戸田弥生の20世紀無伴奏ヴァイオリン作品集

先日ライブを聴いた戸田弥生のCDです.特にバルトークをもう一度よく聴いてみようと思って入手しました.


20世紀無伴奏ヴァイオリン作品集
クラシック音楽

ライブで初めて聴いた曲だったので,その時はほとんど理解できませんでした.しかしCDを何度も聴いているうち,少しずつですが音楽が耳になじんできました.理解にはほど遠いかもしれませんが,今私に聞こえている印象を一言で言うなら,「容赦なき清冽さ」とでも呼べる気がします.安易に感情移入できるような叙情性はなく,厳しい音楽です.不協和音の滝に打たれ続けているような感覚におそわれる瞬間もあります.しかしその間も響きは清澄で,濁りやよどみは一切感じません.

吉田秀和著「わたしの好きな曲」の中でバルトークについて触れた章があります.それによると,バルトークはおそろしく耳のいい人だったようです.夜中にいなくなってしまった飼い猫が遠くの森の中にいて鳴いている声を,ほかの誰も聞こえない中で一人バルトークだけが聴き取り,無事発見できたという挿話が出てきます.しかしこの時バルトークは,「聾者に探せと言ってもそれは無理だから,私が行くしかないだろう」と言って出かけていくのです.猫は見つかりましたが,皆の心は傷つきました.

バルトークには,自分に聞こえる音がほかの誰にも聞こえないということで,自分以外は聴覚の欠落した人たちだと感じ,またそのことをを実際に口に出して言ってしまうような酷薄さがあったようです.もっとも本人はそれを残酷だとは思っていなかったのでしょう.

しかしこの話は一つの象徴であって,実は耳がいいというのは,単に微かな音が聞こえるというだけでなく,いろいろな響きの中に意味を感じ取れるということだと思います.私の記憶に間違いがなければ,クリント・イーストウッドがチャーリー・パーカーの生涯を描いた映画「バード」の中で,パーカーがストラヴィンスキーのレコードを聴いて「こいつは耳がいい」と呟くシーンがあったと思います.響きに意味を見いだし,また逆に新しい意味を包含した響きを生み出せるというのが音楽家の資質だとすると,彼らは自分はそこに明らかな「意味」を発見しているのに周りの連中はまるで無感覚なようだとして,コミュニケーションの不全を感じてしまうのかもしれません.

清冽だが容赦ない音楽だと感じるのは,おそらく上の挿話が頭の片隅にあるせいだと思います.美しいと感じかけてはいるものの,それでもやはり近寄りがたく,ありったけの愛情はまだ持てないでいる.といったところでしょうか.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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