山海塾 『UMUSUNA』

山海塾の結成は1975年.私が高校から大学にかけての年齢で何にでも興味があった時代,この怖ろしげな白塗り前衛舞踏集団の舞台もぜひ見たいものだと思っていました.しかしなかなか機会がなく,活動の中心をフランスに移してからはますます縁遠くなり,今回やっと長年の念願叶ってナマの舞台を見ることができたというわけです.滋賀県のびわ湖ホールまで行くことになりましたが.

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今回の演目は,2012年にフランス国立リヨン歌劇場で初演された『歴史いぜんの記憶―うむすな』.人々の営みや彼らを取り巻く自然の姿が言葉によって書き留められる以前の認識をたどり,それを身体表現によって表出しようとする試みと言えるかと思います.全体は以下の七景で構成されています.

Ⅰ. 跡形(アトカタ)  あとに残ったしるし
Ⅱ. たち現われるものたち
Ⅲ. 水からの記憶
Ⅳ. かなたへ吹き去る風の中で
Ⅴ. 樹の鏡
Ⅵ. 限りない堆積と浸食
Ⅶ. うぶす

舞台には砂を敷きつめた2枚の大きなプレート(砂場のように見える)が設置され,細い隙間を空けて左右に分割されています.通路のように用いられるその隙間の奥には天上から間断なく砂が降り注ぎ,時間とともに舞台上に堆積していきます.そしてその背景に,プレート間の隙間と同程度の幅で赤い帯がライティングされています.その色彩は景によって変化します.また,両方のプレート奥の上方には砂時計が配された天秤がつり下げられ,舞台の進行にともなって上下する仕掛けになっていました.

まずはテーマ設定が秀逸だと思います.音楽でも彫刻でも文学でもなく,舞踏という動的な身体表現によってしか表現し得ないものは何かということを,彼らはずっと考え続けているはずです.我々の海馬の奥底にひっそりと眠っている原初の記憶を呼び覚まし,言語の仲介なしにそれを姿勢の連続的変化として構成していく・・・

彼らの動きはときに荘重であり,またときに滑稽でもあります.即興性の要素はそれほど強くなさそうで,舞台の雰囲気もきわめてシリアスだし,観客が声を出したりする余地はありません.彼らの出自を考えると,ややスクエアな感じもしました.ここらあたりはやはり西洋芸術なのかも知れませんね.

終演後のアフタートークで,主宰者の天児氏が興味深いことを話していました.自分たちの舞台は,ビルドアップするというより,不必要な要素を削っていく過程の後にできあがるのだというのです.そしてどのコンポーネントが残るかで,最終的に演目のタイトルが決まるのだと.たいてい初演一週間前だそうです.

彼らの舞踏には強い印象を与えられたと同時に,若い頃にこれを見ていたら一体どんな感想を持っただろうとも考えてみました.こうしたものを自分に受け入れる素地が,この数十年で形成されたとしたら悪くないことですが,逆にカラッポならもっといろいろなものをくみ取れたかもしれません.ああ結局いつものジレンマですね.

ところで,音楽についてはあまり感心できませんでした.特に冒頭,天児氏のソロのバックに二胡が聞こえてきたときにはかなり失望しました.二胡自体がわるいというつもりはありませんが,この楽器の音色を,いかにもな耳なじみのいい旋律に乗せて使用するというのは,コンテンポラリーとは言い難い.舞踏自体が目指す高みにくらべ,言い方はキツいですがちょっと志が低いのではありませんかと言いたくなりました.その後も,容易に雷鳴や暴風をイメージさせる「効果音」に近い音響が多用され,音楽というにはかなり物足りないものでした.アフタートークでもこの点が少しだけ触れられ,こうした「効果音」はこの『うむすな』に特徴的なのだそうです.ぜひ他の演目も観てみたくなりましたね.



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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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