大阪フィルの『春の祭典』

大阪フィルの定期演奏会を聴きました.

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大阪フィルでは以前オルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴き,合唱隊も入った中で打楽器が大活躍するこの曲を実に生き生きと演奏してくれた記憶があり,今回「春の祭典」となればこれは聴かねばならぬとシンフォニーホールへ出かけました.席は2階の中央やや右寄り.今日の指揮はウルバンスキです.

前半はまずポーランドの作曲家ベンデレツキの「広島の犠牲への哀歌」.当初は特に広島の惨禍を意識して書かれた曲ではなかったようですが,何回かの改題を経て日本公演をきっかけにこの曲名に落ち着いたとのこと.弦楽器だけで演奏される10分程度の短い曲ですが,不穏なリズムの上を痛々しくかすれた弦が漂い,哀歌とは言っても「癒し」などは一片も感じられません.しかし,世間一般の認識とは異なるかもしれませんが,芸術に「癒し」の機能など必要ありません.芸術に何かできるとしたら,それは起こってしまったことにただ寄り添うことだけでしょう.ポーランドはドイツやロシアといった周辺強国に蹂躙され続けた歴史を持つ国家であり,芸術家の心情は悲劇への親和性が高いのかもしれません.

前半2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第18番.「広島の~」から一転して古典が演奏されます.モーツァルトのピアノ協奏曲の曲調は第20番を境にがらりとシリアスなものに変化します.一方で10番台は現代におけるクラシック音楽鑑賞の対象としてはやや物足りないのか,あまり演奏されないように思います.実際,この18番でも第1楽章は一聴して明るいという以上にほぼ能天気といっていいお気楽さ加減で,想定されている聴衆がまあそういった連中だったんだろうなと感じます.しかし,よくよく聴いてみると,そのお気楽さは外面的なもので,時折いかにも耐えきれないかのように気分の翳りが顔を出します.これを聴き取れるかどうかがモーツァルトの音楽を本当に好きになれるかどうかの分かれ目で,私は長いことこれがわからず,なんておバカな音楽だろうと思っていました.吉田秀和は確かこんな風に言ってたと思います.「モーツァルトの音楽では,白昼の光のなかでとてつもなく哀しいことが起こる.」 ピアノはフセイン・セルメット.

そして休憩をはさんでいよいよストラヴィンスキーです.なんと言っても「春の祭典」はどこの国でもクラシック音楽第1位の人気曲で,当然私にとっても特別感があります.ライブで聴くのは初めてなので,大編成オケの後方にずらりと並んだ打楽器群を見て始まる前から気分が高揚します.

この曲はとくに文章で感想を述べるのは難しいので,無理はしません.突然雷鳴のように轟くティンパニ.管弦楽法のテキストを無視したように連打される大太鼓.不気味な低音楽器群のうなり.これらに身をゆだね,聴き手が自身の精神・肉体の根源部分が揺さぶられるのを感じるのが正しい聴き方でしょう.文学的解釈などまったく無意味です.曲のプログラミングもユニークで,愉しい2時間でした.


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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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