2015年北海道ツーリング 5日目(8月9日)前半 屈斜路湖・摩周湖周辺

5日目の網走の朝は晴れていました.この日は網走を中心に周遊するつもりで,最初にまた能取岬へ行ってみました.網走市街から15分.晴れた朝にここへ来たのは初めてです.夕刻とは光線が逆で,常呂の町がくっきりと見えていました.

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しかし,美幌峠へ向かうR243では,標高が上がるにつれて上空に雲がかかり,着いたときには湿気の多い風景になっていました.まあ湖面が見えたのでよしとしましょう.これくらいの曇りの日には,かえって木々の緑が柔らかく,キレイに見えます.

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摩周湖も似たようなものだろうと考え,どうせならまだ行ったことのない裏摩周展望台へ向かうことにしました.清里峠を越えるD1115も走ってみたかった.展望台からの眺望はしかし,ガスに覆われていました.写真はコントラストをかなり強めるなどの処理をして,やっとカムイシュ島が見えるようになりました.展望台前の立木も背が高く,視界を覆い隠すように茂っています.

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次は硫黄山.R1115をさらに北上して回り込むことにします.途中で神の子池へ立ち寄りました.ここは裏摩周とセットでしょうが,わざわざ来ることもないかという気がしてこれまで来たことがありませんでした.


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  20150809_8.jpg   ところで,道東でしばしば出会うこの牧草ロール運搬車両.大きなロールを10個積んでいます.これが結構飛ばしていることが多いですね.さすがに登坂時は苦しそうだけど,勾配がないところではそこらの一般車よりずっと速く走っていることが多い気がします.このトラックも重心の高さをものともせず,果敢にコーナーへ突っ込んでいく雄姿に感銘を受けました.安全運行を願っております.


川湯温泉経由で硫黄山が見えてきました.ここへ来るのは40年ぶり.その時の記憶はさすがにほとんどありません.間近で見る硫黄山は,噴気孔周辺の硫黄色以外はモノクロームの世界.天気は下り坂で,この頃にはごく小さな雨粒を感じるようになってきました.

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2015年北海道ツーリング 4日目(8月8日)補遺 エネオス・網走SS (株)リヨーユウ石油さん のこと

網走へ入るのをちょっと早めにしたのは,洗車をしてもらいたかったからです.舞鶴までの夜間の高速道路で,かなり虫の直撃を受けていました.スタンドは訳あって必ず  エネオス・網走SS (株)リヨーユウ石油  です.

洗車くらい自分でやれよというのは誠にもっともなのですが,率直に言ってこのスタンドの店長さんを初めとしたスタッフの仕事ぶりは際立っています.最初に来たのは2011年,Z4で初めて北海道に来た時でした.好天だったものの日本海からの強風が吹いていたオロロンラインで潮まみれになり,初山別のGSでガンを借りて自分で洗車しました.何しろフロントウィンドウに潮の層ができて視界がぼやけるほどだったので.

しかしこの時は洗車道具を持っておらず,ガンの水圧だけでは取り切れなかったので,結局稚内から南下して網走に着いた時にたまたま給油に入ったこのエネオスで洗ってもらうことにしたわけです.この時,分割ルーフの隙間に入った洗剤を拭き取るからルーフを途中まで上げたいのだけど方法がわからない,と言われたのでした.

そんなところまで見てくれるGSには,それまでもその後も出会ったことはありません.丁寧だなと感心しました.そんなこともあって翌年のツアーで網走に着いたときもまた給油に入ったのですが,今度はそこでワイパーブレードの片方が外れかかっていることを発見してもらいました.

法定点検でディーラーに持って行ったときにやってくれたブレードの取り替え作業のミスです.普段はワイパーが必要な日になど乗らないので,点検後数ヶ月経って北海道へ行き,そこで雨に降られて使ってはじめて,きちんと取り付けられていなかったブレードがずれてきたようでした.ワイパーの金属部品がウィンドウのガラスに接触するぎりぎりのところまできていたので,翌日が終日雨天だったことを考えると,ここで指摘を受けて修理してもらったことは幸いでした.

はるか遠方の他県ナンバーで,明らかに通りすがりの客に対してさえ最大限の注意を払ってくれていることに感謝をあらわす意味で,ここにメモを残しておくことにしました.

2015年北海道ツーリング 4 日目(8月8日)後半 能取湖・能取岬

ワッカ・ネイチャーセンターから能取湖へ向います.R238を進み,常呂を過ぎたあたりで能取湖北岸を構成する半島へ左折.牧草地の中を進んでゆくと,能取岬を対岸に望む場所に出ます.


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巻いてからしばらく天日に干された牧草ロールが散在しています.やや崩れた位置の規則性が心地よい感じ.その向こうは方角によってオホーツクの海が見えたり,能取湖が見えたり.時刻は15:30で,まだ陽射しは強いものの,それでも少し傾いて真昼に較べると柔らかくなりました.草の香りの中で風に吹かれ,何を思うでもなく,とりたてて何を話すわけでもなく.空には絹雲がかかり,おそらくはこの好天が束の間の贈り物であることを示唆していました.

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再びR238へ戻り,能取PAへ.サンゴ草の色づきには1ヵ月以上早いんですかね.私はまだ見たことがありません.

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R238をさらに進み,左折して美岬ラインへ.今度は左に能取湖を見ながら北上します.湖岸ぎりぎりを走る区間も多く,この日のような好天なら大変爽快なドライブができます.やがて道は右にカーブしてゆき,岬の先端とその上に立つ能取岬灯台が視界に飛び込んできました.

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岬へのアプローチ.林の中を進んでゆくと,正面に灯台の上部が見えます.この先を左に曲がったところで,今日はどんな風景が見られるんだろうといつもわくわくします.

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そして下ってゆくスロープの途中にZ4を停め,ここまで来ることができたことに感謝します.ここに長時間停めるのは他車に少し迷惑ですが,眼前に広がるオホーツクと右手の牧場,そして灯台を一目で俯瞰できるこの場所はすばらしい.陽が少し陰ってしまいましたが,それはそれとして受け入れましょう.

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多くの灯台が岬の先端,細いリッジの上に立てられていることが多いのに対し,この能取岬灯台の周囲は広い台地になっていて,どこかおおらかです.つい長居してしまうのはそのためでしょうかね.しかしこの日は夕日を待つのはやめ,早めに網走に入りました.


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2015年北海道ツーリング 4日目(8月8日)前半 オホーツクへ

旭川の朝は厚い雲に覆われていました.昨日の夕方は予報とちがってずいぶん晴れていたので,この日もし天気が良ければ大雪山の黒岳に登ってみようと思っていました.層雲峡からロープウェイとリフトを使って7合目まで行けば,私達の足でも休憩を入れて2時間あれば登れるでしょう.人は多いでしょうが,久しぶりに大雪山系全山を見晴るかすというのは悪くない.何より,大好きなトムラウシをこの目でまた見たい.

しかし,層雲峡までの道のりは頭上を暗い雲に覆われ,とても半日かけて登ってこようと思わせるものではありません.層雲峡温泉に着き,公共パーキングにZ4を駐めてしばらく閑散とした温泉街を歩いてみましたが,東の方角は青空も垣間見えるものの黒岳方面は相変わらずで,高額なロープウェイにダメもとで乗ってみようとまでは思えませんでした.

30年ぶりの大雪山はあきらめ,滝を見にいってみることにします.層雲峡には何度も来ていますが,有名な2本の滝はそばまで行って見たことはありません.「流星」,「銀河」という名称はどうしようもなく興趣をそぐもので,やはりアイヌ由来の命名が良かったと個人的には感じます.そもそも層雲峡の「そう」はアイヌ語の「滝」に由来するとのことなので,その滝が流星・銀河では我々が北海道に対して持つ一種のエキゾチシズムがぶち壊しです.アイヌの人たちによる地に足のついた自然観察と信仰が香る名称に換えられないものでしょうかね.

とはいえ当然ながら滝に罪はないわけです.温泉街からクルマを出し,滝の駐車場に行くまでの5分間で空がまたずいぶん晴れてきたので,外国人観光客でごった返している川辺にいるのはやめ,双瀑台へ登ってみました.2つの滝は思ったより水量があり,確かに名瀑らしさを持っています.まだ8月上旬なのに,ここではもう紅葉しかかったナナカマドを見ました.朝晩は冷えるんでしょうね.

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ここからは一気にオホーツク海を目指します.大雪湖を右に見て,R39を東へ.天気がますます良くなってきました.終日曇り空を予想していたので,これはもうプレゼントというほかありません.石北峠の前後は追い越し禁止区間が続きます.マイペースというわけにはいきませんが,明るい森林地帯から標高が上がるにしたがって疎林帯に移ってゆく景色を,前車との間を空けてゆっくり楽しむことができました.

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留辺蘂近郊にある道の駅おんねゆ温泉で簡単に昼食.留辺蘂からはD103に入ってサロマ湖東岸を目指します.D103の前半は交通量僅少の快走路でした.完全にマイペースで走れたので,R39でややダレていた気持ちが再び昂揚しました.牧草ロールも道の左右によく見られるようになり,道東にやってきた気分が盛り上がります.

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ワッカ・ネイチャーセンターにクルマを置き,原生花園を散歩してみました.自然のままの姿を保った場所で,季節的にも花はあまり見られませんでしたが,砂州にかこまれた独特の風景を楽しむことができました.遊歩道で妻がエゾシカを発見.エゾシカくらいこの辺ではいくらでも見られるだろうと思いましたが,ネイチャーセンターに戻って若いセンター員さんに「シカがいますね」と言うと,「エッ,僕ここでは見たことないんです」というのでビックリ.さっそく「エゾシカ出没中です」とのアナウンス.

そこに居合わせた人たちも喜んでいましたが,当のシカのほうは人慣れもはななだしく,かなり傍に近づいても平気な顔をしています.結局われわれが立ち去るまでずっとセンターのすぐ近くで草を食んでいました.


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2015年北海道ツーリング 3 日目(8月7日) 積丹半島

北海道はいつものように小樽からスタート.道北,道東よりも後志の方がまだ天気が良さそうだったので,この日はまず積丹半島をめざし,その後の様子を見て内陸へ入ろうかという計画.

ホテルの部屋で起き出して窓の外を確認.どちらの方角も曇っています.内陸は完全にガスがかかったような状態.予定通り余市方面へ向けて走り出します.舞鶴でおかしくなったナビはここ小樽に着いても機能回復していません.自車位置が地図と数百メートルずれています.とはいってもこのあたりは迷うような場所ではありません.ローソク岩を遠くに見てちょっと停止.

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明るくなってきましたが,水平線はぼやけています.それにしても,この岩はこちらからではローソクに見えろと言われてもかなり無理矢理感があります.R229をさらに進んでD913へ.島武意へ至る峠ではガスがかかりましたが,下るにしたがって再び晴れました.透明感はすばらしいけれど,積丹ブルーにはほど遠く.

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神威岬にやって来ましたが,こんなに穏やかで風のないこの場所はたぶん初めてです.めったにない機会だから,岬の先端まで行ってみることにしました.道はよく整備され,危険なところには階段や手すりがあって誰でも歩けます. 朝方に較べるとずっと晴れてきて,尾根の両側の海の色がキレイになってきました.写真を撮りながら20分くらい歩いて岬の先端へ到着.

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ここまで来たのは学生の時以来です.かつては柵もこんなに整備されておらず,安全確保のためか岬の先端の崖のどこかに太い綱が取り付けてあったように思うのですが,もう30年以上前のことで記憶は定かでありません.あのときは女の子二人と一緒だったなと思い出に浸っていたら,中国人観光客がラジオを鳴らしながら踊っていたのでやめるよう紳士的にお願いしました.すべては昔と同じではなく.

駐車場まで戻り,ここで昼食をすませました.これからどちらへ向かうかちょっと考えましたが,ニセコ方面がガスっている状況に変化はなく,ナビの調子が悪いのもこれから先困ると思い,BMWの正規ディーラーがある札幌で一度見てもらうことにしました.R229をまた小樽方面へ引っ返します.途中でセタカムイ岩へ.R229はこれまで何度も走っていますが,この岩で停まったのはたぶん初めてだと思います.

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天気がどんどん良くなってきたし,この時点ではナビは時々正しく経路を指示するようになっていたのでどうしようか迷ったのですが,後のこともあるので一度見てもらっておくことにしました.戻りがてら,ローソク岩を別角度から.こちらから見ると,燭台に乗っているように見える...かな? それともあれはローソクの炎の部分なのか.

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手稲のBMWディーラーに到着し,サービスさんに見てもらいましたが,結局のところ異常なし.衛星は6基拾えているとのこと.調子が悪いのは厚い雲のせいだった? それとも最近アップデートした地図か,新設したレーダー探知機か.

不安を抱えながら,道央自動車道でこの日の宿を取ってある旭川へ.翌日以降も天気予報は曇りがちでした.

2015年北海道ツーリング 1-2 日目(8月5-6日) 舞鶴から小樽へ

フェリーの出港は0:30の予定ですが,時間待ちで家にいても暑いだけだし,仕事から帰って最後の荷物の確認をして19:30には出発.大体,まともにZ4で遠出をするのは5月以来で,この2ヶ月半の間はカーナビの地図を更新したり,レーダー探知機の動作確認のためちょっとそこらを走ったりしただけです.久しぶりを通り越して,初めて乗るクルマみたいに怖々の乗り出しとなりました.

舞鶴道は空いており,順調に北上.ところが,舞鶴西ICを過ぎた辺りでナビがおかしくなりました.自車位置が取れていないのか,地図の示す道路とはかなりずれたところを走っています.舞鶴東ICで降りてからもまったく役に立たず,ナビを信じるか自分の記憶を頼るか判断できないまま夜道をかなり迷いました.結局は道路標識を頼りに何とかフェリーターミナル着.ナビがおかしい原因は,先日自分でやった地図の更新作業に不備があったためではと,初っ端から不安がよぎります.阪神-北摂を走っている限り何の問題もなかったので,まったく疑いませんでした.

乗るフェリーは今回も「はまなす」です.写真を撮りながらふと,一昨年の夏は青森まで自走できたのだから,青函連絡船を使って北海道へ渡る選択だってありえたのだと考えました.でも船旅も好きなんです.まったくの無為の一日を,これからの旅のことだけ考えて過ごす.悪くない20時間です.

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窓外には上限の月.写真では露出の調整で街の灯がかなり明るいですが,時刻は0:00を過ぎていて,肉眼ではこんなに明るくは見えません.晴れてはいますが,やや湿度が高く,ちょっとぼんやりした風景です.前回は出港して走る船から撮った写真でもそれなりに輪郭がはっきりしていましたが,今回同様に試した結果は霞んでしまって残念なものでした.


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翌日午前中.フォワードサロンから見た北東も,後甲板から見た南西方向も水平線は不明瞭でした.午前10:00ごろすれ違った姉妹船の「あかしあ」も前回とは違って少し遠く,望遠レンズで覗いても迫ってくる迫力はありませんでした.天気予報は見ての通り.まあ週間予報なんてほぼ当てにならない...と思っておきましょう.


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2015年8月北海道ツーリング総括

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3年ぶりに北海道へ渡りました.8月5日夕刻に自宅を出発し,15日深夜(実際には翌日になっていた)に帰宅.全走行距離は,下に示したように2660kmとわずかです.走るより景色を眺めてのんびりする時間の方が年々長くなっているためもありますが,8月10日から12日にかけての3日間は,「大雨洪水警報街道」となった地域にいて活発に動く気にならなかったせいでもあります.雷雨の中,行く先々の町の道路が冠水しており,私達のZ4が水浸しにならなかったことを僥倖とせねばなりません.

それでも,荒天のもとを100-200kmと移動している間には奇跡のような青空に出会うことがあり,そうした時間は非常に忘れがたいものとなりました.旅の印象とはまさに相対的なものですね.

月 日行  程距 離
8月 5日自宅→(中国自動車道+舞鶴若狭自動車道)→舞鶴港フェリーターミナル
8月 6日舞鶴出港(0:30)→小樽入港(20:50)136km
8月 7日小樽→島武意海岸→神威岬→札幌BMW→(道央自動車道)→旭川 328km
8月 8日旭川→層雲峡→双瀑台→ワッカ原生花園→能取湖→能取岬→網走 283km
8月 9日網走→美幌峠→裏摩周展望台→神の子池→硫黄山→摩周湖第三展望台→ハイランド小清水→網走310km
8月10日網走→能取岬→網走→小清水原生花園→斜里→(R244)→野付半島→(R272)→釧路253km
8月11日釧路→釧路市立美術館→来止臥(キトウシ)野営場→釧路→(R38)→帯広 168km
8月12日帯広→ナイタイ高原牧場→然別湖→糠平湖→タウシュベツ展望台→三国峠→層雲峡→旭川 271km
8月13日旭川→朱鞠内湖→苫前→初山別みさき台公園→遠別牧草地→オトンルイ風力発電所→夕来→稚内375km
8月14日稚内→兜沼公園→サロベツ原生花園→オトンルイ風力発電所→初山別みさき台公園→留萌→(深川留萌自動車道+道央自動車道+札樽自動車道)→小樽フェリーターミナル,出港401km
8月15日舞鶴入港→(舞鶴若狭自動車道)→自宅 135km
全走行距離 2660km

ご覧の通り,移動距離が少ない上に旅の途中で美術館に行ったりしていてドライブレポートとしてはおかしなものになりそうですが,まあここは所詮「日記」であってドライブブログでもクルマブログでもないのでご勘弁を.これから写真をまとめながら少しずつアップしていこうと思います.

北海道ツーリング中

しばらく暑苦しいことばかり書いてきましたが,現在は北海道のツーリング中です.
10日間ほど更新はストップします.

新国立競技場騒動に思う -意匠設計に与えられた過度な独立性の弊害(まとめ)

前工程が終了するのを待って次の工程をスタートさせるという古典的なウォーター・フォール型開発では,どうしてもリードタイムが長くなるし,開発スケジュールがいい加減進んでから問題が生じた時に大混乱になりがちです.コンポーネントの設計変更で対応できれば良いですが,概念設計の段階での検討不足が明らかになった場合,最悪の場合開発中止に追い込まれることもあります.

何かあったら税金で補填するという優雅なインフラ工事ならいざしらず,民間の自動車メーカーでこんなことをやっていたら会社は立ちゆきません.そこでどうしたかというと,設計の最初期段階でデザイナーがイメージスケッチをするところへ設計・生産・品質保証など従来は後工程と見なされてきた部門のメンバーが同席し,フィージビリティの検証やコストの概算,生産性の評価など,担当部署ごとの立場から問題点の洗い出しを行うように,プロジェクトの進め方を変更したのです.

ミーティングに出た担当者は,自分の部署にそれを持ち帰り,前工程が終了しないうちから必要と予想される検討をスタートさせます.結果として様々な評価検討が,可能なところから各部署で同時並行して走ることになります.ここが重要なのですね.

1980年と言えば,日本の製造業が世界最強と呼ばれた-ジャパン・アズ・ナンバーワン-時代ですが,こうした開発プロジェクトの進め方そのものも,比較的風通しのいい日本企業の風土にフィットしていたのだと思います.80年代,アメリカのある著名な設計支援企業を訪問したことがあります.設計評価のために実験屋と数値解析屋が仕事をしているのですが,互いにあまりコミュニケーションがなく,どちらかというと解析屋の方が地位が高いらしいことを聞いて驚きました.日本では明らかに現物を触っている人間の方がエラいです.

しかし彼らは日本のやり方を随分研究し,こうしたモデルを採り入れました.概念化は彼らの方が上手で,やがてこうした方法は「コンカレント・エンジニアリング」とか「サイマルテイニアス・エンジニアリング」と命名されて論文が様々な技術雑誌を賑わせました.私達(自動車メーカーの技術者達)は,自分たちが普段からやっていることに名前なんかついたことで,ちょっとむず痒いような感じを持ったものです.

ただし,こうしたことが可能となるためには,エクステリアのイメージを決定するグラフィック・デザイナーに過度な権限が与えられておらず,さらに後工程(他部署)との連携が緊密であることが条件です.早い話が,「絶対こうすべきだ」と「そんなもの作れるわけないだろう」の綱引きです.日本語で妥協という言葉はあまりよい響きを持っていませんが,数多くの制約条件の中でいくつもの項目の評価を最大化しようとするとき,ここを押せば必ず他を犠牲にせざるをえないというポイントに到達します.そこを妥協点と呼ぶわけで,設計過程の必然ですね.

以上を押さえた上で,今回の競技場騒動に戻ります.ザハ案の問題点として指摘されていたのは工事費だけではありません.提案された競技場に必要な膜構造の屋根は,建築基準法に抵触する可能性が高いとされていました.建築関係者の中には,はっきりと「これが適合するよう法改正が必要」と言う人もいます.懸案のキールアーチについても,あれだけ巨大なものをどこで作ってどうやって運ぶかという課題が見直しになる直前まで議論されていたと聞きます.

こうした検討が,一設計事務所単独でどこまでできたのか,やはり疑問を持ちます.これは,ザハ氏に非があるということではなく,そもそも意匠設計だけをコンペ形式に独立させてしまったプロジェクトの進め方自体に瑕疵があったと思うのです.

建築界の慣例なのでしょう.意匠がリスペクトを受けるのも先に書いたとおりです.しかし,時間と費用という制約がある中で最善を尽くそうとすれば,上で述べた自動車産業の例のように,世界でガチの競争をしている連中のスタイルも参考にすべきだと強く思います.ガウディのサグラダ・ファミリアのように,オープン・エンディッドな,言い替えれば建築のプロセス自体が目的であるような宗教的建造物とはおのずとプロセスは異なるはずです.

今回は,国立競技場建て替えという国民の目に曝されやすいイベントだったので問題が明らかになりましたが,インフラ建設でのこうしたコスト増や工期の際限ない延長というのは日本中で起きています.自然が相手の純土木事業で人知が及ばない場合は仕方がありませんが,今回のようにきわめて人工的な場所に洗練されたモノを作ろうというときには,金と時間に設計初期段階から監視が行き届くようなシステムの採用がマストです.そうしなければ,また同じことが起こるに違いありません.
(おわり)

新国立競技場騒動に思う -意匠設計に与えられた過度な独立性の弊害(続き)

新国立競技場デザイン・コンペの内容は以下のサイトに示されています.募集要項からコンペの審査報告書までがPDFファイルにまとめられて置かれています.

新国立競技場 国際デザイン・コンクール報告書

応募作品のすべてが画像で提示されていて,建築という最大規模をもつ美術作品のコンセプトに触れることができて大変興味深いものがあります.募集要項には競技場が満たすべき条件が示され,すっかり有名になった1300億円の費用制約もちゃんと明示されています.その上で,応募者に要請された提出書類は以下です.

■必要提出書類
(1)スタジアムの概観及び内観パース
(2)スタジアムの施設建築計画・概略設計
(3)テーマ別の計画提案
 ①観覧席に関する考え方
 ②周辺駅からのアクセス及び入退場動線処理に関する考え方
 ③ホスピタリティ機能及びスポーツ以外のスタジアムの利活用に関する考え方
 ④環境配慮に関する考え方(省エネその他)
 ⑤構造計画,屋根の架構及び開閉機構に関する考え方
 ⑥事業費及び工期に関する考え方
(4)電子データ

この中で,今回の騒動の発端となったのは事業費と工期に関する提案の部分です.各提案者はそれぞれ合理的な根拠に基づいて費用を算出するはずですが,提案で求められているのは「考え方」であって,エビデンスの提出までは要請されていないように見えます.これでは根拠の合理性が希薄で,極端な話楽天的で安価な見積もりに基づいて,より“盛られた”案にすることも可能なように感じます.

ザハ案が実施設計に係る段階の見積もりで2倍の事業費を必要とすることになったのは,2本のキールアーチがきわめて高くつくことがわかったからだとされています.ザハ側は230億で可能だというものが,実際には無理だというわけですが.これだけの増額の理由は材料費や人件費の高騰だけで説明できるものではなく,具体的工法の検討を含むフィージビリティ・スタディがほとんど機能していなかったことを示唆しています.

私は本件に関する安藤忠雄氏の会見のビデオを何度も見ました.横長のパネルを男性2人に持たせてプロジェクトのスケジュールを説明していました.そのパネルには,以下のシーケンスが書かれています.

「デザイン案選定」→「基本設計」→「実施設計」→「工事着手」

そして安藤氏は「デザイン案選定」の最後の部分にマジックで線を引き,「私らが関わるのはここまでなんです」と強く主張していました.その言葉の裏には,「費用の正確な見積もりはこの段階では無理だ」という弁明があります.実際その通りなのだろうと思います.

上の手順は一般に「システムズ・アプローチ」と呼ばれていて,要するに厄介な問題解決にはまず枠組みを決め,それから各論の解決を進めてゆくことが,検討すべき選択肢を減らし,結果として良い解決案をもたらすのだという考え方です.これは建築に限らず,あらゆる人工物の計画・設計・運用に有用だとされています.

クルマの開発でも基本は同じで,この基本形をウォーター・フォールモデルと呼びます.しかし,1980年前後から日本の自動車メーカーでは,上のようなウォーター・フォールモデルをそのまま適用していたのでは開発に時間がかかりすぎるし,ある程度まで進んだ所で問題が見つかってバックせざるをえない状況になることも防ぎにくいということに気付いていました.

そこでどうしたか...を次回書きます.

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最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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