今年のツーリングを振り返って

2010年にZ4に乗ろうと決めてから始めたこのブログ.しかし最初からそんなに毎週毎週どこかへ行けるとは考えていなかったので,ここに書くことはおそらく,週末に仕事がなくて天気が良ければドライブへ行きたいなと願いつつ,結局は日常のメモがほとんどになるだろうということで,ブログのタイトルも「開蓋日和を待ちながら」にしたのでした.事実,このところコンサートのメモやそれに触発されて書いている独り言ばかりです.

現在,Z4のトリップメータは25000kmを少し超えたあたりです.平均すると年間7000km弱を走っていて,当初の予想よりは多い気がします.エンジンをかけるのは月に2~3回で普段使いはまったくしていないので,一度ガレージから出したらそれなりの距離を走って帰ってきていることにはなります.

しかし,今年を振り返るに,遠出をしたと思えるのは以下に過ぎません.

・淡路島の南端から西岸を北上するドライブ    200km
・最後の桜を探すドライブ(北摂から北兵庫方面) 200km
・三方五湖を巡るドライブ            250km
・義仲寺から延暦寺を巡るドライブ        150km
・藤の名所を巡るドライブ(北摂から北兵庫方面) 200km
・伊吹山ドライブウェイと花畑のドライブ     200km
・東北の樹海と火山を巡るドライブ        3000km
・舞鶴市中を巡るドライブ(2回)         400km
・大山の秋を探すドライブ            500km

概算ですが合計5100km.あと北摂地域を何度か走った程度です.東北へ行かなかったらZ4を維持している意味は半減でしたね.計画としては四国や信州もあったのですが,天候や仕事の都合がつかないことで実現はしませんでした.

来年は前回行けなかった南九州や今年果たせなかった四国と信州に行ってみたいですね.夏はやはり北海道かなあ.東北もすばらしかったけど,夏空の下をフルオープンで思う存分駆け巡る悦びはやはり北海道でないと味わえないように思えます.

5年間だけ乗るつもりで手に入れたZ4.残すところあと1年と少しです.来年の今頃は乗り続けるかどうかの決断を迫られているはずです.いずれにしても後悔しないように,安全に,楽しみたいと思います.

飯島耕一 『ランボー以後』

年の暮れも押し迫ってから追悼記事ばかり書いているような気がしますが,この10月に亡くなった詩人・飯島耕一のことを記しておこうと思います.

高校3年生の3月,大学の入試が終わって自宅に戻り,ゴロゴロしながらあれじゃ合格は無理だよなーと,浪人生活をするつもりになっていた時のことでした. 暇にまかせて立ち寄った書店で,たまたま飯島耕一の「ランボー以後」が眼に入りました.アルチュール・ランボーの詩は堀口大學の訳で読んでいて,ランボーが詩人であった年齢がちょうと私のそのころと一致していたため,何となく挑戦するような気分で読み解こうと苦労していたのです.何しろさっぱりわからないくせに大変な魅力を感じていたので.


ランボー以後 (1975年)

当時アルチュール・ランボーというと,十代後半から二十代前半にかけての数年間だけ詩を書き,筆を折ったあとは商人として文明化されていない地域を渡り歩いたこのフランス人について,なぜ詩作を放棄したのか,なぜ当時の欧州からみて辺境と呼べるような場所ばかりを居場所としたのか,など,主にその「神話」についての関心から語られることも多かったのです.

しかし飯島はこの本で,ランボーのことばそのものに回帰せよと説きます.そして次の詩をあげて,「しかしこの十行は美しい.この十行の前にいることが,こころよい」と言っています.

       『五月の軍旗』    アルチュール・ランボー   飯島耕一訳

   菩提樹の明るい枝に,

   弱った猟師の叫び声(アラリ)が死ぬ.

   だが霊的な歌は

   スグリの木のあいだを飛び交う.

   われらの血がおまえたちの血管のなかで笑うように.

   見よ,葡萄の木のからまりを.

   空は一人の天使のように美しい.

   空の青と波は一つに結ばれる.

   ぼくは出発する.光がぼくを傷つけたら

   苔の上でくたばることにしよう.



わたしは前半部分,まぶしい光の中で音がするのに静謐感があるところとか,後半の意志的なところが好きでした.飯島は7行目の「空は一人の天使のように美しい」をエリュアールの「大地は一個のオレンジのように青い」と関連づけ,ランボーの詩がシュルレアリズムのさきがけとなったことを強調していますが,私は「空は一人の天使のように美しい」というのはありふれた印象があってあまり感銘を受けませんでした.しかし,この本の文章をぱらぱらと拾い読みしたことで,19世紀末から20世紀にかけての文学や絵画について関心を持つきっかけが与えられました.

飯島はこの後しばらくして次第に日本文化へ回帰してゆき,宮古島をはじめとする離島や海への視線を経由して江戸時代の文芸などへ関心の対象を移していったようです.享年83.明治大学の教授をしながらの精力的な創作活動でした. なお,浪人するつもりで集めた予備校の案内を傍らに置き,畳に寝転んで「ランボー以後」を読んでいた私は,どうしたわけか予想していなかった入試合格の連絡を受け取りました.慌ただしく引っ越しの準備を始めた私は,引っ越し荷物の中にこの本を入れました. それから数十年,十数回の転居を経てこの本はずっと私の手元にあります.

さよならバードランド

先日,ジム・ホールの項でちょっと触れた「さよならバードランド」.ベーシストのビル・クロウ原作のジャズメン・ドキュメンタリー(?)を村上春樹が翻訳した本です.


さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 (新潮文庫)
書籍

1950年代以降のモダンジャズシーンの裏話集.実のところ作者のビル・クロウによるフィクションがかなり入っているんじゃないかと思えるほどな驚きのジャズミュージシャンの生態に抱腹絶倒.たとえばクロード・ソーンヒルのバンドでアルトを吹いていたジーン・クイルの項.この人は私にはフィル・ウッズとの双頭バンドでの演奏の方が馴染みがありますが,とにかくとてつもない乱痴気騒ぎが描かれます.まったくハタ迷惑な連中としか言いようがありません.

そうかと思えば,クラリネットのピー・ウィー・ラッセルについての記述はペーソスにあふれて,どうやらビル・クロウとはうまがあったらしいこの人物の言葉やふるまいが,大変魅力的に味わい深く記されています.

私がいちばん好きなのは,この本の最後に置かれた「ズート・シムズの死」の項です.肝臓がんで亡くなったズートの最期が記録されています.愛すべき人柄だったという彼の死の2日前の友人達とのやりとりです.クロウによると, 演奏したいと言い出したズートの意をくんで,友人のミュージシャン達を集めます.もう楽器を組み立てる力もなくなったズートで,彼のセルマーから出た音は弱々しいものでした.2曲演奏して終わりにしようということになったあと,以下のような描写があります.

『ズートは楽器をケースにしまいこみながら,哀しそうに顔を上げた.
 「やれやれ」と彼は言った.「これじゃまたいちからやり直さなくちゃならないみたいだな」』

ヨレヨレになっても冗談を飛ばしている明るさがいかにもジャズ・ミュージシャンらしい. クロウがこの本の最後をズートの死で締めくくったのは,最後のジャズ・ミュージシャンが逝ったと感じたからかもしれませんね.

聖書を読んだことありますか?

何か新興宗教団体の勧誘みたいなタイトルですが,キリスト教音楽の話です.

私の通っていた高校はプロテスタント系ミッションスクールであったため,聖書の内容を講義する授業があり,また授業の合間には礼拝の時間もありました.礼拝が始まる時刻を知らせるために,各教室にバッハの「トッカータとフーガニ短調」のオルガンが大音量で放送されたものでした.

私はこの礼拝の時間に賛美歌を歌うのが大好きでした.メロディはごく単純で,初見でも数小節歌えばだいたい後の見当はつきましたし,一度聴いたら忘れることはありません.生徒全員で数百人のユニゾンというのは迫力があり,歌いながら聴いていても結構感動的なものです.私だけでなく,周りの生徒達もこの時間が嫌いな者はほとんどいなかったと思います.

おそらくはそのせいで,私はキリスト教音楽(宗教音楽)に抵抗がありません.キリスト教そのものに関しては,私には二元論的に感じられるその世界観や悲壮感ありすぎの教義になじめませんでしたが,それでも高校3年間で相当な刷り込みが行われたようです.

それととともに,聖書にも触れることができ,特にイエスの言行録である4つの福音書をまがりなりにも読んでみたことは,ずっと後になって普段自分の周囲にはない文化を理解する上で役立ったと思っています.たとえば次の2枚のディスク.シュッツの「十字架上の七つの言葉」とバッハの「マタイ受難曲」.


Schutz:Musikalische Exequien/Die Sieben Worte
Jesu Cristi am Kreuz


バッハ:マタイ受難曲 BWV244



イエスは二人の犯罪人とともに十字架に架けられますが,シュッツの「七つの言葉」では,その犯罪人のうちの一人がイエスに向かって「おまえが本当にキリストなら,自分自身と我々を救ってみせろ」と罵り,それをもう一人の罪人がたしなめるという,死を目前にした人間達の苛烈なやりとりが描かれます.これはルカ伝にもっとも克明に記されている有名な場面で,極限状態の人間の真実として初めて読んだときから深く印象に残っていました.

また,バッハの「マタイ」でも,たとえばアルトが歌う痛切なアリア「憐れみたまえ わが神よ」を本当に聴きとるためには,やはりイエスの予言通り三度の否認をしたペテロの嘆きを知り,しかもそれはたとえキリスト教に無関係な異教徒にとっても普遍性を持つ状況であると気づく必要があるのだろうと思います.

救済や解放を求めるのではなく,音楽や絵画に描かれた人間の真実を知るためにキリスト教の聖書を読むのは,死んだら仏教徒として葬式が執り行われる私には「アリ」です.いかがでしょうか?


ジム・ホール死去

ジム・ホールが亡くなったとの報道がありました.

ギタリストとしてジャズ界にデビューしたのは1950年代,初めてのリーダー作「Jazz guiter」は1957年の録音です.ジャズマンとしての活動をウェストコーストでスタートさせたこともあり,初期の経歴は同時代を生きたジャズ・ジャイアンツのように華々しくはありません.しかし,以前ここでも少しだけ触れたように,ビル・エヴァンスとのデュオ作品を皮切りに,この時代最先端のベーシストと見られていたロン・カーターとのデュオ,さらにずっと後になってジム・ホールへの敬意を表していたパット・メセニーとのデュオなど,緊密で知的な対話を軸とする音楽にオリジナリティを発揮し,ジャズ・ギターの巨匠として大いに尊敬を集めることになりました.

アルバムを2枚だけ挙げておきます.一つはデビュー作,もう一つは1970年代のリラックスした感じのライブ盤です.ジム・ホールを聴くならまずこれらを聴け,という意味ではまったくなく,私の持っているアルバムの中で,ジャケットに彼の姿が比較的大きく写っているものを選んだだけのことです.
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ジャズ・ギター


Live!

あの時代のジャズマン特有の放埒な生活にも,それほどどっぷり浸かったわけではなさそうです.その音楽からも,穏当な人格を想像させます.やはり,ジャズ界では知性の側に立つ音楽家と言っていいと思います.ただ,ビル・クロウの「さよならバードランド」を読むと,その知的なホールにもこんな一面があったのかと笑ってしまう記述があります.

「僕(ビル・クロウ)はとにかくジム・ホールとは馬鹿話ばかりしていた.彼はすばらしいユーモアのセンスを持っていた.ある日の夜,ポールとジュフリーとボブ・ブルックマイヤーが僕のアパートにやってきた.そして僕らはそれぞれに持ち話を披露し始めた.ホールは暖炉の前に寝ころんで,首のうしろで両手を組んでいた.僕の言ったことが何かものすごく面白かったみたいで,彼は笑い転げながら,痙攣したみたいにひょっひょっと空中に飛び跳ねた.そのおかげで彼の左肩が脱臼してしまった.痛みに涙を流しながら,それでもまだ彼は笑い転げていた.
 ブルックマイヤーとジュフリーは慌てて彼をセント・ヴィンセント病院に連れていった.そしてその緊急治療室で彼は肩の骨を元通りにしてもらった.・・・それ以来僕は,ジム・ホールの前ではあまり馬鹿な話はしないように心がけている.」

享年83.ご冥福を祈ります.

モーツァルトのピアノ協奏曲(10番台)

モーツァルトの10番台のピアノ協奏曲の録音は,内田光子が1980年代にジェフリー・テイト指揮でイギリス室内オーケストラによる伴奏のものを聴いています.


Mozart: Early Piano Concertos

Piano Concertos 9, 14, 15, 17 & 18, Rondo


9番,13番,15番など,今では純粋に愉しめるようになりました.ただ内田の演奏で聴くと,モーツァルトに限らず作品がもともと持っているスケールよりずっと大きくなってしまうようなところがあります.それが良いのか悪いのかはともかくとして,若い頃には私にとってまったく存在意義のなかったこれらの曲が愛すべきものへと変貌したのは,やはり演奏者の力のなすところと言わざるを得ません.

内田は最近になってクリーブランド管を自分で指揮してこれらの協奏曲を再録音しているようです.20年の間にどのようにその音楽が深化したのか,聴いてみるのが楽しみです.

天才の極印 -続き

それからかなりの年月が過ぎ,ジャズだけでなくクラシック音楽も少しずつとはいえ聴き進んできた私は,たまたま吉田秀和の文章に出会いました.私にとって決して読みやすいとは言えませんが,日本におけるクラシック音楽評論家の草分けとして,現在ではすでに歴史上の人物となっている過去の著名な音楽家との交流譚も数多く,何より音楽にとどまらず様々な芸術に対する造詣が深く,語り口にも品格があります.

その吉田の『モーツァルトの手紙』を読んだときのことです.当然,小林秀雄が引用した「あの手紙」のことが気になりました.ところがどれだけページをめくっても出てきません.やっと最後の最後,付録的に追加された部分で,この手紙のことが述べられていました.ちゃんと吉田自身の丁寧な和訳が示された上で,現在ではこの有名な手紙は「ほぼ偽物だと断定されている」とありました.


モーツァルトの手紙 (講談社学術文庫)
書籍


長年,モーツァルトの天才の極印と信じてきた手紙が実は後世の誰かの創作であった.これには正直かなりガックリきました.確かに言われてみるとできすぎた手紙だよなあと思わないでもありません.しかし改めて読んでみて,人間の創作活動を描写した文章として,これ以上魅力的なものにはなかなかお目にかかれないのもやはり事実です.

ただこの何十年の間に,私はくだんの手紙の真贋にかかわらず,モーツァルトの音楽をとても愉しめるようになりました.晩年(とはいっても30そこそこ)に書かれた様々な楽器によるコンチェルト群はどれも名作揃いで,これらを繰り返し聴くことでモーツァルトの世界に少しずつなじむことができました.ピアノ協奏曲も,昔は20番台しか価値がないように思っていましたが,20代の後半までに作曲された10番台の作品にも,ただ優美さに安住するだけではないほの暗さを聴き取れるようになってきました.もはやモーツァルトの音楽が単純だとか子供っぽいなどとはこれっぽっちも思いません.それどころか,精妙すぎて私にはまだ聴き取れないものがたくさんあると感じています.

振り返ってみれば結局のところ,音楽を理解するには音楽を聴くしかなかったということです.時間を経て自分自身が様々な感情を経験しつつ少しずつ変化し,気がついてみると今の自分にフィットするものがおのずと見つかったというところでしょうか.もっとも,モーツァルトは10代や20代の若さでありながら,年齢を重ねた人間にも十分すぎるほど説得的な芸術を生み出したわけです.それを可能にしたのは,教育? 経験? 自分の経験していない感情すら表現できてしまうのは何故? 不思議感は今でも残ったままです.

天才の極印

モーツァルトの音楽は長いこと苦手でした.音数が少なく,単純すぎ,楽天的に過ぎる.早い話が子供っぽく,大人が真剣に聴くようなものではない気がして,いくら聴いても世のクラシック音楽ファンが褒めるほどには良さを理解できませんでした.

モーツァルト音楽の要諦は何なのか? それが知りたくて,若いころ最初に読んでみたのが小林秀雄の評論『モオツァルト』です.


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
書籍

モーツァルトの作品ではきわめて数の少ない短調作品ばかり偏って採りあげているとか,オペラをほとんど無視しているとか,様々な批判は可能でしょう.しかしこの文章が,作曲家に対する敬意と愛情に満ちていることだけは確かです.

しかし小林秀雄の『モオツァルト』は,当時の私の疑問には応えてくれませんでした.モーツァルトとしてはシリアスな曲ばかり採りあげられていて,美しさや哀しさを説かれても「そりゃあそうでしょう」という感想しか持てなかったからです.むしろこの評論で,もっとも強く私の興味を惹いたのはモーツァルトが自分自身の作曲過程について語ったとされる手紙でした.そこにはたとえば以下のように驚くべきことが述べられています.

   構想は,宛も奔流の様に,実に鮮やかに心の中に姿を現します.然し,それが何処から来るのか,どうして現れるのか私には判らないし,私とてもこれに一指も触れることは出来ません.』
   それは,たとえどんなに長いものであろうとも,私の頭の中で実際に殆ど完成される.私は,丁度美しい一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に,心のうちで,一目でそれを見渡します.』
   だから後で書く段になれば,脳髄という袋の中から,今申し上げたようにして蒐集したものを取り出してくるだけです.』

だから,自分は家族と無駄話をしながら作曲できるし,2曲を並行して作り出すこともできるのだというわけです.これはまったく信じがたいことですが,しかし確かにモーツァルトの自筆楽譜を見ると本当に美しくて修正がなく,作曲に伴う苦闘の過程がそのまま表われたようなベートーヴェンの楽譜などとは大きな違いがあります.

私は初めてこれを読んだとき,今で言うQRコードのようなものを思い浮かべました.当時はもちろんQRコードなどまだこの世に存在していなかったわけですが,シャノン流の符号理論は多少知っていたので,頭に浮かんだ抽象絵画的なイメージを復号して機械的に楽譜に起こしていくプロセスがぼんやりと思い浮かんだわけです.

この手紙にいたく感心した私は,これこそモーツァルトの天才の証だと思いました.モーツァルトの音楽を理解できるようになったわけではありませんでしたが,信じられないような才能を与えられた正真正銘の天才であることは間違いないと思ったのでした.
(続く)

大阪フィルの『春の祭典』

大阪フィルの定期演奏会を聴きました.

20131206.jpg



大阪フィルでは以前オルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴き,合唱隊も入った中で打楽器が大活躍するこの曲を実に生き生きと演奏してくれた記憶があり,今回「春の祭典」となればこれは聴かねばならぬとシンフォニーホールへ出かけました.席は2階の中央やや右寄り.今日の指揮はウルバンスキです.

前半はまずポーランドの作曲家ベンデレツキの「広島の犠牲への哀歌」.当初は特に広島の惨禍を意識して書かれた曲ではなかったようですが,何回かの改題を経て日本公演をきっかけにこの曲名に落ち着いたとのこと.弦楽器だけで演奏される10分程度の短い曲ですが,不穏なリズムの上を痛々しくかすれた弦が漂い,哀歌とは言っても「癒し」などは一片も感じられません.しかし,世間一般の認識とは異なるかもしれませんが,芸術に「癒し」の機能など必要ありません.芸術に何かできるとしたら,それは起こってしまったことにただ寄り添うことだけでしょう.ポーランドはドイツやロシアといった周辺強国に蹂躙され続けた歴史を持つ国家であり,芸術家の心情は悲劇への親和性が高いのかもしれません.

前半2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第18番.「広島の~」から一転して古典が演奏されます.モーツァルトのピアノ協奏曲の曲調は第20番を境にがらりとシリアスなものに変化します.一方で10番台は現代におけるクラシック音楽鑑賞の対象としてはやや物足りないのか,あまり演奏されないように思います.実際,この18番でも第1楽章は一聴して明るいという以上にほぼ能天気といっていいお気楽さ加減で,想定されている聴衆がまあそういった連中だったんだろうなと感じます.しかし,よくよく聴いてみると,そのお気楽さは外面的なもので,時折いかにも耐えきれないかのように気分の翳りが顔を出します.これを聴き取れるかどうかがモーツァルトの音楽を本当に好きになれるかどうかの分かれ目で,私は長いことこれがわからず,なんておバカな音楽だろうと思っていました.吉田秀和は確かこんな風に言ってたと思います.「モーツァルトの音楽では,白昼の光のなかでとてつもなく哀しいことが起こる.」 ピアノはフセイン・セルメット.

そして休憩をはさんでいよいよストラヴィンスキーです.なんと言っても「春の祭典」はどこの国でもクラシック音楽第1位の人気曲で,当然私にとっても特別感があります.ライブで聴くのは初めてなので,大編成オケの後方にずらりと並んだ打楽器群を見て始まる前から気分が高揚します.

この曲はとくに文章で感想を述べるのは難しいので,無理はしません.突然雷鳴のように轟くティンパニ.管弦楽法のテキストを無視したように連打される大太鼓.不気味な低音楽器群のうなり.これらに身をゆだね,聴き手が自身の精神・肉体の根源部分が揺さぶられるのを感じるのが正しい聴き方でしょう.文学的解釈などまったく無意味です.曲のプログラミングもユニークで,愉しい2時間でした.


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choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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