情熱のピアニズム

ペトルチアーニのドキュメンタリー映画が公開されています.大阪のテアトル梅田で見てきました.

情熱のピアニズム


夭折したフランス人ジャズピアニスト・ミシェル・ペトルチアーニに関しては,以前ここに書いたことがあります.

ナイト・ブルーミング・ジャスミン
ミシェル・ペトルチアーニのこと
ミシェル・ペトルチアーニのこと(続)

ペトルチアーニのオリジナル曲 September 2nd の前奏に乗って始まる映画は,フランスの片田舎出身で二十歳そこそこの若者がアメリカ西海岸のチャールズ・ロイドに見いだされ,ライブで名が知れた後にブルーノートというメジャーレーベルからデビューし,ニューヨークに移り住む間に3人(4人か)の女性と結婚または結婚に準ずる生活をしてフランスへ戻り,最後はニューヨークへの演奏旅行中に肺疾患で亡くなるまで(享年36)を,近しい周囲の人々へのインタビューと当時の映像を織り交ぜることによって構成されています.

この映画を見た後で.私がペトルチアーニの音楽に対して持っている愛情と,ペトルチアーニ自身に対して持っている敬意とがこれっぽっちも減少したということはありません.しかし,強い音楽を生み出したのはそれ以上に強烈な個性だったことがよくわかりました.

少し意外だったのが,ペトルチアーニもまたドラッグと無縁ではなかった,あるいは本人の言葉では「相当やった」ということでしょうか.ジャズの歴史で言えば特に1940年代から1950年代,チャーリー・パーカーに代表されるように演奏の先鋭化とともにドラッグを求めるようになったジャズミュージシャンは山ほどいます.ペトルチア-ニの音楽はそういったほの暗さはあまり感じさせないのですが,やはりジャズミュージシャンのお作法に則った生活をしていた時代があったようです.

女性に関しては,「もてた」と「強引だった」が半々だった感じですね.出会ってすぐに周囲に自分の妻だと紹介してまわったり.実力のある人間がこういうお茶目さを持っていると,グラっと来る女性も多かったのかもしれません.

前にもここに書いたように,ペトルチアーニには時間がありませんでした.本人がそれを一番よく理解していたはずです.だからこそ他人の2倍3倍の密度で人生を生きようとしたあげくの生き急ぎがこういった生前のふるまいやその最期に現れたのかなと思います.ハタ迷惑なことも多かったでしょうが,それと等分に愛されもした.

上に書いたことをもう一度繰り返すと,音楽だけでなく彼の人生を知った後でも,私がペトルチアーニの音楽に対して持っている愛情と,ペトルチアーニ自身に対して持っている敬意とがこれっぽっちも減少したということはないどころか,一定の厚みをもった輪郭を持って彼の残した録音を聞けるようになったと思います.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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