バイオ燃料は化石燃料を代替可能なのか

朝日新聞デジタル版に,『欧米のバイオ燃料政策にノー 米研究所が報告書』という記事が出ていました.出典は以下です.

“Biofuels Are Not a Green Alternative to Fossil Fuels”

世界資源研究所(World Resources Institute)のレポートで,植物を原料としたバイオ燃料は非効率だから見直した方が良いという主張です.

私はしばらく前,EVについての記事の中で,最後に「トウモロコシや大豆由来のバイオ燃料なんてまったく賛同できない」と述べました.これは主として,食物となる穀物を燃料にしてしまうことによって穀物価格が高騰し,結果的に発展途上国の飢餓を助長するようなことはやってはならないと考えるからです.たとえカーボン・ニュートラルを認めたとしても,きわめてスジの悪い燃料であると言わざるを得ません.しかしながら,バイオ燃料の推進政策は米国ではジョージ・ブッシュの時代に始められ,バラク・オバマが大統領になったあとも引き継がれています.

今回のレポートは,このようなバイオ燃料が食料と競合するというだけでなく,CO2排出削減という観点からも効果は薄く,また耕作地に燃料源としてトウモロコシを植えるくらいなら,最近の高効率太陽光パネルを設置した方が面積あたりのエネルギー効率は50倍も良いのだというのです.その数値の算出根拠の詳細は示されていませんが,いずれにしてもこうした議論が食用植物を燃料に使用するというバカな政策の歯止めになればいいと思います.

ただ,バイオ燃料が何でもかんでも全部ダメかというと,そうではないと思います.上に示した同じEVの記事で,微細藻類が光合成を経て貯蔵する脂質を利用する話にも少しだけ触れました.ボトリオコッカスは非常に多くの脂質を生成することで知られていますし,クロレラはそれほどの脂質生成能力はありませんが,増殖がきわめて速いという特質を持っています.これら脂質産生微細藻類のCO2固定能力は高等植物の10倍とも言われていて,もちろん食料生産とは競合しないし,農業というよりは工業の枠組みで製造を計画できる強みがあります.

もちろん問題はコストです.今のところ現在のガソリン単価の10倍くらいという報告があり,ここを何とかしないと話になりません.成長に必要な窒素などをいつでも十分に与えればよいかというと,脂質産生効率の観点からは必ずしもそうではないという説もあって,培養条件の最適化は重要そうです.

技術開発の推進にはスジの良し悪しをきちんと見ないとおかしなことになります.私自身は藻類から燃料を採る探求は方針として間違っておらず,夢があると思っています.

2011年 北海道・宗谷丘陵から岬へ向かう

2011年夏の北海道・宗谷丘陵.この時は午前の光で風景が鮮やかでした.風車群をしばらく眺めてから,岬へ向かいました.ドライブレコーダーの映像を写真とともに載せておきます.

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岬へと至る緩やかなカーブを曲がっていくと,やがて視界一杯に広がる宗谷海峡が望める地点に出ました.思わず声を上げ,Z4を停めて外へ.海峡の向こう側には遙かに,しかし驚くほどくっきりとサハリンの島影を見ることができました.


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2012年 北海道・宗谷丘陵の光と風

今年に入ってから,まだZ4に2回しか乗れていない.ここにアップした1月の2度のドライブだけです.運転の仕方を忘れそう.エンジン内のオイルも下がりきっているでしょう.2月は土曜がほとんど休めず,日曜は雨ばかりで一度も車庫から出せずじまい.今冬の近畿地方は天気がはっきりしません.もっと光と風を.快晴だった宗谷丘陵・貝殻の道のことを反芻したくて写真と映像をアップします.

貝殻の道3 




貝殻の道4 

神戸元町Jam Jamで聴いたジャズ -ジャッキー・バイア-ド『ハイ・フライ』

先日,兵庫県立美術館でホドラー展を観た後,捜し物があったので阪神電車で三宮へ出て,そのまま元町まで歩きました.捜していたものは見つからなかったのですが,元町に来たのは久しぶりなのでジャズ喫茶JamJamへ行ってみることにしました.

私は10代後半をジャズ喫茶に育ててもらったので,ジャズについてはいまだにライブハウスへ行って生演奏を聴くより,ジャズ喫茶へ行く方が落ち着きます.録音されたジャズを聴くには,元町ならちょっと前まで三つの選択肢がありました.JR元町駅に最も近い『Just in time』,神戸中華街にほど近い『M & M』,そして元町通りに近い『Jam Jam』です.

このうち,『Just in time』は昨年閉店してしまいました.夜のライブに熱心でしたが,昼間の客に向けてレコードを鳴らすことに関しては,それほど情熱が注がれていないように感じていました.『M & M』は前オーナーが亡くなった後しばらく閉まっていましたが,引き継いだ方が再開させて2年くらいになると思います.前オーナーの女性らしい店作りがリラックスできる店でした.

そして『Jam Jam』.古代ジャズ喫茶の雰囲気を最もよく伝えているのがこの店です.元町通りからちょっと入った所にある,お世辞にもキレイとは言いがたいビルの入り口から,もう場末感タップリでわくわくします.共用トイレの前から地下へ下りていくところなんか実にいい.階段を下りるに従って暗くなり,夏など明るい外から入ってくると,店の手前にある段差に気がつかずに躓いてしまってキケンですらあります.

そして地下1階の奥まった所にやっと入り口.ビル1階の入り口からの通路はZ字に屈曲していて,しかも地下なんだから当然ですが通路にも店内にも窓は一つもなく,外光はまったく射込みません.店内はリスニング席が大部分で,入り口近くに一部会話可の席もあります.真剣に聴きたい客はもちろんリスニング席へ.店内照明もぎりぎりの線ですが,しばらく座っていると目が慣れてこれで充分になります.

音源はすべて(たぶん)LP.音量は大きいです.音像も大きい.ギターだって高さ3mくらいで屹立します.モニター系のスピーカーからすばらしく明快な音がバンバン前に出てきて,全身を音に曝される実感を味わうにはこれ位でないと満足できませんね.

そこで今回聴けたのがこれ.ニュージャズ・レーベルのジャッキー・バイアード『ハイ・フライ』B面です.


ハイ・フライ
ジャズ

もちろんこのアルバムは自分でも持っているからここに書いているのですが,実を言うとあまり聴いた記憶がないのです.昔買ってあまり印象に残らず,そのまま放置していたのでしょう.しかし,Jam Jamで聞こえてきたB面1曲目“Here to Hear”のイントロのピアノが紡ぐ不協和音に,きわめて濃厚なジャズの香りがあるのに驚きました.

はっきりしたメロディがあるわけでもない.ブルースがあるわけでも,グルーヴを感じるわけでもない.そこだけ取り出しても,とてもジャズだか何だかわからないようなイントロなのに,これがジャズっぽく魅力的に響くわけです.ジャズの音っていうものがあるんだよなあと再認識します.自宅で聴いてもとてもこうはいかないでしょう.だから放置していたのだと思います.

やっぱりジャズ喫茶はこうでなくては.クセのあるバイアードのピアノを,それにも増して曲者のピート・ラロカのドラムスがプッシュします.B面はスタンダード曲中心ですが,黒々とフリー・フォームな場面もあってジャズファンのツボが刺激されます.こういうジャズを易々とわからせてしまうのがジャズ喫茶の役割ですね.これからもお世話になります.

酒蔵のバロック

古楽アンサンブル“オルフェオ楽派”の演奏会.伊丹市立伊丹郷町館の旧岡田家住宅・酒蔵(重要文化財)にて.

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以前ダウランドの歌曲をカークビーが歌うコンサートを聴きに行ったとき,伴奏はリュート一挺でした.私が古楽器の音をもっとも間近で聴いたのはこの時です.今回は比較的コンパクトな古い酒蔵での演奏会で,親密な雰囲気が期待できます.この酒蔵についての情報は以下.

旧岡田家住宅・酒蔵(重要文化財)

“オルフェオ楽派”のメンバーは次です.
榎田雅祥(バロックフルート)
井上玲(リコーダー、バロックフルート)
佐野健二(リュート)
池内修二(ヴィオローネ)
吉竹百合子(チェンバロ)

演奏された曲目は以下.
【前半】
○トリエット 第2番 : テレマン(フルート×2,チェンバロ,ヴィオローネ)
○低温声部のためのカンツォン 第5番「トロンボンチーナ」-第3番 : フレスコバルディ(ヴィオローネ,リュート)
○組曲 第3番 : オットテール(フルート,ヴィオローネ)
○エコー : オットテール(フルート×2)
【後半】
○グラウンド「わたしを泣かせて下さい」 : パーセル(リコーダー,ヴィオローネ,リュート)
○リュート・ソナタ 第9番 : ザンポーニ(リュート・ソロ)
○エアと変奏-ヘンデルのガヴォット : ヘンデル-ブラヴェ(チェンバロ・ソロ)
○トリオ・ソナタ : クヴァンツ(フルート×2,ヴィオローネ,リュート,チェンバロ)

本格的なバロックのみのコンサートというのは初めてでしたが,リーダー格の榎田氏をはじめ,各曲のソリストが曲目の説明をていねいにしてくれ,聴き所がわかって良かったです.バッハ以前の音楽というのはあまり触れることがないですが,それ以後の音楽と較べて音量も小さく表現の幅も抑揚が少なく,楽器の音色を含めて非常に微妙なニュアンスを聴くものであったことがわかりました.なお,楽器のピッチは392Hz.現代の通常の設定から1音低いことになります.

暖房設備がないことによる寒さが堪えましたが,様々な楽器を間近に見てその音を耳にすることができ,面白い体験になりました.

フェルディナント・ホドラー展

兵庫県立美術館.

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19世紀末スイスの画家ホドラー.この時期の西洋絵画の大きな潮流の代表格が印象主義であるとするなら,それとは明確に異なったもう一つの流れが象徴主義だと言えるでしょう.その象徴主義の影響を強く受けた一人がホドラーです.

若い頃の『自画像』などの作品を見ると,写実から出発したことがわかります.強い光線を求めて南欧へ向かったのも,この時期の画家特有の行動だったと思います.それらはその後のホドラーの画業を強く支配したようには見えませんが,力強い輪郭や,特に風景画について言えることですが,対象の形態をコントラストを強調した面で構成する傾向など,初期の遍歴によるところが大きいと感じました.

その後,パンフレットに採用されている『感情III』にみられるように,互いに少しずつ異なった形態を反復させた構成をとることによって,様式の中に生き生きした律動を取り込むことへの挑戦を始めます.これに先だって対をなす『オイリュトミー』では,老いた5人の男たちが左方へ向かって歩む姿が描かれました.共通するのは生と死が二律背反ではなく,たとえば恍惚を示す女性の姿態と表情の中にそれらが不可分に存在するかのように描かれることです.

ホドラーの描く人物では,肌の上にできる影が青または暗い緑で描かれるのが大きな特徴です.これがどこか痛々しく,若い女性を描いても,そこには死の影がまとわりついているように見えます.19世紀末とはこういう気分だったのかなと思わせるようなところがあります.

ホドラーの絵画を観ながら,この同じ兵庫県立美術館で10年以上前に開かれたクリムト展のことを思い出していました.同じ象徴主義芸術家として知られるオーストリアの画家で,ホドラーとはほぼ同時代.両者とも晩年に壁画制作に没頭しました.抽象的な観念を具体的な事物を通して表現し,それを多くの人々の間で共有したいという時,彼ら象徴主義芸術家の作風がよくフィットするのでしょう.本展では,チューリヒ美術館の吹き抜け壁面を飾る『無限へのまなざし』のための習作のいくつかを見ることができました.

ホドラーは20歳ほど年下の女性との間に一子をもうけますが,その女性を若くして癌で亡くします.死去直後の遺体を描いた絵も展示されていましたが,こうしたところも,クリムトとの精神的共通性があるように感じます.

天籟(てんらい)-映画『マエストロ!』

「のだめカンタービレ」を全巻読破し,映画まで観ていることは以前書いたとおりです.プロットはちょっと脇へ置くとして,演奏される音楽は本物だし,ディテールを再発見したりすることもあって私レベルのクラシックファンには結構楽しめます.

こちらも漫画が原作の映画「マエストロ!」.原作の評判が良いのは知っていましたが,読んでみる機会がないままにいたところ,映画ができてしまいました.原作を知っていて映画を観ると,ほとんどの場合がっかりします.「2001年宇宙の旅」にしても,クラークの小説を読んだのはキューブリックの映画を観た後でしたが,文章の力のほうにより感銘を受けたものです.

話が逸れました.色々思ってはみるものの関心はあり,結局観に行ったわけですが,物語の設定や役者の演技など,50代も後半の年齢になるとやはり作り物くさく感じていけません.もちろん作り物なわけだけれど,良い人工物はその枠を超えてわれわれを感動させてくれます.しかし歳をとると,生半可なものではそこに真実があるとは思えなくなるんですね,

一方,演奏はすばらしいです.佐渡裕指揮のベルリン・ドイツ交響楽団.速いテンポにビシッと揃った弦,すばらしい輝きの音色をもったホルン.ベートーヴェンの5番を聴いてグッときたのは何十年ぶりでしょうか.もちろんそれはこちらの耳が悪いせいですが,コンサートホールでもこれ以上ではないという音量で細部まできちんと録音された音源が鳴るため,完全に耳が洗われた感じです.

物語には今日のタイトルの「天籟」という言葉が何度か出てきます.出典は荘子のようですが,広辞苑を引くと
・天然に発するひびき.風が物にあたって鳴る音.
とあります.劇中では,「すばらしい音楽が終わり,最後の音が消えゆく時に聞こえる,宇宙そのものの鳴る音なき音」というように表現されていたかと思います(細部は記憶定かならず).

きわめて観念的ですが,存在するものならぜひそんな音を聴いてみたいものですね.いずれにしても,演奏直後が肝心です.以前ここに「演奏終了後少しだけ拍手を待ってください」という文章を書きました.そんな音が聞こえるかもしれないのなら,なおさら待ってもらわないと.少なくとも,すぐにブラボーを叫ぶようなマネをされたら天籟なるものが聞こえることはないでしょうからね.

フィオナ・タン映像展  まなざしの詩学

印象派絵画ばかり観ていないで,時々はモダンアートも体験しておかないと.国立国際美術館.
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しかし,この分野は私にとってなかなか難解なものが多く,理解を手助けしてもらえるとありがたい.昨年末から公開されているフィオナ・タンの映像を観たいと思っていたのですが,先日「ナショナル・ギャラリー」で,美術館学芸員のドキュメンタリーを観たばかりの所へ,都合良く国際美術館の学芸員さんのギャラリ-・トークに参加できました.

フィオナ・タンはインドネシア華僑の父とオーストラリア人の母の間に生まれたハーフです.華僑というだけでなく,人種的にも混血の彼女が,映像を通して自身のアイデンティティを探る旅.この展覧会はそうした位置づけができるのかなと思います.

タンの作家としての出発点であり,またその後の活動の方向を決定づけたのが,1997年の『興味深い時代を生きますように』.インドネシアにおける華僑排斥によって離散した親族をタンが訪ね歩き,自分の精神的ルーツを探すというものです.「アイデンティティを形づくるのは血縁なのか,それとも文化なのか」という冒頭の問いが,明確にこの映像の主題を表しています.

よく知られているように,中国人の血縁関係は大変濃いものがあります.親族なら無条件に助け合い,相手を受け入れるものだと.一方で,オーストラリア人の母を持ち,思春期以降オーストラリアやオランダで暮らしたタンは西欧的個人主義の環境で育っており,そうした伝統に懐疑的です.少なくとも自分はそんなことできないと思っている.「いきなり転がり込んできた親族を,果たして本当に歓迎できるものか?」

世界中に散らばったさまざまな境遇の親族を訪ねてインタビューし,最後に住民のすべてが「タン」姓である村にたどり着きます.ここが彼女の血縁のルーツであることが明確になるわけですが,歓待を受けつつも,やはり「私はここでは暮らせない」と感じます.コスモポリタンとしてのある種の自負と,どこにも帰属しない根無し草の不安定感.

タンは,ヘリウムを入れた風船をたくさん身につけて浮遊する映像を繰り返し撮影しています.自分の赤ん坊にまでそれを試し,その時の反応を見ている.これが,彼女(やその家族)の姿のアナロジーであることは間違いないでしょう.

その後の作品も現代アートとしてはわかりやすい文脈をもった作品群だと思いますが,こう感じられるのはギャラリー・トークを聴いたからだとも思います.貴重な体験でした.

映画:ナショナル・ギャラリー 英国の至宝

シネ・リーブル梅田.
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規模は大きくないけれど,ヨーロッパでも指折りの美術館と目される英国のナショナル・ギャラリー .その運営スタッフの活動を丹念に追ったドキュメンタリー映画です.監督はフレデリック・ワイズマン.

冒頭から,学芸員(キュレーター)の女性がこのギャラリーの運営方針について,上司に延々と自説を展開する場面が映し出されます.きちんとした英語でわかりやすいですが,私の英語力では結局日本語字幕を追うことになってかなりくたびれます.

視覚障害者に絵画を理解してもらうために,解説したい作品の構図がわかるような「モコモコの」-要するに輪郭が手で触れるような材料で縁取られた模擬作品を作り,それに触れてもらいます.視覚障害者たちは,言葉による説明を受けながらそれに触れ,作品の概要を把握します.

子供たちへの絵画入門イベントも行われていますが,伝えようとする内容は大人にも通用するもので,子供だからといって手加減しないのは西欧風です.また,日本の美術館では若い人が展示作品の模写をしているところをほとんど見たことがないですが,ナショナル・ギャラリーでは常設展は基本無料ということもあってか,模写中の人が何度か映りました.

この美術館の所蔵作品は新しいものでも1900年(ジョットからセザンヌ)までということで,20世紀の作品は所蔵していないようです.このドキュメンタリーに登場する作品は,ご当地ということもあってターナーが目立ちました.

作品へのライティングも,大がかりな装置と光度計を使って綿密に行われます.作品のレイアウトも,作品と美術史に関する高度な知識と,独自の解釈のバランスを保って決定されます.キュレーター同士で意見の相違があるのは当然で,それを埋めるための議論がまた長々と描写されます.

そして,何といっても圧巻は作品の修復作業です.退色したり傷が入ったり,あるいは過去の誤った修復作業によって改変された作品は,最大限の科学的根拠をもって修復されます.しかし,そうした努力をもってしてもなお,後世の評価でその修復が間違っていると判明するかもしれない.その可能性を常に考慮した上で,「われわれの修復は,100%元に戻せることが原則です」という言明にかれらの仕事の困難と誇りを感じました.

上映時間が3時間に及ぶ大作です.議論の場面も多く,最後まで集中して見通すのは大変でしたが,美術館・博物館のキュレーターというのはこういう仕事をしているのかと,あらためて認識することができました.

写真展-日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」

幕末・明治の時代から20世紀末に至る日本人写真家101人の作品を,各1点ずつ集めた展示会.伊丹市立美術館.

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写真の存在意義は,当然「記録」にあったわけですが,今回100年以上も前に撮影された写真を見て,そこにすでに「表現」への意欲が見て取れることに驚きます.現在では写真が美術・芸術の一形態でありうることに意義を差し挟む人はいないと思いますが,これらの写真の最初期のものを撮影した写真家たちは,おそらく写真が絵画と並ぶ芸術として認められるための苦闘を経たものと想像できます.

今目の前に見えているものを整理して一定の抽象性を導入しない限り,芸術作品とはなり得ない.写真の特質をフルに活かして,写真でなければできない表現を探索する試みがなされたはずで,今回の展示を注意深く見れば,そうした試みの過程がおぼろに浮かび上がってくるようです.

被写体も作風も互いに大きく異なる作品群ですので,共通したテーマをそこに見出すことは困難ですが,日本で写真がどのように撮られてきたかを概観できて興味深い写真展でした.

なお,並行して開催されていた“シャレにしてオツなり −宮武外骨・没後60年記念−”では,明治・大正期に反骨のジャーナリストとして知られた宮武外骨の手がけた風刺雑誌や当時の風俗を扱った絵はがきを見ることができました.元祖クール・ジャパンと呼びたい側面もあります.外国人親子が楽しそうに鑑賞していたのが印象的でした.

インド・旅の風景 - 堪えがたい不条理を悲しむこと

35年前.長く滞在したボンベイ(現在はムンバイと呼ぶ)を出発したのは,霧に包まれた早朝でした.私の乗った長距離バスは,インドの市民やわれわれ外国人旅行者を乗せて南へ向っていました.進むほどに霧は深くなり,見通しがききません.バスは速度を落として走っていました.

イギリスの植民地であったインドでは,自動車は日本と同じく左側通行です.その日私はバスの進行方向に向って右側の窓側座席に座っていました.朝早かったこともあって,少しうとうとしかかった時のことです.突然,バスの右側対向車線を猛スピードでカーキ色に塗られたアンバサダーが追い越して行きました.本当にかなりのスピードだったので,寝入りかかっていた私も目が覚め,見通しがきかないのに危険な運転をする奴だと腹が立ったことを覚えています.

それから間もなくです.バスが急に速度を落としました.もともとゆっくり走っていたので,停止しかかるような極低速です.どうかしたのかとフロントガラスを通して前方を見ていると,やがて白い霧の中からぼんやりと黒い影が2つ現れました.牛です.2頭の黒い牛が道路に横たわっていました.1頭は口から泡を吹いてもがいており,もう1頭はまったく動きません.

すぐに,さっきのアンバサダーがはね飛ばしたのだと直感しました.バスは慎重に牛を避けて前進しましたが,すぐに車線をふさぐように停まった車に行く手を阻まれて停止せざるを得ませんでした.思った通り,追い越していったアンバサダーです.そしてそのさらに前方には,無残に破壊された荷車が転がっていました.

アンバサダーは,2頭立ての牛車をはねたのだと理解するのに時間はかかりませんでした.さらに近づくと,老人が小さな男の子を抱きかかえ,はねたアンバサダーの乗員に必死で何かを訴えています.彼らは二人で牛車に乗っていたのでしょう.男の子は血だらけで,ぐったりしてまったく意識がないようでした.車の乗員が何人いたかは確認できませんでしたが,窓から見えた男はインドの軍服姿でした.

老人の訴えは明らかです.事故を起こしたものの無傷で走行可能なアンバサダーで,この子を病院へ連れていってくれと懇願しているのです.しかし驚いたことに,その軍人はこの老人の救いを求めるきわめてまっとうな願いをまったく受け付けず,頭から大量に出血して明らかに生命の危機に瀕している子供を搬送することを拒否しているのです.

信じられないような光景でした.明らかに自らに非があって起きた事故に対して責任を取ろうともせず,小さな子供の命を見捨てようとしているのです.インドのヒンドゥー社会には,よく知られたカーストという身分制度が根強く残っており,おそらくこの老人や子供は低カーストに属する人たちなのでしょう.そうした因習にとらわれた軍人から見れば,そのような賤民を同乗させるなどということは最初から頭にないのだと.

私はこのとき,本当に遠いところに来ていることを自覚しました.自分が当然と考えることがまったく通用しない世界というものが,厳然として目の前にあることを実感したためです.このような人たちと折り合いをつけて何とかやっていくことが,果たして本当にできるものなのか?

あの状況に対して,私のできることはありませんでした.いや,バスに乗りあわせて多くが眠ったまま事故に気付いていない西洋人の若い旅行者たちを起こし,あの子を救うためにこのバスの中からみんなで声を上げようと呼びかけることができたのでは?

しかし無情にも,客を乗せたバスは事故を起こしたアンバサダーと荷車を回避し,またゆっくりと目的地に向って走り始めました.私は遠ざかる彼らを振り返って目で追いましたが,やがてその姿は次第に霧の中に消えていきました.

私には結局傍観していることしかできませんでした.自分たちは,人の命が最優先されるということが当然だと考える社会に暮らしているはずだけれど,そうは考えない世界もまたわれわれのすぐ隣に存在するのだ.ほとんど痛みをともなうほどの悲しさをもって,その堪えがたい現実を受け止めざるをえない出来事でした.

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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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