クリスチャン・レオッタ シューベルト・プロジェクト -リサイタルⅢ

クリスチャン・レオッタのシューベルト・プロジェクト.前週に続き,リサイタルⅢを聴くことができました.京都府立府民ホール“アルティ”.

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3月18日(日),プロジェクト第3回の曲目は以下.

ピアノ・ソナタ第4番イ短調 D 537
ピアノ・ソナタ第13番イ長調 D 664

休憩

ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960

前半1曲目.第4番イ短調はシューベルトがまだ二十歳の時の作.ひきしまって厳しい感じの第1楽章第1主題ですが,リズミックなのでそれほどの深刻さは感じません.展開部は情感に満ちています.続く第2楽章の主題は,のちに第20番ピアノソナタの終楽章(第4楽章)に転用されることになります.それをわかった上で聴くと,ここでは確かに愛らしいメロディではあるものの,独り言のような語り口のスケールは小さく,これが11年後,平明さを残しつつもあれほどに感動的な20番の終楽章へと発展するのかと感慨深いものがあります.第3楽章もまたきまじめな感じの問いかけから始まりますが,すぐにそれは肯定的な気分に覆い隠されます.こういうところはやはり若さのいたすところでしょうか.

2曲目の第13番.第20番と同じ調が与えられています.シューベルト21歳の作.この作曲家のピアノソナタの中では明るさがあり,人気曲の一つでしょう.私もとても好きです.第1楽章は愛らしく優雅で,所々に現われる気分の翳りも,若者特有の憧れにともなうもので深刻さに結びつくことはありません.第2楽章は優しい旋律と繊細きわまりない和声進行.こういう音楽を聴くときは本当に全身が耳になる感じです.第3楽章は再び軽快で優美,モーツァルト的な愉悦感に満ちています.

休憩後は遺作の第21番です.昨年末に今峰由香のシューベルト・リサイタルで聴いてから間がありませんが,また聴きたいと思っていると聴けるものですね.

今峰の演奏ではちょっと気になったメゾスタッカートの解釈も,レオッタの演奏では私の抱いているこの曲のイメージに沿ったものでした.全体に穏健な表現というか,たとえば有名な低音のトリルでは,内田光子の演奏ほどには不気味な異界感に襲われることはない反面,この曲を聴くといつも思う第4楽章の不連続な明るさが抑制されていたように感じました.前にも触れたこの曲の第1楽章後半は,緊迫感を通り越して目前に迫る危機に対する畏れがより強く聴き取れました.

以上3曲ともすばらしい演奏で,聴衆の何人かによるスタンディングオベーションも自然なことと思えました.アンコールは第13番の第2楽章を再び.

リサイタル後,会場ロビーでレオッタ自身と聴衆との交流会がありました.司会者から,ベートーヴェン弾きとして有名なレオッタに,シューベルトはどう違うのか質問がありました.レオッタの回答は,ベートーヴェンのピアノソナタは,ピアノをまさに楽器のピアノとしてポリフォニックに鳴らすように作曲されているが,シューベルトはどこをとっても「歌」だということでした.

そう言えば,前週の第1回を聴いた後,会場から出て行くときに,レオッタの演奏を聴いた二人の女性が,「ベートーヴェンはいいけどシューベルトはなあ.やっぱりシューベルトは歌曲の人やろ」と話しているのが聞こえました.そのとおり確かにシューベルトは歌の人ですが,歌詞のある歌曲でなければ歌が聞こえないというのはちょっと違うだdろうということでしょう.演奏直後の音楽家のフォーマルな発言を聞けるなどめったにないことで,嬉しい体験となりました.

クリスチャン・レオッタ シューベルト・プロジェクト -リサイタルⅠ

シューベルトのピアノソナタのうち未完成のものも含めて14曲,および主要ピアノ作品とあわせて計21曲を全7回にわけて演奏する大プロジェクト.京都府立府民ホール“アルティ”.

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3月10日(土)のプロジェクト第1回の曲目は以下.

ピアノ・ソナタ第18番「幻想ソナタ」 D 894

休憩

ピアノ・ソナタ第8番 D 571
「さすらい人幻想曲」 D 760

1曲目,18番のピアノソナタは,私のとても好きな曲です.シューベルトのピアノソナタはどれも好きなので,「中でも特別」というのかもしれません.全体にとても穏やかな雰囲気が支配していて,演奏によってはどこを聴いていいのかわからないような音楽になってしまう傾向があります.ベートーヴェンの書いたような峨々たる音楽建築と比べると,一体どこから来てどこへ連れて行かれるのか不安になるような気さえすることがあります.

しかし,聴けば聴くほどこれこそがシューベルト.特に,平穏だけれど清澄であるような,静かな厳しさを内包した名人の演奏で聴くと,この曲の味わいは格段に増すように思います.レオッタの演奏を評した新聞記事に「しっかりした体幹から送り出される音」というような表現を見ましたが,これはかなりこのピアニストの本質をよく言い表しているように感じました.

非常にゆっくりしたテンポ.でもそのテンポに揺るぎがなく,演奏がとてつもない技量に支えられていることがよくわかります.粒のそろった音列が紡がれ,控えめな旋律が鮮やかに浮き立って聞こえます.ふと能の所作を連想しました.40分を超える演奏時間は私にはあっという間でした.全体にほの暗い世界での魂の彷徨を強く意識させますが,こうしたテーマはまさにシューベルト音楽の核心部です.

20分の休憩をはさんで,後半1曲目.ピアノソナタ第8番は,シューベルトが第1楽章の途中で作曲を断念したため,未完成曲としてほとんど顧みられることのない曲のようです.私もCDは持っていないし,展開部の手前で止まってしまうので,レコード会社としてもピアニストとしても,録音を躊躇するのは当然です.

しかし,この日最大の収穫は,他でもないこの未完の第8番を聴けたことでした.暗く沈んだ嬰ヘ短調.いくら短い断章(演奏時間は7~8分のようでした)だといわれても,とてもこの哀しみや苦悩に最後までつきあっていられないという人がいるかもしれません.しかし,そこにはまぎれもない心の真実があり,苦しいながらの歌もあります.そして終盤には少しずつ明るさも感じられるようになったところで,演奏は唐突に終了します.

最後は「幻想曲ハ長調」.前の2曲とは打って変わって,派手な上にきわめて演奏技巧を要する,ある意味シューベルトらしからぬ曲です.もちろんシューベルトもプロの音楽家として独り立ちする必要があったわけで,一般受けするピアノ曲も書きました.この幻想曲は,シューベルトのピアノ作品として初めて出版された曲なのだそうです.

個人的には前に演奏された2曲を好きになりすぎて,この曲が表面的に聞こえてしまって十分に曲世界に入り込めませんでした.有名曲ですが,たまたまCDを持っておらず,今回初めて聴いて理解不足だったのだろうと思います.ただ,偏見だと言われそうですが,のちにこの曲に「さすらい人幻想曲」という呼称を送って評価したのがフランツ・リストであったことは,私にとって自然に納得できることです.「冬の旅」の彷徨からははるかに遠い気がするのですけどね.

これから予定されている公演すべて聴きたいけれど,何しろ京都なので平日はとうてい無理.残念ですが,休日の公演だけはできるだけ聴きに行きたいプロジェクトです.


前田裕佳 ピアノリサイタル -近現代フランスのエスキス,エスパス,エスプリ

これもひと月が経ってしまいました.エスキス(素描),エスパス(空間),エスプリ(精神)をキーワードとしつつ,近現代のフランス・ピアノ音楽をほぼ時系列的に遡る企画.ザ・フェニックスホール

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ピアニストは前田裕佳.神戸大学院修了後,エコールノルマルでディプロマ授与.俊英です.演奏曲は以下.

G. ペソン 《No-Ja-Li》 2011
P. ルルー 《AMA 1》
B. マントヴァーニ 《明暗のための練習曲》 2003
T. ミュライユ 《ラ・マンドラゴール》 1993
P. ブーレーズ 《12のノタシオン》 1945, 《天体歴の1ページ》 2005

休憩

H. デュティユ 《レゾナンス》 1964, 《プレリュード》 1973,1977,1988
O. メシアン 《4つのリズムのエチュード》より 「火の島 1」 1950
F. プーランク 《3つの小品》 1929 より 「パストラル」,「トッカータ」 
M. ラヴェル 《亡き王女のためのパヴァーヌ》 1899, 《鏡》より「悲しい鳥たち」 1904-1905
C. ドビュッシー 《ベルガマスク組曲》 1890 より
     「月の光」, 《前奏曲集第2巻》 1911-1913 より 「霧」, 「月の光が降り注ぐテラス」

後半に演奏された曲は知っているものも多かったのですが,前半はまったく未知の世界で,かろうじてブーレーズの名前がわかるくらい.それも,指揮者としての演奏は知っていても,現代音楽作曲家としては初めてです.

前田自身が書いたかなり詳細なプログラムノートが配付されますが,特に前半に演奏される曲の多くはそれを読んだくらいで鑑賞の助けになったと思えるような音楽ではありません.しかし,美しく静かな音の断片がホールを漂い,また激しく強い不協和音が鳴り響く時にも,それに身をまかせているだけで結構心地よいものがあります.音楽について体系的な素養を持たない者がこの手の音楽を聴くときには,とりあえずわかろうとする試みを保留し,ただただ鳴っている音に耳を明け渡すことから始める方がよいように思います.

後半ではプーランクの曲に注目していました.この日演奏される曲の中では普段CDを取り出すことが一番多いからです.そして 「パストラル」や「トッカータ」を聴いて初めて,ピアニストとしての前田が,相当個性的というか,独特の観点で解釈を行っているのではないかと思い至りました.午前中の光の中でしか作曲をしなかったと言われるプーランクの曲が,(私の耳には)かなり異形の変化を遂げていました.もちろん1回聴いたくらいで好き嫌いは言えません.ただ,「異形」という言葉を使うのはやはり予期していたものとはだいぶ違った印象を受けたからなのでしょう.

アンコールで出てきた前田は,とてもフランクに語り,「関西のねえちゃん」丸出しで自由闊達な人柄が伝わりました.フランス現代音楽に行き着いたのは必然のように感じました.こうした音楽を聴ける機会は実際あまりなく,また集客も見込めないので,前田本人にも,フェニックスホールにも頑張っていただきたいと願います.また公演があれば必ず聴きにいくと思います.

シューベルト最後のピアノソナタを聴く -今峰由香リサイタル 後半(第21番)

休憩をはさんで後半は第21番のソナタ.まさにこれがシューベルト最後のピアノソナタです.

死期をほぼ悟って書かれた3曲のうちの2曲とはいえ,前半に弾かれた20番ではまだ現世への思いや友人たちへのメッセージのようなものを聴きとることができました.しかしこの21番ではもう,冒頭から彼岸の微風(体験したことはないので比喩として適切でないかもしれませんが)の芳香が漂っています.そしてそれと対比して現われる有名な低音部のトリル.

この曲の魅力はやはり長大な第1楽章に集約されると思います.一人で知らない土地の淋しい道を行きつ戻りつ.しかしここにこそシューベルトの音楽の神髄があると思わせる時間が過ぎてゆきます.そして中盤過ぎ,変ロ長調から嬰ハ短調に転調して気分が暗く沈んだかと思うと,再び原調に戻って激情を吐露したあと,次の痛切な場面が現われます.

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ここからしばらくの間の寂寥感と切迫感といったら,私には他に比べるものを思いつきません.誰の演奏を聴くときでも,私はここを身を固くして待っています.今回初めてこの曲をライブできくことができ,最弱音のニュアンスも本当に感じることができた気がします.今峰の演奏自体は,20番でもそうだったように私の持っているシューベルト像よりもやや力強い印象でしたが,明快な解釈の一つとして受容できるものでした.

第2楽章は嬰ハ短調で,陰鬱な空のもと歩み出します.しかしゆっくりというより,足がもう前に出ない感じ.途中でイ長調になって陽が射しますが,やがてまた原調に回帰し,曲調は下降しながら堂々巡りするようなラインをを辿ります.

第3楽章のスケルツォは一転して明るい様子で始まりますが,短い時間のあいだに転調していつのまにか音楽は陰影を帯びてきます.そして,第4楽章.第1楽章であのように始まった音楽が,このようなフィナーレを迎える意味が私にはまだわかりません.軽快なテンポの中で,実は意識はここにはなくどこか遠くを見ているような.今峰の演奏を聴いてもそれを理解するには至りませんでした.

この曲を最後まで聴くといつも,何か完結しないものを感じて腑に落ちない気分にとらわれます.しかし,理解できないところはそっとしておいて,いつかその瞬間が来るのを待ちたいと思います.シューベルトのピアノソナタは,この日聴いた最後の大名作群以外も今の私にとって共感できる歌と響きに満ちていますが,特にこの日のようなプログラムを真正面から採り上げてくれたピアニストに感謝したいと思います.

なお,これらの曲に関して,私が参照している楽譜は下記のものです.アマゾンの古本で購入したのですが,おそらくは若い女性と思われる字で書込みが残っています.シューベルトを「表現」するところまでいったのなら,かなりの腕前の人なのかなと思ったり,またその人の使っていた楽譜が私のような音楽の素養ほぼゼロの素人の手に渡るまでに,どのような人生の転換があったのだろうなどと想像したりしました.

 シューベルト集 2 (世界音楽全集ピアノ篇)

シューベルト最後のピアノソナタを聴く -今峰由香リサイタル 前半(第20番)

シューベルトが死を目前にして作曲し,自身では聴くことのなかった最後のピアノソナタである第20番 イ長調 D959と第21番 変ロ長調 D960.この2曲が続けて演奏されました.演奏は,ミュンヘン国立音楽大学教授の今峰由香.聴きに行ってからもう1ヶ月が経ってしまいましたが,メモを残しておきます.ザ・フェニックスホール.

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この2曲を同じプログラムの中に入れるのは,演奏者もそうだと思うのですが,聴き手の側もかなり堪えました.もちろん肯定的な意味です.この演奏会のことを知ったとき,このようなプログラムを組む演奏家もいるのだと驚いたと同時に,大きな期待を持ちました.何しろ私はこの2年近く,シューベルトのピアノソナタにはまり込んでいるといっても過言ではないので.

さて前半の20番.一聴して明確なタッチ,これまで他のピアニストの録音で聴いて抱いてきたこの曲のイメージと少し違いました.楽譜ではメゾスタッカートが多用されていて,私は他の人の演奏でこのことをあまり意識しませんでしたが,今峰の演奏ではスタッカートに近い印象でした.このピアニストのシューベルト演奏におけるアーティキュレーションの特徴として,まずこの点が顕著だと思います.

シューベルトが死を目前に意識して書いた3曲のピアノソナタの1曲で,状況としては絶望的です.しかしその一方で,私の敬愛するピアニスト伊藤恵の言葉を借りれば,シューベルト晩年(といっても30代)の音楽からは「ボクはもう行くけど,みんなはこれからも幸せにね」というメッセージが聞こえてくると.今峰の演奏からは,そうして気丈に振舞うシューベルトの姿が浮かんでくるようでした.

とはいえ,全体としてダイナミックレンジの広い演奏で,ベートーヴェンの音楽を彷彿とさせる部分が強調されているようにも聞こえました.第1楽章の最終盤で奇妙なアルペッジョが現われたあとの重たい第2楽章も,淡い幻とともに,まだ生きている人間の苦闘が交互に現われます.第3楽章もシューベルトらしく,短いスケルツォながら行きつ戻りつを繰り返します.楽しそうでいて実は淋しい.

第4楽章は感動的な主題で始まります.しかしここでもまた,祝福と昂揚した気分のうちにいると思う間もなく,それはふとしたきっかけで落胆に覆われてしまう.最後にはシューベルトは何か言いかけながら逡巡を繰り返します.主題のモチーフが途中で途切れてしまい,歌いながら「いやそうじゃないんだ,上手く言えないけどこうかな」と迷っているようにも聞こえます.そして様々な思いを振り切るようなエンディング.

それにしてもこの第4楽章は本当に素晴らしく胸打たれます.ちょっと聴きには一体どこへ行くのかわからんという印象で(特に繰り返し部分を全部演奏した場合には)退屈に感じる人も多いようです.しかし何度も何度も聴いていると,これがシューベルトの音楽の絶対的な魅力に変わってきて,これでなくてはと感じるようになります.今回の今峰のリサイタルでは,繰り返し部分を一切カットせず演奏が行われました.
(続く)
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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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