伊藤 恵 ピアノ・リサイタル

これも3週間が経ってしまいましたが,すばらしい演奏会でした.川西市・みつなかホール.

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ここ何年か,シューベルトのピアノソナタが胸に染みるようになってきました.わずか31歳で世を去った若者の音楽が私のように高齢者の仲間入りに近い年齢になってから理解できるようになるというところに,芸術の持つ不思議な力を感じます.

私の妹は十代の頃までピアノを習っていて,モーツァルトやベートーヴェンのピアノソナタを練習していました.その頃の教則本がまだ家に残っているのですが,最後のほうのページに印刷されているリストを見ると,シューベルトのピアノソナタなんて1曲も見当たりません.たぶん40年以上前には一般人が練習用に弾くという需要などほとんどなかったのかなと思われます.

しかし最近では日本人ピアニストでも内田光子のような大家がシューベルトのピアノソナタ選集(完成曲全集)を録音したりして,現代にも通用する普遍的音楽としての認識は完全に定着したと言えます.今回聴いた伊藤恵もまた,とりわけ熱心にシューベルトの音楽に取り組んでいる演奏家の一人です.この日はそのうち,第20番のピアノソナタが聴けるということで出かけました.演奏曲目は以下.

シューマン:アベッグ変奏曲 op.1
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第20番 D.959
- 休憩 -
ショパン:24の前奏曲 op.28

1曲目のシューマンは作品番号1番.まだ20歳のシューマンが書いた若々しく開放的な曲です.架空の伯爵令嬢の名をタイトルにしたというだけあって,若い女性の屈託ない笑い声が聞こえる気がしました.15年後,精神障害に悩まされて交響曲第2番の苦しいアダージョを書く人の片鱗はまったく見えません.

そしてシューベルト.この作曲家はとりわけベートーヴェンを意識した人であり,生きた時代もそれを意識せざるをえなかったわけですが,ピアノソナタで言えば特に第19番とこの第20番はベートーヴェン的な香りが濃厚な作品のように感じます.作曲されたのはシューベルトが亡くなる2ヶ月前.病状が進行し,絶望的といえる状況の中でシューベルトは後の時代に傑作と見なされるようになるピアノソナタを3曲完成させました.そのうちの一曲がこの20番です.

第1楽章は雄々しく立派に始まります.出だしからベートーヴェンの影響は明らかなようです.時折シューベルトらしい憂愁が顔を出す場面もありますが,それが支配的になることはなく,私には絶望の音楽には聞こえません.第2楽章アンダンティーノはさすがに沈痛で足取りが重く,このままどこへも行けないのではないかという無力感に苛まれます.

しかし第3楽章のスケルツォでは,苦難に満ちた状況においてユーモアのもつ力に気づき,精神の力を得て再スタートを切る意思を明確にするような音楽となり,そのままフィナーレへ.伊藤はゆったりめのテンポで,句読点のはっきりした演奏.前を向いた主題で,切迫感を持ちつつも生きようとする意思が伝わってくる気がしました.特に後半では間をたっぷり取って,今まで私が録音でこの曲を聴きながら聞き逃してしまってきたことをたくさんわからせてくれました.感動的で,終曲部分では涙が出ました.

休憩をはさんでショパン.前奏曲については,第15番の「雨だれ」が有名ですね.私はといえば,あまり言及されているところを見たことがない第13番嬰ヘ長調一択で,特にこの曲の後半部は身を固くして聴きました.ショパンがこの曲集を書いたのは30歳頃で,すでに肺疾患による体調悪化が深刻になっていました.軽い曲も多く含まれますが,込められた想いの痛切さではこの13番が一番だと思っています.

アンコールで登場した伊藤の話は,人柄の誠実さも感じられてとても好感が持てました.興味深かったのは,シューベルトの20番を絶望の歌と呼んだことです.上にも述べたように,私にはこの曲がそんなふうには聞こえず,特にフィナーレは憂いを含みながらも表明された生への賛歌のように響きました.私が楽天的すぎるのか,耳がおかしいのか,まあ両方なのかもしれないけれど,なんていい曲なんだろうと感じたことは確かです.弾き手の意図とは違っても,聴き手がハッピーになったのだから,すばらしい演奏だったに違いありません.

下野竜也のブルックナー交響曲第6番を聴く

PACオケでブルックナーの交響曲を次々と手がけてきた下野竜也.兵庫県立芸術文化センター.

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またずいぶん時間が経ってしまいました.これを聴いたのは5月28日.3週間も経ってしまいましたが,続けて聴いている下野ブルックナーなので,何とかメモを残しておきたい.

前半はロドリーゴの『アランフェス』.ジャズファンにもマイルス/ギル・エヴァンスやジム・ノールのアルバムで超有名な曲です.この日の演奏は,もともとギター協奏曲であるこの曲をハープで弾こうという試み.ソリストは吉野直子.

第1楽章の最初から,ギターよりもずっとふくらみのあるハープの音に深く印象づけられます.ギターが管弦楽をバックにするとどうしても音量の問題が生じますが,ハープだと華やかな響きがホール一杯に拡がります.有名な第2楽章のような夕暮れの陰影はなく,明るい太陽の光と風の薫り(私はスペインには行ったことないのだけれど)に溢れています.

そしてその第2楽章.ギターによる情念はやや後退する代わりに,節度と典雅の表出を味わうことができます.確かにこの楽章が与える印象がこの曲のイメージを決定づけているのは間違いありません.マイルスもジム・ホールも第2楽章だけをアレンジして演奏しているので,ジャズファンの中にはこの曲が急-緩-急というスタンダードなコンチェルトの形式を持っていることを知らない人も多いようです.

第3楽章は一転して再び明るく情熱的な音楽となります.速いパッセージが連続して現われ.ソリストの“腕前”が問われるところ.ハープという楽器の演奏は見かけよりずっと大変そうです.以前エマ・カークビーの聖歌を聴きに行ったとき,伴奏の一台がバロック・ハープでした.この楽器はペダルが無い代わり,全部で100本もある弦が3列に並んでいて,真ん中を弾くときは両側から指を入れると聞いてびっくりしました.今回吉野が弾いたのは現代オケでも一般的に使われているダブル・アクション・ペダル・ハープ.弦は47本ですが,半音と転調のためにペダルが7本もついているそうです.演奏は優雅とはほど遠いですね.ハープ・コンチェルトなんてもちろん初めて聴きましたが,全身を使って実に体育会系の楽器であることがよくわかりました.

休憩をはさんで,ブルックナーです.私の知る限り下野はこのホールで,PACオケとブルックナーを4番,7番,8番,9番の順に演奏してきました.チケットを買っていたのに聴けなかった7番が悔やまれますが,他はすべて聴いています.そして今回第6番.

7,8,9番と較べると小規模であるという以上に,音楽の構え自体のスケールがだいぶ小さい気がします.演奏に1時間以上もかかる大曲が“小さい”わけないのですが,私自身はこれまであまりこの曲を熱心に聴いてきていません.第1楽章,弦楽器の刻む細かいリズムに乗ってチェロとコントラバスによる主題が現われます.しかしこの主題は躍動的ではあるものの短く繰り返されて,後期大交響曲群に共通する息の長さが感じられません.以降の曲想の現れ方もやや文脈に乏しい感じで,“構えが小さい”というような表現をしたくなるのはこういったところに起因するのかなと思います.曲想の変転に滑らかさが欠ける感じなので,この作曲家特有のいきなりのトゥッティもちょっと煩いような...

第2楽章のアダージョは文句なく美しいです.しかしそれも私が知っている叙情とはだいぶ違って,理解できたと言うにはまだ遠いですね.7番や8番の緩徐楽章は心から没入できる気がするのだけど,この曲はなかなか手強いです.ちなみにこの楽章では私の両側にいた女性は2人とも爆睡状態でした.

第3楽章は明るく躍動的なスケルツォですが,ここでも突然咆哮するトゥッティはやや辛い.のどかな田園風景が目の前に展開したと安心していたら進軍ラッパみたいな音がいきなり響くので気が抜けません.フィナーレは豪放で,“峨々たる”というような形容詞が思い浮かびます.最後に第1楽章の主題が提示されて終わりますが,描かれた円環が永遠性を感じさせるという場面まではなく.

ブルックナー後期の大交響曲群では,深く長い内省の果てにとうとうあの世に行ってしまいました的なところがあって,もちろんこれは冗談で言っているわけでなく私の偽らざる印象なのですが,それが無二の魅力であると信じています.しかし,その耳でこの第6番を聴いてはいけないのかもしれません.腑に落ちるまでにはまだ私の修行がだいぶ必要のようです.

エルガーの交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲を聴く

演奏機会の少ないエルガーのヴァイオリン協奏曲が聴けました.兵庫県立芸術文化センター.

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以前,このヴァイオリン協奏曲をヒラリー・ハーンが弾いたアルバムのことに触れたことがあります.そこでも書いたように,とにかくこの曲は演奏時間が長い.特に第3楽章が長い.第1,第2楽章の美点は理解しつつも,第3楽章のいつ終わるともつかない独白には辟易させられる・・・ 演奏機会が少ないのは,そんなところに理由があるのかもしれません.

もちろん,私自身はこの曲が大好きです.最終章は何が言いたいのかよくはわからないけれど,この切実さには耳を傾けざるをえないというようなところがあります.それにしてもイギリス人というのはこういう人たちなのかな.

ヴァイオリンは,この曲の演奏をライフワークとしているという漆原朝子.指揮はイギリスのジョセフ・ウォルフ.古典的な協奏曲は室内楽的な小規模編成で演奏されるのが常ですが,この曲でのPACオケは交響曲に匹敵する編成でした.

比較的長い導入部を経て入ってきた漆原のヴァイオリンは,美音というよりは陰影の強さを感じる暗めの音色ですが,この曲にはよくマッチしているように思いました.翳りのある曲調で叙情的ではありますが,一方できりりと背筋が伸びるようなところがあって,情緒に流れるような場面は一切ありません.第3楽章をライブで聴けたのは本当によかった.独白の過程にある種の逡巡は感じるものの,真実味にあふれた音楽で感動的でした.エルガーの協奏曲は,有名ヴァイオリニストなら誰でも録音しているというものではないので,漆原の録音が待たれます.

休憩をはさんで交響曲第1番です.こちらは比較的演奏されているようですが,私は初めてライブで聴きます.20世紀の音楽としては古風な感じがしますが,19世紀のブラームスとは違うし,もちろんブルックナーとも違う.チャイコフスキーとはもっと違うし,シベリウスほどのローカル性は感じない.しかし“英国的威厳”みたいなものがあるとしたら,まさにこうしたものだろうと思われる気風に満ちています.

そういう意味でのローカル性は確かにあって,この曲が英米で特に人気が高いと言われるのも頷けます.変イ長調という,弦楽には適さないとされて交響曲にはあまり使用されない調で書かれているせいか,第1楽章の行進曲風の場面でもどこか足取りが重めです.こういうところがアングロ・サクソン的自律の表明なのかもしれません.

前半も後半もすばらしい演奏で,観客からはアンコールを求める拍手が止みませんでしたが,結局指揮者とヴァイオリニストがそれに応えることはありませんでした.私はこの日のプログラムであれば,アンコールはなくてよかったと思います.


クリスマス・オラトリオ2016@カトリック夙川教会

この時期に夙川教会に来るのも3年目です.今年は曜日の関係で26日の開催となったクリスマスコンサート.

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これまで三回とも,バッハのクリスマス・オラトリオは第1部から第3部が後半に演奏されるのは同じです.2年前は前半にバッハの『マニフィカト』,昨年はヘンデルの『メサイア』が演奏されました.今年はシュッツの『クリスマス.オラトリオ』です.

シュッツについては,このブログで過去に一度だけ,キリストの受難を描いた『十字架上の七つの言葉』について触れたことがあります.あのときも書いたように,このオラトリオは大変深刻な場面を含んでいて,描き方もきわめて劇的な演出がなされています.

しかし今回聴いた『クリスマス・オラトリオ』は,それとは対照的にキリストの生誕を聖書の記述にしたがってどちらかというと淡々と抑制的に描写する音楽でした.ちょうど昨日国立国際美術館で見たアンドレア・プレヴィターリの『キリストの降誕』に感じられた,素朴で静かなよろこびと-もしかしたら将来訪れる受難の予感が暗示されているかもしれない-共通するものがあります.

そして,シュッツから100年後のバッハの同名曲.毎年同じことを書いていますが,第1部の高らかなトランペットとティンパニによる祝祭的な音楽が全体の雰囲気を決定づけます.同じキリストの生誕を描いても,これだけのアプローチの違いがあるのだと,改めて強く気付かされました.

最後にみんなでクリスマス・キャロルを歌うのはいつも通り.今年は私たちが座った席の周囲に歌の上手い人がたくさんいて,合唱隊の中にいるような気分になりました.

須川展也サクソフォン・リサイタル

随分時間が経ってしまいましたが,クラシック畑のサクソフォン奏者・須川展也のリサイタル.ザ・フェニックスホール.義父が亡くなってすぐの公演だったのでどうしようか迷ったのですが,結局聴きに行くことにしたのでした.

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サクソフォンはジャズバンドでは横綱級の主要楽器ですが,歴史の浅い楽器だけにクラシック音楽では活躍する場面はそれほど多くないようです.それだけに,クラシック畑でサクソフォンを持って演奏家をめざすということ自体,勇気ある挑戦であり困難な開拓であったと思います.

私はもちろんジャズファンとしての関心からですが,クラシック的文脈でのサクソフォン演奏をぜひ一度ナマで聴いてみたいと思っていました.今回のリサイタルは,須川の奥さんの小柳美奈子のピアノをバックにしたデュオでの演奏です.演奏された曲は以下.

カッチー二(朝田朋之編):アヴェ・マリア
ファジル・サイ:組曲-アルト・サクソフォンとピアノのための 作品55
チック・コリア:アルト・サクソフォンとピアノのためのソナタ “Florida to Tokyo”
- 休憩 -
J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より“アルマンド”,“クーラント”,“サラバンド”,“ジーグ”
吉松隆:サイバーバード協奏曲(ピアノ・リダクション版)

最初の『アヴェ・マリア』.ジュリオ・カッチーニ(1545頃~1618)の作とされていますが,実は現代作家の模作です.それは聴けばすぐわかる.古典的な相貌を持ちつつも,所々にポップ・ミュージックの作曲家が書いたのかなと思わせるようなゴージャズな響きがあって「正体見たぞ」となります.このリサイタル全体-あるいはこの須川展也というサキソフォン奏者の有りようを総括しているような一曲と言えるかもしれません.

2曲目は,須川がピアニスト・ファジル・サイに作曲委嘱した組曲.第1楽章アレグロは颯爽とした疾走感に溢れ,チック・コリアやハービー・ハンコックの音楽のよう.第2楽章アンダンテは一転ちょっといやらしい半音階が多用され,暗い夜を行きつ戻りつ迷い歩く感じ.第3楽章プレストでは表面的なことをクダクダ回りくどくしゃべるかのよう.第4楽章の“Ironic”では変拍子の嵐,第5楽章のアンダンティーノは“子守歌のように”ですが,ピアノの低音弦が効いて夢と現実を往還.穏やかに眠れそうにはありません.第6楽章フィナーレは再びプレストで疾走.ジャズ感ありありでした.

前半最後・今度はチック・コリアへの委嘱作品.完全なクラシックのソナタ形式で書かれているのに,一聴してチック以外ではありえないフレーズが次々と現われて嬉しくなります.こんなのが譜面に書かれているのは驚きですね.安易に4ビートになったりしない点もよかったです.

休憩をはさんで最初はバッハ.バッハの無伴奏曲をサキソフォンでというと,清水靖晃がチェロ組曲を演奏したことが思い出されますし,金管楽器つながりでいうと,ラデク・バボラークがホルンで同じくチェロ組曲を演奏した録音も衝撃的でした.須川は無伴奏ヴァイオリンのパルティータを採り上げており,演奏技術的にこれがどれほど困難なことなのか,私には残念ながらわかりません.管楽器による膨らみのある音が,ホールにやわらかく響くのがとても美しくて印象に残りました.

そして最後は吉松隆のサイバーバード協奏曲.TVドラマの主題曲の作曲などでもよく知られた音楽家ですが,本当に天才的です.すばらしい.彩の鳥,悲の鳥,風の鳥という急-緩-急の3楽章構成ですが,特に急速楽章での混濁した“狂い方”やそこからの解放にはきわめてジャズ的なカタルシスがあって,現代の音楽でなければ聴けない歓びを大いに味わうことができました.

須川には,「自分の音楽は実は一般には理解されにくい」という認識がしっかりあって,実際今回のリサイタルでも中核となるサイやチック,吉松の曲は耳に心地よいばかりではありません.でもその歯ごたえをこそ味わいに行くのであって,ちゃんと耳の開いた音楽ファンなら間違いなく楽しめると思います.いやほんとに楽しい演奏会でした.

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choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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