極めて“非”社会的な音楽-バド・パウエルの芸術

ジョージ・シアリングのアルバムを,毒にも薬にもならないがそれでも今の私にとっては愛すべきものだと言いました.そもそも,「薬になるようなジャズ」というのはすぐには思いつかないし,たとえあったとしても,どうもあまり魅力的なモノではなさそうな気がします.やはりジャズに毒気は欠かせない.

とは言っても,本当に精神・身体に悪いジャズもあります.私にとって最大の毒になったアルバムがこれです.


バド・パウエルの芸術
ジャズ

ルーストのバド・パウエル.ジャズファンなら誰でも知っているアルバムです.1947年と1953年の録音がセットになっていて,LPではA面に1947年,B面に1953年の演奏が収められていました.この有名作品のどこがそんなに毒なのか.

1947年の演奏はジャズ・ピアノトリオの近代化に資した意義がきわめて大きいとして,特に年季の入ったジャズファンや評論家が高く評価しています.天才達が究極の表現を目指したビバップ期の象徴的な演奏で,パウエルの明晰すぎる右手のラインが時として危険な感じすら漂わせるものの,やはりこれはどこから見ても第一級のピアノ音楽と呼べるものです.

ところが,A面を聴いたあとレコードをひっくり返してB面を聴き始めると,誰もがきょっとします.これが同じピアニストなのか? 指はもつれてミスタッチだらけだし,あの颯爽として明晰だった右手の音楽はどこへ行ってしまったのか? 感情のうつろいが唐突で急峻,スタンダード曲のメロディが粘着質の感傷にまみれてドロドロです.

そのもっとも顕著な例が,「星影のステラ」でしょう.

演奏は,最初から世界の終わりを見送るような感じで始まります.過ぎ去ったものにただひたすら縋りついているような意識を感じます.何かを順序立てて進めていくというような健康な筋道から,もっとも遠いところにある音楽.何かに打ち克つ努力をするエネルギーが欠落し,自分の感傷に溺れるまま精神のバランスをかろうじて保っているような綱渡りが続きます.そして最後にはとうとう耐えきれず痙攣的な泣き笑いとなったあと,何とも痛々しい諦念とともに曲は終わります.

パウエルは病んでいました.この演奏は精神疾患で2年の入院を余儀なくされた直後のものだそうです.そういう生々しい精神の奥底をありのまま見せられてしまったような怖れ.私は10代の終わり頃,初めてこの演奏を聴いてそう感じました.

“反”社会性というのは,意識の向かう先に常に現実の社会があり,反社会的なメッセージを持つ音楽はその意味で社会的です.しかし1953年のパウエルの演奏のどこを探しても社会性はなく,聴き取れるのは黒ぐろとして深い虚無だけです.考えてみれば,こんな作品が1000円か2000円を払えば中学生にだって買えて,彼らの精神の健全さを奪う可能性もあるというのは恐ろしいことです.何を隠そう,この私自身が若い時分はこの演奏の危険に気付かず,不思議な魔力に抗しきれずに何度も聴いていたものです.

こういう健全でない音楽は一部の他のジャズの中にもありますし,また他の形態の芸術の中にもあります.年を経て,私はその手の危険にできるだけ近づかない知恵を多少身につけたと思いますが,それなりの対価を払ってしまったことも付け加えておかなければなりません.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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