映画 『グレート・ミュージアム -ハプスブルク家からの招待状』

ウィーン美術史美術館内美術収集室の改修工事のドキュメンタリー.シネ・リーブル梅田.もう2月も下旬か.見てから随分時間が経ってしまいましたが,メモを残しておきます.

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有名美術館の舞台裏を記録した映像というと,2年ほど前に見たロンドンのナショナル・ギャラリーについてのドキュメンタリーが思い出されます.あれも力作でしたが,本作も見所の多い作品であったと思います.

ウィーン美術史美術館はもともと歴代ハプスブルク家が蒐集した美術・工芸収蔵品を展示するための施設で,内部はいくつかの部屋から構成されているようです.本作は,2012年にそのうちの中核たる「ヴンダーカンマ-(美術収集室)」が改装されていく過程を中心に,美術館内の様々な活動を追っています.

これだけの歴史ある美術館でも,そのブランド価値の維持向上のために会議が開かれ,厳しい議論が継続されていることに感銘と,ある種のやるせなさを感じます.「持っている」だけではやっていけないのだと.美術収集室の改装もそうした美術館改革の一環のようです.

経営上の活動と同時に,もちろん美術館本来の作業も淡々と続けられています.ルーベンスの絵画の鑑定の現場にカメラが入っていましたが,修復家の推論の過程に説得力がありました.その修復活動については,現代科学技術が大きく関与するので,上述のナショナル・ギャラリーに関するドキュメンタリー以来興味があるのですが,ここではそうした側面よりは修復家たちの地道な活動の方により焦点が当てられていたようです.

「職場」としての美術館にも触れられています.新たな収蔵品獲得のために担当者がオークションに出向きますが,結局予算不足で目当ての作品を逃してしまう場面など,自分とはまったく異なる業種とは言え,何となく身につまされるものがあります.またどこの企業にも言えることですが,一般に専門性が高いとみなされる職員と,必ずしもそうは考えられていない職員が働いていて,多くの場合支払われる給与も異なるのが普通です.ここでも,いわゆる「お客様係」の女性が,「自分たちの仕事も等分に重要であって下っ端ではない」と主張するシーンが捉えられていました.

ナレーションも音楽もないダイレクトシネマで,まあ地味すぎるほど地味な映画ですが,馬齢を重ねて経験だけは積み重なってきた者には,却ってこういう余計な脚色が一切ないもののほうが心に触れる部分が多いかもしれません.


映画 『JACO』

ジャコ・パストリアス35年の生涯(1951-1987)を辿ったドキュメンタリー.夜景を見ようとする若いカップル達で展望台への長蛇の列ができていたクリスマスイブのスカイビル・シネ・リーブル梅田.

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ウェザー・リポートの「ヘヴィー・ウェザー」を聴き,それまで絶対に聴いたことのなかったエレキ・ベースの音色とフレーズに,決して誇張ではなく腰を抜かして「ブラック・マーケット」も聴いてみたのが1978年頃.アルバムリリース年から少しだけ遅れてはいますが,ちょうど私がジャズを聴き始めた頃と重なっていて,ジャコが実際に活動した時期をほぼ同時代に体験したと言うことはできると思います.

多くの人は,ジャコ・パストリアスを「肖像」かウェザー・リポートで初体験したはずですが,このドキュメンタリーを見ると,それ以前無名時代のことや,さらに遡ってフロリダにおける幼年時代のことも多くの映像でよくわかります.とにかくベースを弾くことさえできればどんなバンドでも演奏していて,R&Bやカントリーのバンドにいたことさえあるというのだから驚きます.ジャンルを選ぶことはなかったようですね.

何と言っても誰もが知りたがるフレットレス・エレキベースの改造譚.しかしその経緯はちょっと意外でした.ジャコ・フリークからは,何だおまえそんなことも知らなかったのかと言われるのでしょうが,最初は苦労して手に入れたアップライトのベース(ウッド・ベース)を使っていたのだそうです.しかし温度や湿度をきちんと管理した保管が難しく,あるとき湿気で“爆発”してしまったのだと.買い直す経済的余裕はなく,思案のあげくエレキベースのフレットを引き抜いたのだと.

やがて見出されてニューヨークに出た後jは共演者も選び放題で,小さな確執の後ウェザーリポートのメンバーとなります.ジョー・ザヴィヌルとの間では演奏中の“闘争”がしばしばあったようですが,われわれの前にある作品を聴く限り,それは良質な創造を促進することに大いに寄与したはずです.私自身は100%ジャコのセンスが横溢するオリジナル曲も好きですが,他人の曲で示す,作曲者の意図を超えたはずの鮮やかな即興的フィルインが実はもっとも特筆すべきジャコの美点ではなかったかと感じています.本人はそう感じていなかったかもしれないけれど,結果的に生み出されたものは過度な対立や緊張ではなく,むしろ曲想に力強く寄り添うものになっているからです.ジョー・ザヴィヌルもジョニ・ミッチェルも,きっと音楽的愛情を感じたに違いありません.

インタビューには様々な人物が登場しますが,私個人的には以前にも書いたように,ジョニ・ミッチェルとの共演にまつわるジャコ自身の言葉や,ジョニの回想が印象に残ります.まず,あの有名なライブについて,ジャコ自身は「自分の演奏をしただけだ」とそっけいないコメントをしています.以前のエントリで触れたDVDに収録されている映像も一部使用されていましたが,この前日のリハーサルに遅刻したりしてジョニとの関係は少しぎくしゃくしたものがあったようで,こうした発言の背景になっていたのかもしれません.もちろん,本番での出来は神がかっています.

大手レコード会社ワーナーとの契約まではよかったものの,自分の音楽と売れ筋を意識する会社側との間に摩擦が起きていました.この頃からジャコの精神状態は下降し,ドラッグに走ります.綱渡りだったワード・オブ・マウスが解散し,双極性障害(躁うつ病)で入退院を繰り返した後のジャコにはもう仕事がなくなり,公園で路上生活をするまでになりました.

かつてブルーノートを率いたアルフレッド・ライオンのようなプロデューサーがいれば状況が変わっていたかもしれないと思う反面,複雑化した音楽ビジネスと,ビバップ時代とはジャズ・ミュージシャンの意識も大きく変化していたことを考え合わせると,有効な救済の手立てがあったのかどうか.

最晩年のジャコについてのジョニの回想が痛々しい.大体こんな話だったと思います.「あるとき街を歩いていると,小さなライブハウスの看板にジャコ・パストリアスの名前を見たの.驚いて中へ入っていると,本当にあのジャコだった.私も舞台に上がって一緒に演奏したけど,ジャコは音をハスしまくってひどい出来.それに,私が弾いているキーボードの上にマイクのコードを置いて邪魔するような子供じみたいたずらがしつこくて,病的な感じがしたわ.それからそのライブハウスを出たけど,あれがジャコを見た最後だった」

1987年9月,泥酔状態でライブハウスに入ろうとして警備員と乱闘になり,殴り倒されて頭部を強打したジャコは植物状態となり,そのまま亡くなりました.1970年代中葉以降の先端的ポップ・ミュージックを見渡したとき,この人の影響を多少とも受けていないものというのはほとんど考えにくい.インタビューでは革命者としてチャーリー・パーカーになぞらえる人が多かったように思います.

そのパーカ-は34歳で亡くなり,ジョン・コルトレーンは40歳没.哀しいかなジャコも革命家の天寿なのかとその凄惨な最期のことを考えました.しかし実は私の胸の中を支配していたのはとても暖かい印象で,あれはまさに光芒と呼ぶほかない彼の音楽が本質的に持っている幸福感に由来するものに違いないと思います.

ジャズと落語の旧知の関係

POPEYEなんて雑誌は普段まったく気に留めていないのだけど,9月号のテーマが『ジャズと落語。』だと教えてくれる人があって,買って読んでみるとこれがなかなか面白い.


POPEYE(ポパイ) 2016年 9月号 [ジャズと落語。]
書籍


冒頭で立川志の輔が言っているように,「ジャズと落語」というのは大昔からある話題で,私達の世代にとっては特に新しい切り口ではありません.でも,「似ている」というのはちょっと違う.

もちろん,即興性の重視や主題アレンジの柔軟性など,共通点は多いと思いますが,それは他の芸術芸能でも見られること.鑑賞者の立場から言えば,ジャズが基本的にはプレーヤー間で相互に交わされる感応を味わうのに対して,落語は一人芸の中でそれを実現しようとするという決定的な違いがあって,芸の姿としてはやはり似ているとは言えません.

それでもこうして古くから繰り返しセットで採り上げられてきたというのは,たとえば洒脱・飄逸といった特質がジャズにも落語にも重要な要素としてあって,それを愛する人々が多いということなんだろうと思います.黒人音楽をルーツとして持つジャンルの中で,とりわけ日本でジャズが聴かれている理由でしょうね.

面白かったのは,志の輔が初めて買ったジャズのアルバムがコルトレーンの『至上の愛』で,まったく理解できずにすぐ売ってしまったというエピソードです.結局何年かしてまたこのLPを買うことになり,記事の冒頭では志の輔がそのアルバムを手にとって見ている写真が掲載されています.

コルトレーンの,しかもImpulseレーベルの録音というのは,ジャズの歴史全体を見てみても,最も洒脱から遠い音楽だと言えます.特にこの『至上の愛』は,ジャケットからしてコルトレーンの厳しく苦しげな表情がモノクロで捉えられていて,落語との距離感は最大ですね.ロリンズも苦闘しましたが,作品として現われる時にはその形跡は薄められていることが多かったのに対し,コルトレーンの苦闘はそれがナマのまま盤面に記録されているようで,これを嫌うジャズファンが実は日本には結構いることを私は知っています.

志の輔が,たとえばサッチモのアルバムを手にしていたらこれはわかりやすいし,チャーリー・パーカーでもまだわかる.白人の破滅型プレーヤー,たとえばアート・ペッパーとかチェット・ベイカーだとどうかな? でも「最初にこんなの買っちゃいけませんよ」と言いながらコルトレーンの,何度も言うようですが『至上の愛』.意外でしたが,こういう結びつきはすごく興味深いですね.

私は関西人なので,当然上方落語の文化圏です.言葉の深いところでの理解度で言うと,江戸落語は本当には理解できないかもしれません.しかし,あまり大きな声で言いたくはないのですが,鳴り物が入ったりする上方落語にもちょっと抵抗があります.それに,関西ではスーパースターだった枝雀がああいう形で亡くなってからというもの,コルトレーンではないけれど落語をきくと芸の背後にある苦闘を意識しすぎるようになってしまいましたね.

なお,ジャズ側からは,山下洋輔が登場します.確かにこの人は落語と親和性高いですね.「ダメなものとか,ヘンなことほといい」みたいなことを言って,例の炎上ピアノのパフォーマンスを正当化しています.可笑しいのは山下洋輔が初心者に薦めるアルバムとして紹介している9枚.アコースティック楽器のみで時代的には結構まんべんなくカバー.必然的にオーネット・コールマンもセシル・テイラーもちゃんと入っています.こういうのを聴いた「ジャズ初心者」がどういう感想を持つか,聞いてみたいものです.

以上,ヘンな視点だったかと思いますが,幅広いスタイルを生み出してきたジャズと落語の特質に免じて許してもらいたいと思います.

映画 『フィレンツェ,メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館』

フィレンツェの建築物やウフィツィ美術館の収蔵品を高精細画像で.シネ・リーブル神戸.

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昨年春に『ヴァチカン美術館 -天国への入口』を見にいって,4K-3Dなんて画像技術を売り物にするような映画には懲りていたはずなのに,また見にいってしまって同じように後悔した.一口で言えばそういうところでしょうか.撮影監督は同じ人です.3Dのメガネをかけるのが嫌で,今回はあえて3D上映のシネ・リーブル梅田を避けて2D上映の神戸へ行ったのでしたが,問題はそれだけではありませんでした.

冒頭,フィレンツェ郊外の森を長々と空撮する場面で,もう嫌な予感が漂います.揺らぎのない安定した空撮技術の誇示から始めるのは,結局それが目的なのだろうと考えざるをえませんね.

空撮はやがてフィレンツェのシンボルであるサンタマリア大聖堂のドームへ至ります.ここから,設計者のブルネレスキとギベルティの間の有名な確執に触れたあとドームの構造の解説へ移るのですが,どの話題の採り上げ方も中途半端で何を伝えたいのか意思が不明確です.

建築関係の話題はかなり長く,それも上述のような調子で深掘りがなく飽きてきます.そのうち,メディチ家の“豪華王”ロレンツォが役者によって演じられる形で登場.一家の興亡についてケレン味たっぷりに講釈するのを見て,うんざり感は決定的になります.

ルネサンス期の芸術都市におけるメディチ家の歴史と役割を示したいならもっと客観的な手法が適しているだろうし,ドラマ仕立てにしたいならそちら方向に徹すればいいのですが,ここでは表面的な娯楽性を安易に導入しようとして構成が破綻しています.音楽もいただけませんね.ほとんど扇情的と言いたくなるような使い方で,これでは全人類の宝とも言うべき美術作品が気の毒です.

おそらくは建築物を概観してうまく解説するだけの能力がないように思われるスタッフ達も,単体の彫刻作品や絵画作品については,さすがに画像の美しさを活かした場面を作っています.彫刻は,ドナテッロとミケランジェロによるそれぞれのダヴィデ像などに対して,時として近すぎると感じるほど迫ってディテールを描写しています.確かにこれは,こうしたメディアを介さないと目にすることはできないでしょう.

絵画はボッティチェリの『春』と『ヴィーナスの誕生』やレオナルドの『受胎告知』など,ちりばめられた寓意を知らなければ理解したとは言えない作品群には,このような“分析的”ツールが活かされるのかもしれません.もっとも,上のダヴィデつながりの『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(ジェンティレスキ)とか,カラヴァッジョの『メドゥーサ』など,血潮飛び散る凄惨な絵画の精密描写は,われわれ日本人にとってはちょっと刺激が強すぎるかもしれません.

今回は否定的なことをたくさん書いてしまいました.悪口を言うのはきちんと評価して讃えるより多くの場合はるかに易しく,だからこそ巷間は非知性的な雑言にあふれているのでしょう.私自身は,ひどいものを見たときには非難したりせずに黙っておく方がいいと思っています.しかし今回のような映画は,無意味な脚色や過剰で無神経な演出によって優れた技術の効用を生かし切れていないように感じ,2作目であることもあって私見を明らかにしておきました.第3弾が出たら・・・? 結局性懲りもなくまた見にいくような気もしますが.

映画 『フリーダ・カーロの遺品』

死後50年を経て公開されたメキシコを代表する画家・フリーダ・カーロの遺品を,写真集『ひろしま』の石内都が撮影する現場を記録したドキュメンタリー.小谷忠典監督.大阪・十三・シアターセブン.

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ポートレートの出典はこちら

今夏はフリーダ・カーロの名を3度耳にしました.最初は森村泰昌『自画像の美術史』で.金属パイプに貫かれた身体のポートレートは痛々しいですが,それが森村風の諧謔にくるまれ弔われていました.次はデトロイト美術館展.美術館の巨大なフレスコ壁画を描いたディエゴ・リベラの妻として紹介されていました.そして3度目がこの映画です.

遺言によって50年間住居の浴室に封印されてきたフリーダの遺品の数々.それらを撮影しようというプロジェクトが立ち上げられ,依頼を受けたのが写真集『ひろしま』で被爆者の遺品を撮影した石内でした.石内の前にも何人かの写真家が同様に撮影を試みたようですが,依頼者の気に入るものにはならなかったとのこと.このドキュメンタリーの撮影が決まったのは,石内が撮影のためにメキシコに渡る直前だったようです.

石内の述懐によると,フリーダ・カーロについては元々あまり強い関心は持っていなかったらしい.身体の障害や,スキャンダラスな結婚生活から,どうしても先入観をもたれがちな人ですが,今回のプロジェクトで遺品の撮影をしてみて,生活者としての等身大のフリーダが感じられてきたと言います.

小児マヒで右足が短かったフリーダに合わせて左右の高さが異なるように作られた靴.フリーダが日常的に身につけていたメキシコの伝統衣装.事故の後遺症による身体の絶え間ない痛みを抑えるためのコルセットや医薬品.こうした,生前のフリーダが実際に生活に用いていた品々を,石内はあるものは屋外で,あるものは室内に外光を採り入れて撮影していきます.

石内の使う機材は,このドキュメンタリーを観ている限り,ニコンの35mmフィルムカメラたった1台です.このカメラを中腰の不安定な姿勢で構え,三脚も使わず手持ちで撮影します.凝ったライティングもなく,基本的には自然光だけを使って撮っています.最初は試し撮りしているのかなと思ったくらいで,そうではないとわかってびっくり.衣服は床に置くか,窓に吊して外光を透過させるようにしていました.そのようにして撮影されたうちの1枚が,パンフレットの表紙に使われています.

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こうしてドレスの全体を撮ると,もちろんそれはただの衣服に過ぎないのだけれど,そこには生きた女性のなまめかしさが確かに感じられてある種のショックを受けます.しかも,本人はもういないという事実と50年という歳月によって,フリーダ・カーロという苦難の人生を歩んだ女性の身体が浄化されてそこに存在するような錯覚にとらわれて幻惑されます.

映画はそこから,フリーダの母の故郷であるオアハカ州イスモのテワナドレスや刺繍がもつ文化的背景へと展開します.そうしたドレスが母から娘へ受け継がれるところは日本の着物との共通点とも言えるでしょう.カメラはまた,メキシコの“死者の日”のお祭り騒ぎにも向けられます.そして遺品の撮影中,石内の友人の死の報がもたらされ,さらにそれが自死であったことがわかるに至って,石内が深い悲しみに打ちのめされる場面も挿入されます.

そうした,生者と死者との交感の様々な形が示された後,場面は国際的な写真展である“パリ・フォト2013”へシフトします.ここで,石内の撮影したフリーダの遺品の写真が初めて公開されます.上のドレスの写真もA0くらいのサイズに焼かれて展示されていました.ほぼ等身大.これがあの,さらっと撮った写真なのかと本当に胸打たれます.確かにそこに,おそらくは人の何倍もの量の感情をもった女性がいるのです.見る人の胸にさまざまなフリーダ・カーロが刻まれることは間違いありません.インタビューされた観客がみな雄弁なのに驚きましたが,これこそが石内という写真家の作品の力の表れでしょう.

見る人によってさまざまな視点からの印象を持ちうる秀逸なドキュメンタリーだと思います.私にとっては,やはり写真の力というものを再認識したことがもっとも重要であったと思います.


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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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