インド・旅の風景 - 入国の洗礼

昔話です.
私が初めて外国へ行ったのは22歳の時,南アジアを中心に一人で半年間の旅をしました.数ヶ月間日本でアルバイトをし,50万円程度の資金を貯めました.それから当時の貧乏旅行者の多くがそうしたように,まずタイのバンコクへ行き,そこで目的地への航空券を安く調達するのです.私の場合はインドへのチケットでした.

バンコクで1週間程滞在したあと,いよいよインドへ.降り立ったのはカルカッタ(現在はコルカタ)のダムダム空港(当時)です.現在はネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港と呼ばれています.9月の上旬のことでした.

問題なく入国手続きをすませ,空港のロビーへ出ました.確か午後のいちばん暑い時間帯だったと思います.まずはカルカッタ市街まで行かなければなりません.もちろんその日どこに泊まるかなんて決まっているわけがなく,とりあえずバスに乗ろうとあたりを見回していたとき,向こうから人懐こく笑いながら少年が近づいてきました.小柄で,年齢は10代後半くらいに見えます.

少年は,おそろしくなまりのきつい英語で「町へ行くなら一緒に乗っていかないか?」と言います.もちろん私も馬鹿じゃないつもりだったので警戒はしました.けれども,タクシーで行くから心配いらないと何度も繰り返すので,一応本当か確かめに少年について行くと,ちゃんと運転手の乗った黄色と黒のタクシーが駐まっていました.

まあタクシーでもいいかと思い,料金の交渉をしようとすると少年が「いいんだいいんだ」と言って割って入ってきます.こちらも乗るつもりで交渉を始めようとしたので,そのままもうやめると言いにくく,何となくそのままタクシーに乗り込んでしまいました.経験のなさ,物事を中途半端のままにする不断.本当の旅をすると,こういった未熟さがあからさまに露呈してしまうのです.

町の中心部へ到着するまでの20分か30分の間,私は気が気でありませんでした.どこへ行くんだと聞いても少年は心配するなというばかりで,車窓に見える寺院や通りの説明をしています.そのうち私は,道行く人々の半裸の姿や通りを平気で歩いている大きな水牛,ほこりっぽい大気や側溝に溜まった汚い水,そこら中に飛び散っている血のような真っ赤な液体・・・といった初めて見るインドに目を奪われ,ろくに話は聞こえていませんでした.しかしふと我に返ると現実の心配が頭をもたげます.いやほんとにこれから一体どこへ行くんだ? それにこのタクシー代はどうなるのか? メーターなんてそもそも最初から使ってないぞ.

タクシーは人通りの多い場所に停まりました.どこかさびしい場所に連れていかれて大勢に取り囲まれ,身ぐるみはがされる幻想が頭をよぎっていたので,私はとりあえずほっとしました.目の前には3階建てくらいのホテルとおぼしき建物があります.少年は私に降りるように促し,思った通り私をそのホテルへ案内しました.「べつにここに泊まりたいわけじゃないんだけど,まあ宿を探す手間も省けたし」と思ってチェックインすると,少年は私の荷物を持って一緒に部屋まで入ってきました.

そこで,少年は私に「報酬」を要求しました.200ルピー寄こせというのです.事前に仕入れていた情報では,私のような貧乏旅行者が泊まるホテルは当時だいたい一泊20ルピー程度で,その10倍とはさすがに案内料としては法外です.しかし少年は,自分のおかけで安全にここまで来られたのだから,その報酬は当然だと譲りません.私もヘタクソな英語で応酬すること約20分-くらいだったでしょうか.

インドの午後の暑さ,強烈な太陽,初めての土地での緊張,聞き慣れない言葉,町全体に漂う独特の匂い,どこからか聞こえてくる眠たげなヒンディー語の歌謡曲.こういったものが私を取り囲んだ中での果てしない言い争いに,私の感覚は許容範囲を超えて耐えられそうにありませんでした.結局私は折れ,少年に200ルピー渡しました.彼はそれを受け取ると信じられないくらいすばやく,バイバイも言わずにドアから出て行きました.

私はしばらく呆然としてベッドに腰掛け,自分の敗北に耐えていましたが,疲れ切っていてそのうち眠ってしまったようでした.目が覚めると外はもう暗くなっていました.窓を開けておそるおそる外を見ると,来るときに見た町の風景が明かりに照らされています.活気に溢れた町を見て,先ほどの揉め事のことが頭をよぎりました.自分のだらしなさに腹が立ち,外に出るのが怖い気がしました.しかし一方でおそろしく喉が渇いており,しかもひどい空腹を感じていました.昼飯を食べていなかったことを思い出しました.

とにかく外へ出なければ始まらない.私は覚悟を決め,まずは飲み物と食べ物のためにドアを開け,ほの暗い喧噪の中へ足を踏み出しました.これから先いろんなことが起こるだろうが,今日のことは一つの教訓とするしかない.これが半年にわたる私の旅の第1歩でした.

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No title

お邪魔いたします。

もの凄い経験をなさってたんですね。
びっくりしました。
まるで映画のストーリーのようですね。
この後さらに恐ろしいお話があるのでしょうか・・・。

Re: No title

「旅の風景」は,とくに旅行の過程を時系列的に書くつもりのものではありません.たまたま思い出したことを不定期に書くことになると思います.ずいぶん前のことですが,印象的なことは結構細部まで覚えているものです.怖い話ばかりではないですよ.
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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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