断念したモンテヴェルディ 『ポッペアの戴冠』

兵庫県立芸術文化センターで本日上演されたモンテヴェルディの 『ポッペアの戴冠』.コンサート形式とはいえ,私にとって初めてのオペラ鑑賞だったはずなのですが,阪神間が台風19号の直撃を受け,暴風警報でJRはすべての路線で運航取りやめ,私鉄も状況によってどうなるかわからないというアナウンスがなされる中,ホールまで行けても帰りの交通が心配.結局見に行くのを断念しました.チケットは払い戻ししてくれるそうです.

20141013x.jpg

オペラは食わず嫌いと言われようが何だろうがこれまでまったくライブで観る気がせず,そういう意味ではクラシック音楽の半分を聴いていないことになるわけです.しかしもし最初にライブで観るとしたら,こういうバロック劇はいいのかなと思っていました.モンテヴェルディは美しい『聖母マリアの夕べの祈り』の作曲家です.こういう人のオペラならつまらないはずはない気がしていたので,今回観る機会を逸したことは大変残念です.またの機会を待つことにします.

聴けなかった...シューマン・ブラームス プロジェクト第3回

下野竜也指揮による「シューマン&ブラームス プロジェクト」 第3回公演.本日でしたが仕事があって聴くことができませんでした.残念.まあ半年以上先の公演なんて,こうなる確率はかなり高いわけです.持っていたチケットは知人が買ってくれました.

20140312_1.jpg


20140531.jpg


ブラームスのヴァイオリン協奏曲は,この作曲家の円熟期に書かれ,しかも先日ここに書いたようにピアノ協奏曲第2番のような瑕疵(というと何を言うかと叱られそうですが)がない完璧な作品と思えます.緩徐楽章では魅力的な主題をオーボエが担当するというブラームスらしさもちゃんとあります.

シューマンの2番はかなり深刻で痛々しさすらある作品と思えますが,音楽としての愉しさはたっぷりあってやはり魅力的な作品です.

これらを下野がどのように解釈したのか,そして今回のアンコールも「トロイメライ」だったはずですが,それにどんな工夫があったのか,聴いてみたかったです.

聖書を読んだことありますか?

何か新興宗教団体の勧誘みたいなタイトルですが,キリスト教音楽の話です.

私の通っていた高校はプロテスタント系ミッションスクールであったため,聖書の内容を講義する授業があり,また授業の合間には礼拝の時間もありました.礼拝が始まる時刻を知らせるために,各教室にバッハの「トッカータとフーガニ短調」のオルガンが大音量で放送されたものでした.

私はこの礼拝の時間に賛美歌を歌うのが大好きでした.メロディはごく単純で,初見でも数小節歌えばだいたい後の見当はつきましたし,一度聴いたら忘れることはありません.生徒全員で数百人のユニゾンというのは迫力があり,歌いながら聴いていても結構感動的なものです.私だけでなく,周りの生徒達もこの時間が嫌いな者はほとんどいなかったと思います.

おそらくはそのせいで,私はキリスト教音楽(宗教音楽)に抵抗がありません.キリスト教そのものに関しては,私には二元論的に感じられるその世界観や悲壮感ありすぎの教義になじめませんでしたが,それでも高校3年間で相当な刷り込みが行われたようです.

それととともに,聖書にも触れることができ,特にイエスの言行録である4つの福音書をまがりなりにも読んでみたことは,ずっと後になって普段自分の周囲にはない文化を理解する上で役立ったと思っています.たとえば次の2枚のディスク.シュッツの「十字架上の七つの言葉」とバッハの「マタイ受難曲」.


Schutz:Musikalische Exequien/Die Sieben Worte
Jesu Cristi am Kreuz


バッハ:マタイ受難曲 BWV244



イエスは二人の犯罪人とともに十字架に架けられますが,シュッツの「七つの言葉」では,その犯罪人のうちの一人がイエスに向かって「おまえが本当にキリストなら,自分自身と我々を救ってみせろ」と罵り,それをもう一人の罪人がたしなめるという,死を目前にした人間達の苛烈なやりとりが描かれます.これはルカ伝にもっとも克明に記されている有名な場面で,極限状態の人間の真実として初めて読んだときから深く印象に残っていました.

また,バッハの「マタイ」でも,たとえばアルトが歌う痛切なアリア「憐れみたまえ わが神よ」を本当に聴きとるためには,やはりイエスの予言通り三度の否認をしたペテロの嘆きを知り,しかもそれはたとえキリスト教に無関係な異教徒にとっても普遍性を持つ状況であると気づく必要があるのだろうと思います.

救済や解放を求めるのではなく,音楽や絵画に描かれた人間の真実を知るためにキリスト教の聖書を読むのは,死んだら仏教徒として葬式が執り行われる私には「アリ」です.いかがでしょうか?


天才の極印 -続き

それからかなりの年月が過ぎ,ジャズだけでなくクラシック音楽も少しずつとはいえ聴き進んできた私は,たまたま吉田秀和の文章に出会いました.私にとって決して読みやすいとは言えませんが,日本におけるクラシック音楽評論家の草分けとして,現在ではすでに歴史上の人物となっている過去の著名な音楽家との交流譚も数多く,何より音楽にとどまらず様々な芸術に対する造詣が深く,語り口にも品格があります.

その吉田の『モーツァルトの手紙』を読んだときのことです.当然,小林秀雄が引用した「あの手紙」のことが気になりました.ところがどれだけページをめくっても出てきません.やっと最後の最後,付録的に追加された部分で,この手紙のことが述べられていました.ちゃんと吉田自身の丁寧な和訳が示された上で,現在ではこの有名な手紙は「ほぼ偽物だと断定されている」とありました.


モーツァルトの手紙 (講談社学術文庫)
書籍


長年,モーツァルトの天才の極印と信じてきた手紙が実は後世の誰かの創作であった.これには正直かなりガックリきました.確かに言われてみるとできすぎた手紙だよなあと思わないでもありません.しかし改めて読んでみて,人間の創作活動を描写した文章として,これ以上魅力的なものにはなかなかお目にかかれないのもやはり事実です.

ただこの何十年の間に,私はくだんの手紙の真贋にかかわらず,モーツァルトの音楽をとても愉しめるようになりました.晩年(とはいっても30そこそこ)に書かれた様々な楽器によるコンチェルト群はどれも名作揃いで,これらを繰り返し聴くことでモーツァルトの世界に少しずつなじむことができました.ピアノ協奏曲も,昔は20番台しか価値がないように思っていましたが,20代の後半までに作曲された10番台の作品にも,ただ優美さに安住するだけではないほの暗さを聴き取れるようになってきました.もはやモーツァルトの音楽が単純だとか子供っぽいなどとはこれっぽっちも思いません.それどころか,精妙すぎて私にはまだ聴き取れないものがたくさんあると感じています.

振り返ってみれば結局のところ,音楽を理解するには音楽を聴くしかなかったということです.時間を経て自分自身が様々な感情を経験しつつ少しずつ変化し,気がついてみると今の自分にフィットするものがおのずと見つかったというところでしょうか.もっとも,モーツァルトは10代や20代の若さでありながら,年齢を重ねた人間にも十分すぎるほど説得的な芸術を生み出したわけです.それを可能にしたのは,教育? 経験? 自分の経験していない感情すら表現できてしまうのは何故? 不思議感は今でも残ったままです.

天才の極印

モーツァルトの音楽は長いこと苦手でした.音数が少なく,単純すぎ,楽天的に過ぎる.早い話が子供っぽく,大人が真剣に聴くようなものではない気がして,いくら聴いても世のクラシック音楽ファンが褒めるほどには良さを理解できませんでした.

モーツァルト音楽の要諦は何なのか? それが知りたくて,若いころ最初に読んでみたのが小林秀雄の評論『モオツァルト』です.


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
書籍

モーツァルトの作品ではきわめて数の少ない短調作品ばかり偏って採りあげているとか,オペラをほとんど無視しているとか,様々な批判は可能でしょう.しかしこの文章が,作曲家に対する敬意と愛情に満ちていることだけは確かです.

しかし小林秀雄の『モオツァルト』は,当時の私の疑問には応えてくれませんでした.モーツァルトとしてはシリアスな曲ばかり採りあげられていて,美しさや哀しさを説かれても「そりゃあそうでしょう」という感想しか持てなかったからです.むしろこの評論で,もっとも強く私の興味を惹いたのはモーツァルトが自分自身の作曲過程について語ったとされる手紙でした.そこにはたとえば以下のように驚くべきことが述べられています.

   構想は,宛も奔流の様に,実に鮮やかに心の中に姿を現します.然し,それが何処から来るのか,どうして現れるのか私には判らないし,私とてもこれに一指も触れることは出来ません.』
   それは,たとえどんなに長いものであろうとも,私の頭の中で実際に殆ど完成される.私は,丁度美しい一幅の絵或いは麗しい人でも見る様に,心のうちで,一目でそれを見渡します.』
   だから後で書く段になれば,脳髄という袋の中から,今申し上げたようにして蒐集したものを取り出してくるだけです.』

だから,自分は家族と無駄話をしながら作曲できるし,2曲を並行して作り出すこともできるのだというわけです.これはまったく信じがたいことですが,しかし確かにモーツァルトの自筆楽譜を見ると本当に美しくて修正がなく,作曲に伴う苦闘の過程がそのまま表われたようなベートーヴェンの楽譜などとは大きな違いがあります.

私は初めてこれを読んだとき,今で言うQRコードのようなものを思い浮かべました.当時はもちろんQRコードなどまだこの世に存在していなかったわけですが,シャノン流の符号理論は多少知っていたので,頭に浮かんだ抽象絵画的なイメージを復号して機械的に楽譜に起こしていくプロセスがぼんやりと思い浮かんだわけです.

この手紙にいたく感心した私は,これこそモーツァルトの天才の証だと思いました.モーツァルトの音楽を理解できるようになったわけではありませんでしたが,信じられないような才能を与えられた正真正銘の天才であることは間違いないと思ったのでした.
(続く)

プロフィール

choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
FC2カウンター