天才の極印 -続き

それからかなりの年月が過ぎ,ジャズだけでなくクラシック音楽も少しずつとはいえ聴き進んできた私は,たまたま吉田秀和の文章に出会いました.私にとって決して読みやすいとは言えませんが,日本におけるクラシック音楽評論家の草分けとして,現在ではすでに歴史上の人物となっている過去の著名な音楽家との交流譚も数多く,何より音楽にとどまらず様々な芸術に対する造詣が深く,語り口にも品格があります.

その吉田の『モーツァルトの手紙』を読んだときのことです.当然,小林秀雄が引用した「あの手紙」のことが気になりました.ところがどれだけページをめくっても出てきません.やっと最後の最後,付録的に追加された部分で,この手紙のことが述べられていました.ちゃんと吉田自身の丁寧な和訳が示された上で,現在ではこの有名な手紙は「ほぼ偽物だと断定されている」とありました.


モーツァルトの手紙 (講談社学術文庫)
書籍


長年,モーツァルトの天才の極印と信じてきた手紙が実は後世の誰かの創作であった.これには正直かなりガックリきました.確かに言われてみるとできすぎた手紙だよなあと思わないでもありません.しかし改めて読んでみて,人間の創作活動を描写した文章として,これ以上魅力的なものにはなかなかお目にかかれないのもやはり事実です.

ただこの何十年の間に,私はくだんの手紙の真贋にかかわらず,モーツァルトの音楽をとても愉しめるようになりました.晩年(とはいっても30そこそこ)に書かれた様々な楽器によるコンチェルト群はどれも名作揃いで,これらを繰り返し聴くことでモーツァルトの世界に少しずつなじむことができました.ピアノ協奏曲も,昔は20番台しか価値がないように思っていましたが,20代の後半までに作曲された10番台の作品にも,ただ優美さに安住するだけではないほの暗さを聴き取れるようになってきました.もはやモーツァルトの音楽が単純だとか子供っぽいなどとはこれっぽっちも思いません.それどころか,精妙すぎて私にはまだ聴き取れないものがたくさんあると感じています.

振り返ってみれば結局のところ,音楽を理解するには音楽を聴くしかなかったということです.時間を経て自分自身が様々な感情を経験しつつ少しずつ変化し,気がついてみると今の自分にフィットするものがおのずと見つかったというところでしょうか.もっとも,モーツァルトは10代や20代の若さでありながら,年齢を重ねた人間にも十分すぎるほど説得的な芸術を生み出したわけです.それを可能にしたのは,教育? 経験? 自分の経験していない感情すら表現できてしまうのは何故? 不思議感は今でも残ったままです.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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