FC2ブログ

J・S・バッハ レクチャーコンサート  -バッハの時代と教会音楽

バッハの音楽に関するレクチャー付きコンサート.ザ・フェニックスホール.

20171126.jpg


講師は大槻晃士氏.学者ではなく,肩書は「バッハ・スペシャリスト」.著名音楽家や有名音楽祭でバッハ音楽に関するアドバイスを行なう立場だそうです.「自分はバッハき●がい」だと舞台上で2度も発言して,かなり脇の甘いところを見せていましたが,きわめて高度な研究者であることは間違いありません.「バッハおたく」でいいのにね.

講演は,バロック音楽における通奏低音に関する話から始まりました.通奏低音とはそもそも何か,バッハがいかにそれを重要とみなしていたか.対していわゆる旋律線は分散和音的であることも多いなど,クラシック音楽を少しでも学んだ人なら当たり前に理解していることなのでしょうが,私にとってはこれまでぼんやりと感じていたことが明確に解説されてすっきりしました.

ところで,大槻氏が演奏する楽器はヴィオラ・ダ・スパッラと呼ばれる古楽器です.音程はチェロと同じですが,長い間これを脚の間に挟んで弾くのかどうかがわからなかたそうです.しかし,残された絵画などを参考に,どうやらベルトを肩にかけて胸の前で弾いていたらしいということがわかりました.実は私は10年以上前,この楽器を用いたバッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏を聴いたことがあります.

コンサートは,大槻氏の解説に続いて順に下記曲目が演奏されていきます.演奏は,曲によりますがヴァイオリン2,ヴィオラ1,ヴィオラ・ダ・スパッラ1,およびオーボエ,オルガン.歌手はソプラノ,カウンターテナー,テノールが1名ずつです.

カンタータ≪イエスよ,今ぞたたえられん≫BWV41より:4.アリア
カンタータ≪泣き,嘆き,憂い,怯え≫BWV12より:4.アリア
カンタータ≪われ希望をもちて歩み求めん≫BWV49より:4.アリア

-休憩-

カンタータ≪片足は墓穴にありてわれは立つ≫BWV156より:1.シンフォニア 2.アリア
カンタータ≪われは生く,わが心よ≫BWV145より:1.アリア
マニフィカト ニ長調 BWV243より 3「Quia respexit(その下婢の卑しき身をも)」、

大槻氏のバッハ論で重要な視点は,「十字架の神学」といわれるマルティン・ルター派の教義です.そう簡単に理解できるものでもなさそうでしたが,大槻氏自身が「ごく単純化して言えば」と断って行った説明によれば,「信仰者は日々イエスを追い,その受難の道を歩むというプロセスを自分の生活を通じて繰り返すことを課される」のだとのこと.

想像してみればこれは極めて苦しい信仰のあり方で,自然現象の中に神様から自分への啓示を見出して恩寵と解釈したり,苦しいことがあってもそれは自分がより良い者になるための試練であると捉えたりするような前向きの「栄光の神学」とは決定的に対立します.バッハの教会カンタータはルター派教会での礼拝用音楽として作曲されたので,そこで用いられている音楽的レトリックもルターの「十字架の神学」を前提しているのだと大槻氏は言います.

これを実証するために,いくつかの例が示されました.分かり易かった例があったのですが,私がメモした曲名(BWV番号)が間違っていて,家に帰ってきてから確認しようとすると,大槻氏の示した曲ではないことがわかりました.現時点で思い出せず,ちょっと残念です.

しかし,大槻氏は嬉しいことに私の大好きな『二つのヴァイオリンのための協奏曲(ニ短調 BWV.1043)』も例に挙げてくれました.この曲は私が楽譜を持っている数少ないクラシック曲の一つです.各楽章の一部を取り出して実際に二人のヴァイオリニストに弾いてもらいながら,解説が加えられていきます.

まず第1楽章.大槻氏が,「苦しんでますね.苦悩がある.でもかっこいいですこの曲」と言ったとき,私ははっとしました.そうか,この曲かっこいいよな.かっこいいと言っていいんだ.

昔のジャズファン(私を含めて)は,演奏の褒め言葉としてやたらに「かっこいい」を連発する習性があって,「かっこいいがわからなかったらジャズはわからない」などと言ったりもします.クラシック曲にはあまり使わない評価語かと思っていましたが,使っていいんだ.しかも「苦しい」.私がこの曲を好きだと思うツボが,実はそういうところにあったのかとわからせてもらいました.

続く第2楽章では天国的な安息が表現されます.形式としての緩徐楽章は,バッハ音楽においてはそうした音楽的意味をくみ取るべきだというのが大槻氏の主張です.そして第3楽章.冒頭の第1ヴァイオリンを第2ヴァイオリンの動きは次のようになっています

20171126_2.jpg


形式的にはカノンです.しかし,第2ヴァイオリンが入ってくるタイミングがきわめて早く,切羽詰まった印象があります.第1ヴァイオリンを第2ヴァイオリンが息せき切って追いかけているような.大槻氏によれば,これこそ十字架の神学を象徴する音楽的レトリックであって,イエスの受難を信仰者がひたむきに追求する在り方を示したものだというのです.

こうした解釈がクラシック音楽の専門家の間でどの程度受け入れられているのか,私には知る由もありません.バッハの音楽はこうした側面を知ることで,はるかに理解が進むという.一方,バッハ研究で著名な学者である礒山雅は,その著書で「バッハ理解にキリスト教信仰は不可欠ではない」と断言しています.

私にとっては,歌詞のついた教会カンタータやマニフィカトだけでなく,宗教性を帯びているとは思ってもいなかった『二つのヴァイオリンのための協奏曲』のような曲においてさえ,ここに示されたような解釈が可能であるという視点が与えられたことだけでも今回大きな収穫でした.バッハの音楽において極度の悲愴感と気持ちよさが同居しているような魅力の秘密に,自分の中では少し光が当たったように思えます.

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

カレンダー
07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
FC2カウンター