エルガーの交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲を聴く

演奏機会の少ないエルガーのヴァイオリン協奏曲が聴けました.兵庫県立芸術文化センター.

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以前,このヴァイオリン協奏曲をヒラリー・ハーンが弾いたアルバムのことに触れたことがあります.そこでも書いたように,とにかくこの曲は演奏時間が長い.特に第3楽章が長い.第1,第2楽章の美点は理解しつつも,第3楽章のいつ終わるともつかない独白には辟易させられる・・・ 演奏機会が少ないのは,そんなところに理由があるのかもしれません.

もちろん,私自身はこの曲が大好きです.最終章は何が言いたいのかよくはわからないけれど,この切実さには耳を傾けざるをえないというようなところがあります.それにしてもイギリス人というのはこういう人たちなのかな.

ヴァイオリンは,この曲の演奏をライフワークとしているという漆原朝子.指揮はイギリスのジョセフ・ウォルフ.古典的な協奏曲は室内楽的な小規模編成で演奏されるのが常ですが,この曲でのPACオケは交響曲に匹敵する編成でした.

比較的長い導入部を経て入ってきた漆原のヴァイオリンは,美音というよりは陰影の強さを感じる暗めの音色ですが,この曲にはよくマッチしているように思いました.翳りのある曲調で叙情的ではありますが,一方できりりと背筋が伸びるようなところがあって,情緒に流れるような場面は一切ありません.第3楽章をライブで聴けたのは本当によかった.独白の過程にある種の逡巡は感じるものの,真実味にあふれた音楽で感動的でした.エルガーの協奏曲は,有名ヴァイオリニストなら誰でも録音しているというものではないので,漆原の録音が待たれます.

休憩をはさんで交響曲第1番です.こちらは比較的演奏されているようですが,私は初めてライブで聴きます.20世紀の音楽としては古風な感じがしますが,19世紀のブラームスとは違うし,もちろんブルックナーとも違う.チャイコフスキーとはもっと違うし,シベリウスほどのローカル性は感じない.しかし“英国的威厳”みたいなものがあるとしたら,まさにこうしたものだろうと思われる気風に満ちています.

そういう意味でのローカル性は確かにあって,この曲が英米で特に人気が高いと言われるのも頷けます.変イ長調という,弦楽には適さないとされて交響曲にはあまり使用されない調で書かれているせいか,第1楽章の行進曲風の場面でもどこか足取りが重めです.こういうところがアングロ・サクソン的自律の表明なのかもしれません.

前半も後半もすばらしい演奏で,観客からはアンコールを求める拍手が止みませんでしたが,結局指揮者とヴァイオリニストがそれに応えることはありませんでした.私はこの日のプログラムであれば,アンコールはなくてよかったと思います.


クリスマス・オラトリオ2016@カトリック夙川教会

この時期に夙川教会に来るのも3年目です.今年は曜日の関係で26日の開催となったクリスマスコンサート.

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これまで三回とも,バッハのクリスマス・オラトリオは第1部から第3部が後半に演奏されるのは同じです.2年前は前半にバッハの『マニフィカト』,昨年はヘンデルの『メサイア』が演奏されました.今年はシュッツの『クリスマス.オラトリオ』です.

シュッツについては,このブログで過去に一度だけ,キリストの受難を描いた『十字架上の七つの言葉』について触れたことがあります.あのときも書いたように,このオラトリオは大変深刻な場面を含んでいて,描き方もきわめて劇的な演出がなされています.

しかし今回聴いた『クリスマス・オラトリオ』は,それとは対照的にキリストの生誕を聖書の記述にしたがってどちらかというと淡々と抑制的に描写する音楽でした.ちょうど昨日国立国際美術館で見たアンドレア・プレヴィターリの『キリストの降誕』に感じられた,素朴で静かなよろこびと-もしかしたら将来訪れる受難の予感が暗示されているかもしれない-共通するものがあります.

そして,シュッツから100年後のバッハの同名曲.毎年同じことを書いていますが,第1部の高らかなトランペットとティンパニによる祝祭的な音楽が全体の雰囲気を決定づけます.同じキリストの生誕を描いても,これだけのアプローチの違いがあるのだと,改めて強く気付かされました.

最後にみんなでクリスマス・キャロルを歌うのはいつも通り.今年は私たちが座った席の周囲に歌の上手い人がたくさんいて,合唱隊の中にいるような気分になりました.

須川展也サクソフォン・リサイタル

随分時間が経ってしまいましたが,クラシック畑のサクソフォン奏者・須川展也のリサイタル.ザ・フェニックスホール.義父が亡くなってすぐの公演だったのでどうしようか迷ったのですが,結局聴きに行くことにしたのでした.

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サクソフォンはジャズバンドでは横綱級の主要楽器ですが,歴史の浅い楽器だけにクラシック音楽では活躍する場面はそれほど多くないようです.それだけに,クラシック畑でサクソフォンを持って演奏家をめざすということ自体,勇気ある挑戦であり困難な開拓であったと思います.

私はもちろんジャズファンとしての関心からですが,クラシック的文脈でのサクソフォン演奏をぜひ一度ナマで聴いてみたいと思っていました.今回のリサイタルは,須川の奥さんの小柳美奈子のピアノをバックにしたデュオでの演奏です.演奏された曲は以下.

カッチー二(朝田朋之編):アヴェ・マリア
ファジル・サイ:組曲-アルト・サクソフォンとピアノのための 作品55
チック・コリア:アルト・サクソフォンとピアノのためのソナタ “Florida to Tokyo”
- 休憩 -
J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より“アルマンド”,“クーラント”,“サラバンド”,“ジーグ”
吉松隆:サイバーバード協奏曲(ピアノ・リダクション版)

最初の『アヴェ・マリア』.ジュリオ・カッチーニ(1545頃~1618)の作とされていますが,実は現代作家の模作です.それは聴けばすぐわかる.古典的な相貌を持ちつつも,所々にポップ・ミュージックの作曲家が書いたのかなと思わせるようなゴージャズな響きがあって「正体見たぞ」となります.このリサイタル全体-あるいはこの須川展也というサキソフォン奏者の有りようを総括しているような一曲と言えるかもしれません.

2曲目は,須川がピアニスト・ファジル・サイに作曲委嘱した組曲.第1楽章アレグロは颯爽とした疾走感に溢れ,チック・コリアやハービー・ハンコックの音楽のよう.第2楽章アンダンテは一転ちょっといやらしい半音階が多用され,暗い夜を行きつ戻りつ迷い歩く感じ.第3楽章プレストでは表面的なことをクダクダ回りくどくしゃべるかのよう.第4楽章の“Ironic”では変拍子の嵐,第5楽章のアンダンティーノは“子守歌のように”ですが,ピアノの低音弦が効いて夢と現実を往還.穏やかに眠れそうにはありません.第6楽章フィナーレは再びプレストで疾走.ジャズ感ありありでした.

前半最後・今度はチック・コリアへの委嘱作品.完全なクラシックのソナタ形式で書かれているのに,一聴してチック以外ではありえないフレーズが次々と現われて嬉しくなります.こんなのが譜面に書かれているのは驚きですね.安易に4ビートになったりしない点もよかったです.

休憩をはさんで最初はバッハ.バッハの無伴奏曲をサキソフォンでというと,清水靖晃がチェロ組曲を演奏したことが思い出されますし,金管楽器つながりでいうと,ラデク・バボラークがホルンで同じくチェロ組曲を演奏した録音も衝撃的でした.須川は無伴奏ヴァイオリンのパルティータを採り上げており,演奏技術的にこれがどれほど困難なことなのか,私には残念ながらわかりません.管楽器による膨らみのある音が,ホールにやわらかく響くのがとても美しくて印象に残りました.

そして最後は吉松隆のサイバーバード協奏曲.TVドラマの主題曲の作曲などでもよく知られた音楽家ですが,本当に天才的です.すばらしい.彩の鳥,悲の鳥,風の鳥という急-緩-急の3楽章構成ですが,特に急速楽章での混濁した“狂い方”やそこからの解放にはきわめてジャズ的なカタルシスがあって,現代の音楽でなければ聴けない歓びを大いに味わうことができました.

須川には,「自分の音楽は実は一般には理解されにくい」という認識がしっかりあって,実際今回のリサイタルでも中核となるサイやチック,吉松の曲は耳に心地よいばかりではありません.でもその歯ごたえをこそ味わいに行くのであって,ちゃんと耳の開いた音楽ファンなら間違いなく楽しめると思います.いやほんとに楽しい演奏会でした.

マリオ・ブルネロと関西フィルの演奏会を聴く

マリオ・ブルネロが関西フィルをバックにハイドンのチェロ協奏曲を演奏しました.それも1,2番両方とも.後半はドヴォルザーク.デュメイ指揮.ザ・シンフォニーホール.

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ライブで音楽を聴くのは5ヵ月ぶり.しかもオーケストラの演奏となると,昨年12月にいずみホールへいずみシンフォニエッタのモーツァルトを聴きに行って以来です.もとより地味に暮らしてきたけれど,この1年くらいは生活がさらに殺風景でイケナイ.

そうした鬱屈を,最初のハイドン・チェロ協奏曲第1番が一気に吹き飛ばしてくれました.私がこの曲をものすごく好きなことは,このブログを始めてすぐに書いたとおりです.ブルネロのチェロが出す音色は高音成分が少なく暖かい響きで,第1番第1楽章の明るい序奏に導かれて入ってきたときには,一瞬日なたの匂いを嗅いだ思いがしました.どちらかというと前ノリなタイミングでソロが進むのですが,決して慌ただしくはなくゆったり聞こえるのも,この音色に依るところが大きいように思えました.

一方で,速いパッセージが連続する場面や強奏が要求される箇所などでは,多少の破綻を畏れないライブな姿勢が顕著でした.もちろん好ましかったという意味です.この方向は陰影ある典雅な楽想をもつ第2番でも変わりません.私自身の好みから言って,世評の高い2番より若々しい1番推しということもあるかもしれませんが,今回のソリストの個性には1番の方がフィットしていたように感じました.

アンコールは2曲.最初はバッハの無伴奏チェロ第3番から『ブーレ』,そして2曲目が古謡『アルメニアの歌』で,これかとても印象的.チェロで笛のような音を出し,広大な大陸風景の中を風が吹き渡るかのよう.アルメニアには行ったことないけれど,かわりにモンゴルの草原を思い出しました.ブルネロの公演を聴くのはこれが4度目ですが,こうした一般にはあまり知られていない曲の美しさを教えてくれるところが,ある意味この人の真骨頂だと思います.

休憩をはさんで後半はドヴォルザークの交響曲第7番.ドヴォルザークの交響曲ではやはり8番と9番の知名度が高いと思うのですが,私はいずれも実演では聴いたことがないのに,どういう巡り合わせかこの第7番は2度目です.ドヴォルザークは,私の乏しい知識の範囲内では交響曲第9番第2楽章とかチェロ協奏曲など,やはりアメリカ時代に書かれたボヘミア(チェコ)への郷愁感あふれる作品から受ける印象が強いです.

しかし,ブラームスの交響曲第3番に触発されて作曲したとされるこの第7番は,表面上ボヘミア色がそれほど強く打ち出されておらず,その意味でかえって普遍性を持ちうる作品なのかもしれません.確かに,同時代の作曲家という以上にブラームスの影響を感じます.デュメイの指揮はティンパニや金管の存在感が大きくてリズムか強調されていました.全体にやや生硬な感じに聞こえたのはそのためかな.とはいえ,昨年のモーツァルトは編成が小さかったし,久しぶりにフルオケの生音を堪能できて楽しい夜でした.

五嶋みどりのリサイタルを聴く

ピアノとのデュオ・リサイタル.兵庫県立芸術文化センター.聴いてから1週間が経ってしまいましたが,メモします.これから先しばらくはこんな風に間が空いてしまいそう.

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五嶋みどりが日本でバッハ無伴奏のリサイタル・ツアーをしたときのドキュメンタリーを見たことがあります.値段をつけるとしたらきっと途方もない額になるであろうグァルネリをケースに入れて背負い,あとはスーツケースが一つ.この姿で一人,公共交通機関を乗り継いでリサイタル会場間を移動します.演奏会のない日は自分でコインランドリーへ行って洗濯をするのです.

大学教授としての活動の場にもカメラが入っていました.早朝に出勤し,淡々と高度な仕事をこなすところは,比喩が適切でないかもしれませんが,禅寺の修行僧のようにも見えました.心身の病に苦しんだ時期を乗り越えたとのことですが,私はそうした事情には詳しくありません.しかし,人間にとって不必要なものを極限まで削ぎ落としたような生活が,私のような者から見るととても清々しく感じられたことは確かです.

さてこの日のプログラムは以下.

リスト(オイストラフ編):「ウィーンの夜会」より ワルツ・カプリース 第6番(シューベルト原曲)
シェーンベルク:ピアノ伴奏を伴ったヴァイオリンのための幻想曲 op.47
ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ト長調「雨の歌」op.78
- 休憩 -
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K.454
シューベルト:ピアノとヴァイオリンのための幻想曲 ハ長調 D.934

1曲目のリスト.シューベルト作曲の3曲のワルツから題材を得て作曲されたということです.ウィーンの芳香が濃厚に漂ってきそうですが,五嶋の演奏はサロン的とか高雅というよりは情動が前面に出たものでした.五嶋自身は「贅沢な貴族の舞踏会の様子が伝わる」と説明していますが,私はむしろロマ音楽が持っているような暖かい日なたの匂いを感じました.もちろん,とても共感できるすばらしい演奏だったということが言いたいのですが.

次がシェーンベルクなので,ウィーンつながりとはいえ、リストを聴いてからの数分間に耳を取り替えておかなければなりません.跳躍のある音列は旋律と呼ぶにはやや辛口ですが,それでも何らかの意味を感じさせつつ,ヴァイオリンとピアノの対話が重ねられていきます.それが何かは私にはまだ聞こえてこないのだけれど.

前半最後はブラームスのソナタ 第1番.私個人としては,この曲の演奏はこの日聴いた演奏の中で最大の感銘を与えられたものでした.CDも持っていて比較的よく聴いている曲ですが,特に第1楽章の深い深い味わいは,これまでこの曲の中に見つけられるとは思ってもみなかったものでした.ともすれば感傷や懐かしさに流れすぎる音楽になりがちなブラームスですが,五嶋の演奏はそうした感情が昇華され,はるかに高潔なものを見せてもらった思いがして感動的でした.

休憩をはさんでモーツァルト.これも五嶋の手にかかると,単なる愉悦の音楽にはなりません.ただ,もともと持っている音楽の器より大きくなっている印象もありました.そして最後のシューベルト.31歳で亡くなる1年前に作曲された自由な形式の幻想曲です.この種の音楽としては演奏に25分はかかる大曲で,しかも切れ目なしに演奏されます.シューベルト存命中に初演されたようですが,その当時から「長すぎる」と不評だったようです.

話は少し逸れますが,村上春樹が,シューベルトの長くてとりとめない作品群の代表としてピアノ・ソナタ第17番を採り上げ,「冗長さ」,「まとまりのなさ」,「はた迷惑さ」が自分の心に馴染み,個人的に好きだと言っています.ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタにはない,心の自由なばらけのようなものがある,とも言っています.曲種は違うけれど,この曲に私が抱いた印象もそれとちょっと似ています.どこかへ向って着実に発展していくというような種類の音楽ではなく,とにかく自分の胸中にあるものを脚色なく並べてお見せします,ただし他の人が関心をもつかどうかはわかりません,といった風です.でも聴き手のうちの何人かは(たぶん私も),それに強く共感し,ある種身勝手なこの音楽を愛するようになるのではないでしょうか.五嶋の演奏を聴きながら,ぼんやりとこんなことを考えていました.

アンコールは以下の2曲.
クライスラー:愛の悲しみ
クライスラー:愛の喜び
私にとって,今回のリサイタルはここ数年聴いたものの中では最高に印象的だったうちの一つです.しかしこのアンコールはあえて弾かなくてもよかったのではないかなと思いつつ,芸文センターを後にしました.
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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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