の作品も出展されているということもあって,結局見に行くことにしたのでした.

展示は6つの区画に分けられています.
1.ルノワールとの出会い
2.梅原龍三郎 掌の小品
3.私蔵品から公的コレクションへ
4.交友と共鳴 梅原と時代,梅原の時代
5.ルノワールの死
6.ルノワールの遺産

梅原は1908年に渡仏してルノワールと会っていますが,1.では渡仏直後の時代の作品が多く集められています.「画をなすものは手ではない,眼である.観察すべし」.しかし必ずしもルノワールだけを追求したというわけではなく,『自画像』はフォービズム風.

2.では梅原自身が収集したルノワールの作品が中心に展示されていました.続く3.ではルノワールだけでなく,ドガやピカソも.私はルオーの『エバイ(びっくりした男)』と『聖書の風景』に惹かれます.いずれも晩年の作品で,若い頃の作品に見られた絶望的な苦しみの描出から解放され,穏やかな画風に行き着いたことがわかります.また,紀元前2000年頃のキュクラテス彫刻『ヴァイオリン型の女性偶像』は,モディリアニの作品かと思うような近代性を感じさせて見る者を驚かせます.

4.では,ルノワール以外にパリ時代に梅原と交友関係があったり影響を受けたと考えられる画家たちの作品です.マティス,ブラック,セザンヌ.そして再びピカソとルオー.ピサロとモネの印象主義絵画も含まれています.梅原は大津絵にも深い関心を持っていたようで,作者不詳の2点が展示されていました.

5.では何と言ってもルノワールの『パリスの審判』と,ほぼ同じ構図で描かれた梅原による同名作品が注目です.梅原の“模写”であると伝えられていますが,太い輪郭線や豪放なタッチ,素朴で活き活きした表情など,まったく異なった世界が描出されていて興味が尽きません.

最後の6.では,梅原晩年の作品を中心に,ルノワール自身やその作品との関連が示唆されます.本展では,ルノワールからの影響の大きさを知るというより,薫陶を受けたルノワールへの,梅原からの返答を見たような思いがしました.


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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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