新国立競技場騒動に思う -意匠設計に与えられた過度な独立性の弊害

森元首相が,新国立競技場ザハ案に対して「生ガキみたいで好きじゃない」という発言をしていました.この人の言葉には,首相在任中も含めて何らかの感銘を受けたという記憶はほぼなかったと思います.しかし今回の発言に関しては,「ガ」の発音が鼻濁音であったこととともに,なかなか正鵠を射た表現として覚えておこうと思っています.

もちろんこの表現は.日本国首相まで務めた人物が公の場で私的な好悪を表明することも含め,見識や機知を感じさせるものではありませんでした.ただ,私なりの解釈をすれば,「この建築物の造形は有機体(生き物のからだ)のように見える」と言ったのだと思うのです.

20世紀における最も著名な建築家の一人であるル・コルビュジエ.写真等で見るこの人の建築は,「直線は直交し,精神は解放される」という形容が似つかわしい,近代合理主義の象徴のような姿をしています.一方で今回のザハ競技場は流れるような曲線と微妙な曲面が組み合わされた形態で,前世紀に尊ばれたこととは異なるものを目指す,何か新しいものに出会った印象を強く喚起するものであることは確かです.

2012年秋,ザハ氏の案が採用されてその競技場の姿が新聞の朝刊に掲載された日,それを見た私はたまたまある建築設計事務所の社長さんと会話することになっていました.先端的な3Dモデリング・ツールに詳しい人で,ザハ案についてもその形態の斬新さと,それを生み出すために用いられたと思われる手法について,やや興奮気味に語ってくれたことを憶えています.

3D形状をパラメトリックに定義すること自体は別に新しいことではありません.しかし,それをあたかも手で触っているかのように直感的に操作し,機械的な繰り返し操作を伴うような部分はアルゴリズムを組んで実現することによってデザイナーの意図を存分に反映できるようになってきたのは最近のことです.その結果,従来どうしても拭えなかった人為臭が一掃されて生気さえ感じさせつつ,高度な人工物としての存在感を主張するようなデザインが可能となった.というのが私の理解です.

創造欲とそれを実現する技術は互いに補完し合っていて,「こんなものを作りたい」の実現のために技術開発がなされる場合もあれば,逆に技術が先にあってそれを使えば何ができるかを模索することもビジネスの場では常識的に行われています.今回のザハ競技場案も,それを可能としたモデリング技術の発展があったからこそ描けたと言っていいと思います.

建築というのは芸術・思想と工学が一体化した特殊な分野で,大学の建築学科も大きく計画・意匠・構造に分かれています.日本では地震があるため構造がかなり重視されて工学色が強いですが,外国ではそもそも建築学科が工学部に属していないことも多いようです.実際に構築することを想定しない,“アンビルト”建築家すら存在して,これは一種の思想家です.建築が実際に用いられることを束縛と考える建築家が現実にいることは注目すべきだと考えます.

今回の計画見直しに際してのドタバタ騒ぎで,責任者は誰かなどと問題を矮小化する言説も聞かれますが,技術者としてのキャリアを自動車開発の現場でスタートさせた者として,モノ作りの観点からはプロジェクトの進め方そのものに違和感を覚えます.建築においては意匠設計が非常に重要なものとして独立性を保たれ尊重されているけれど,そのこと自体が困難な問題を引き起こしている場合もあるのではないかと感じるのです.

ちょっと長くなったので続きは次回にします.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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