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2018年北海道ツーリング 9日目(8月24日) 釧路→(道東自動車道)→千歳市埋蔵文化財センター→キウス周堤墓群→札幌

釧路も網走と並んで道東考古学の中心であり,市立博物館には行ってみたかったのですが,そろそろ今回の北海道の旅も終盤に差し掛かったところで台風20号から変わった温帯低気圧の接近が予想されたため,安全をみて早めに札幌まで戻ることにしました.

どんよりと厚い雲の下,釧路のホテルを出て道東自動車道の現在の終点・阿寒ICへ.無料区間を経由してひたすら西へ走るのみです.1車線の対面区間が長く,道東の交通量僅少国道・道道を走ってきた感覚からすると,流れは決してよくありません.2車線の追越区間を使ってもさしたる時間短縮にはならないので,この日は移動日と割り切って省エネ運転に徹しました.しかしさすがに札幌までの移動だけで1日はかからないので,道央自動車道千歳東ICでいったん一般道へ.

今回の旅の道内初日,二つの環状列石(ストーンサークル)を見たことはすでに書きました.

2018年北海道ツーリング 3日目(8月18日) 前半 島武意海岸→フゴッペ洞窟→西崎山環状列石
2018年北海道ツーリング 3日目(8月18日) 後半 忍路環状列石→北海道埋蔵文化センター

これらの環状列石はいずれも縄文後期の共同墓らしいですが,それからやや遅れて,石を円状に配置するかわりに土を掘って円形の墓を作り,その周囲に掘り出した土を盛って堤を作るという形式へ移行したと考えられています.これを土籬(どり)とか周堤墓と呼んでいます.

札幌近郊の千歳市には,そのような環状土籬が集中して発見された遺跡であるキウス周堤墓群があります.ストーンサークルは見たので,ここもそのアップバージョンとしてぜひ見ておきたい.リサーチ不足で遺跡の場所をよくわかっていなかったので,まずは情報収集のため千歳市の埋蔵文化財センターへ行ってみました.

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廃校になった小学校をリフォームしたような地味な建屋で,市立ということもあって財政的には仕方ないのかもしれませんが,この外観で文化を標榜されてもちょっと説得力を欠くと言わざるをえません.一方館内は学芸員さんたちの努力でしっかり整備されていて,何よりこの地域は古代史跡の宝庫ということで,そうした重要性はきちんと伝わるようになっていました.

その中でも,下左図はこの千歳市にある美々第四遺跡から出土した『動物形土製品』と呼ばれている縄文土偶で,国の重要文化財に指定されています.近年,縄文期の土器・土偶が続々と国宝指定され,それまでは「研究資料」だったものが,俄然美術品としての脚光を浴びるようになってきました.この『動物形土製品』も,鳥ともラッコあるいは海獣とも見える摩訶不思議かつ魅力的な造形で,縄文人が獲得していた根源的生命の構成力のようなものがよく表れていると思います.

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キウス遺跡の位置を教えてもらって出発.といっても,千歳東ICを出てすぐの場所で,ちょっと案内を出しておいてくれればすぐにわかったのに.結局元の道をそのまま引き返すことになりました.目的のキウス周堤墓群はR337すぐ脇に広がっています.-という言い方は誤りですね.R327がこの遺跡を突っ切って敷設されているのです.周堤墓は8基検出されており,縄文時代の墓としては日本最大の規模だそうです.

下の写真は,遺跡駐車場直近の2号周堤墓の堤の上に立って撮ったものです.向こう側の道路がR337.周堤の外縁の直径は数十メートルに達します.現場の説明板の写真から断面図を切り出したのがその下です.穴の深さは最大で5mとありますが,そこまで深いようには見えませんでした.雪解けの時期がもっとも形状がわかりやすいとどこかに記述があったことを思い出しました.

底部にはストーンサークルで見たような墓石様の石も立てられていたということで,先ほどの千歳市埋蔵文化財センターで実物の展示を見ました.縄文時代というとはるか昔のようにも感じますが,この周堤墓が作られたのはたかだか3000年ほど前で,死者の記憶のために墓石を置くという,今の我々の慣習と何もかわらないものがあっても特に不思議ではありません.だからこそ,彼らが作った土器や土偶に現代人がこれほど惹きつけられるのでしょう.

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見学しているうちに小さな雨が降ってきました.ここまでは何とかもった天気でしたが,ここから札幌まではそうはいかないようでした.R337を渡った向こう側にも3基の墓があり,特に最大の4号周堤墓はそのど真ん中をR327が突っ切っているので,それも両側から見てみたかったのですが,足下も悪いのでこれで切り上げることにしました.
(続く)

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2018年北海道ツーリング 8日目(8月23日) 後半 アゼチの岬→霧多布湿原(琵琶瀬展望台)→(北太平洋シーサイドライン)→釧路

霧多布岬に1時間半も滞留していた後,前回来たときスルーしてしまったアゼチの岬へも回ってみました.駐車場から岬の先端の方に歩いて行くと,草地の向こうになんとも幻想的な光景が展開していました.雲海の中から巨大な岩塊が浮かび上がってきたようで,自分がどこにいるかわからないような異界感に包まれます.

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それほどの強風が吹いているわけではないのに海は全面真っ白に泡だっており,そこに誰も寄せ付けないような厳しい姿をした島々や奇岩が屹立している光景には,ほとんど恐ろしいような荘厳さが感じられました.去年兵庫県立美術館の『怖い絵展』でターナーの風景画を見て初めて理解した「崇高(Sublime)」の意味を,ここで初めて実体験したような思いがしました.

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霧多布岬の台地から浜中の町へ急坂を下り,淡いブルーに塗装された霧多布大橋を渡りきると,それまでの雰囲気が夢でも見ていたかのように消え去りました.決して誇張ではなく,異界から現実世界に戻って来たような感覚にとらわれました.

事実に基づいた話をすると,元来この岬はもっと広い通路で陸地(北海道島)と連結されていましたが,1960年のチリ地震による大津波でその通路が激しく削られ,現在のように陸地と分断された姿になりました.したがって,霧多布岬もアゼチの岬も海上に浮かんだ島の先端にあると考えた方がよく,この日目にしたような特徴的な気象も,そうした条件に起因するものだと思います.

さて,D123を10分ほど進んで琵琶瀬展望台に着く頃には,空はすっかり晴れ渡っていました.ここは真北に広がる霧多布湿原を順光で見られるので,天気が良いと空も水も真っ青です.8月ですが,道東では巻積雲の奥の空の透明さが秋の到来を示しています.

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岬とは一転して穏やかな空の下,オープンでZ4を走らせるのはいい気分です.太平洋シーサイドラインも,このあたりからしばらくはやや内陸の草原を進むので,厳しい海岸線の風景から解放されて運転していてもリラックスできます.

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厚岸でR44へ乗り,尾幌まで行って再度D142へ.気をつけないとそのまま釧路までR44を辿ることになるので注意.セキネップまで来て再び太平洋を展望することになります.道中めまぐるしく天候の変わった一日でしたが,最後は穏やかな夕景を望むことができました.

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(続く)


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2018年北海道ツーリング 8日目(8月23日) 前半 尾岱沼→(北太平洋シーサイドライン)→霧多布岬

尾岱沼の橘旅館は家族的で,食事も私には初めてのものが多くて愉しめました.このあたりの漁師さんたちは,昔から冬場の出稼ぎに行く必要がなかったほど海が豊かだと聞いていましたが,それも納得の食材の豊富さです.海産物ももちろんですが,女将さんの言葉通り「別海には人間の何倍もの数の牛がいる」わけで,こちらも食卓に上りました.

さてここから釧路までの間は北太平洋沿岸を走ります.まず風蓮湖へ.名前が魅力的ですが,やはり冬に来るべきところでしょうかね.道の駅スワン44ねむろからは,薄い雲に覆われた空の下,茫漠とした風景が広がっているばかりでした.春国岱の方向を見ると,立ち枯れた針葉樹林が確認できます.海抜2~3mの砂州なので,ここもいずれは野付半島のようになっていくのかもしれません.

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納沙布岬へは向かわず,D953で別当賀経由R142で初田牛へ.ちょっと牧草地帯を脇道に逸れて道草を食っていると,牛の横断場面に遭遇できました.さすがは別海.邪魔にならないよう,遠くで待ちます.

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太平洋シーサイドラインがまさに海岸沿いを通っている場所では,ついつい停まって海を見たくなります.この日,風速はそれほどでもなかったようですが,海面は白く泡立ち,海鳴りが耳を打ちます.海岸段丘の浸食は激しく,まさに今この瞬間も地形が変化し続けているような感覚に襲われました.

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難読地名でしょうね,羨古丹(うらやこたん).湾内は穏やかでしたが,この日の光景には以前来たときの鮮やかさの一片もありませんでした.2011年の写真を貼っておきます.

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霧多布岬から見える海も,やはり一面白く沸き立つようでした.地形は外海にあたる南側の方が穏やかな表情で,北側は切れ落ちて峻険な断崖になっています.灯台まで誰もいない道を歩いて行くと,次第に両側が狭くなってきて海に飛び出す感覚になります.きっと荒天の時はこんな所を歩いてはいられないだろうなと思いました.

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灯台付近からは,南に半島や島影が浮かび上がったように確認できました.足下が水煙で覆われたように見えます.嶮暮帰島でしょうかね.昔ムツゴロウが移住していた時期がありましたね.

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灯台のさらに先まで続く道を先端まで辿ると,隔絶感が倍増します.四辺濤声に満ち,風浪岩を穿つ.その上では,海鳥が波濤に洗われながら身を寄せ合うようにしていました.荒々しい光景ですが,いつまで見ていても見飽きませんでした.

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(続く)

テーマ : 北海道
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2018年北海道ツーリング 番外編 -野付通行屋異聞

ちょっと時間はさかのぼりますが,8月21日,遠軽町埋蔵文化財センターでのことです.2階の展示ゾーンにある黒曜石ギャラリーを出た後,トイレを借りようと通路を歩いていたら,脇の壁に掲示されていた幕末期の探検家・松浦武四郎制作の北海道全図(縦横それぞれ2mを超す大きなもの)が目に入りました.同道したアイヌのガイドから聞き取った全道の山・川・岬の名称がびっしりと記入されていて,この人物のなしたことの克明さに見事と感服するほかない立派なものです.

この地図を舐めるようにして見ていると,ちょうど見やすいところに野付半島がありました.150年前のことで,現在とは多少地形が変わっているようですが,あの砂嘴の不思議な概形はほぼそのままです.そしてその半島の最先端部-今では誰も住んでいない辺縁-には,朱色で四角の印が(確か)3つほど記されていました.

この印が何を意味するのか,その地図には書かれていない(あるいは探せなかった)ので,確かなことはわかりませんでしたが,何らかの人工物を示すことは明らかなようでした.それきりこのことは忘れていましたが,翌22日の夕方にナラワラまできて,またあの地図のことが頭に浮かびました.

国後島が近いため,幕末期においてはこの野付先端部は海上交通の要衝でした.当時のロシアとの間で深刻な外交問題に発展した事件も,この海域で発生しています.そのため,江戸幕府が野付通行屋(番所)を置いていました.この点は史料も残っているいるし,今でも番所趾が遺跡として確認できるそうです.

実はこの後,札幌まで戻って道立北海道博物館へ行ったとき,再びあの松浦武四郎の地図を見る機会を得ました.ここで初めて,武四郎が記入した朱色四角印の註が確認できました.それが次です.
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一文字目はともかく,二文字目は私にはまったくお手上げです.旅行から帰って調べてみた結果,おそらくもっとも近いのが次の字ではないかと思うに至りました.

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二文字目は「所」の異体字です.つまり「「会所」と読めるわけです.意味としてもこれなら通じます.会所とは古い言葉ですが,江戸期には幕府の役所とか役人の詰所を指したようです.武四郎が見て地図に記入したのは,やはり当時ここに設置されていたとされる通行屋だとみて間違いないでしょう.

ここまでは資料に裏付けられることで,特に疑問を差し挟む余地のないところです.しかし,この区画にあったのは果たして幕府の番所だけだったのだろうか?  地元には昔から,ここにキラクと呼ばれる歓楽街があり,遊郭まで存在してその灯りで夜も明るかったという伝説があるそうです.実際,別海の町にもその名を冠した店があったりして,地元の人々にとって「キラク」伝説はよく知られているようです.

これを伝説と呼ぶのは,その歓楽街に関する史料が一切見つかっていないためで,別海の郷土資料館も公式には認めていません.しかし,「その後キラクは大嵐によって一夜にして消失した」などの口伝を聞き及ぶに至り,野付半島先端の荒涼寂寞たる風景に遊女たちの姿が重なって,いっそうの儚さが身に迫ることになりました.

通行屋のあった場所までは現在一般車は入れず,道道の終点から歩くしかありません.歩いたとしても,ガイドがないとまず到達できないそうです.年に一度,別海町郷土資料館と野付半島ネイチャークラブの共催で野付通行屋遺跡の見学ツアーが出ているようです.はたして遺跡の向こうにキラクの幻影を見ることができるでしょうか.
(続く)



テーマ : 北海道旅行
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2018年北海道ツーリング 7日目(8月22日) 後半 北方民族博物館→小清水原生花園→根北峠→野付半島→尾岱沼

網走の観光スポットの一つである天都山の北海道立オホーツク公園.北方民族博物館は,その公園に隣接する広い敷地内にあります.6角錐のドームが特徴的で,開館は1991年.

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北極海周辺の自然,民族,言語の分布を示したうえで,個別の民族-グリーンランドのイヌイトからスカンジナビアのサミまで-の衣食住から生業,精神文化などを網羅しています.酷寒をしのぐため,海獣の腸壁で作った防水コートなど,ここでも人間の知恵と創意工夫がこらされた広い意味での利器の数々に圧倒されます.

しかし,常設展示の中でこの博物館の特徴をもっともよく表しているのは,やはりオホーツク文化に関する展示でしょう.前回記事でも書いたように,モヨロ遺跡などで出土した遺物の中でも,価値の高いと判断されたものはここに実物が展示されています.この旅行記の最初に紹介した牙製の女性像-『モヨロのビーナス』と呼ばれて人気がある-も市立博物館からこちらへ移設されました.


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頭部や右腕が失われているのは残念ですが,かえってそのことによって様々な想像をかきたてられるのが魅力なのかもしれません.最近は縄文文化ブームが再来して,あの時代にはピカソが一体何人いたんだというほどの生命感あふれた造形に注目が集まっています.確かに,胸や腰が極端に強調された縄文の女神達は,数千年を飛び越して現代アートとしても十分成立するほどの前衛性を持っています.それに較べると,時代が下ったモヨロのビーナスはインパクトに欠けるかもしれませんが,だからこそ今でもそのへんにいる若い女性をモデルにしたような親近感があります.

女性が着ているワンピース様衣服の首回りには小さな襟があり,背中はちょっと開いた部分があるのか,いずれにしても意図をもったデザインがなされています.オホーツク人は北東アジアから樺太を経由して南下してきたのではないかと考えられていて,そうだとするとこの像のもつエキゾチックな香りが理解できるような気がします.

下も同じく道内2か所のそれぞれ別の遺跡から出土した女性像です.少し前屈みで,腕の曲げ方もモヨロのビーナスとよく似ています.これらは頭に何かの被り物をしていて,何らかの祭祀に関わる女性-シャーマンのような職能をもった人を表した像のようにも見えます.


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またモヨロ貝塚館でも見たように,とにかく動物の牙偶・骨偶は目にした瞬間に足から力が抜けるほど可愛らしいものが多く,ここでも(多くが複製品でしたが)楽しい思いをしました.下図右のヒグマ(若いクマ)にはベルト状のものが巻かれており,アイヌのクマ送り儀式につながる風習がすでにあったのではないかと考えられているようです.

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朝から博物館を3つ回って,興味深すぎてさすがにちょっと疲れました.外に出るともう午をだいぶ過ぎていましたが,肌がじりじりと焼かれるような強い日射し.この日の北見地方は最高気温が30℃超えの予報で,たしかにそれくらいはありそうです.今回の北海道は来てからずっと涼しかったので,これはかなり堪えます.

海岸線を通るR244まで下り,道の駅で簡単な昼食をとりました.二ツ岩から能取岬方面がよく見えていて,この朝から見た様々なものがこの風景に重なりました.斜里方面へ走って小清水原生花園.もちろんこの時期は花園というほどの花は咲いていません.今回のオホーツク海は見納めだと思い,網走から知床連山へ至る海岸線を眺めました.北海道の日本海側と違い,宗谷からウトロあたりまでは厳しい断崖はほとんどありません.海の民が定住して生業をなすのに,好適な地であったことが納得できます.

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ここからは根北峠を越えて尾岱沼を目指します.前日は雨がちの天気だったし,この日は朝からずっと室内でした.さずがに走りたい欲求が高じていました.R244は斜里から内陸へ向かいます.斜里岳が正面右に見えますが,前回同様上部には雲がかかっています.峠道を登るにつれ,上空が雲に覆われていきました.道は前回同様,交通量ごく僅少.快調なベースを維持していると,鳥にぶつかりそうになりました.北海道ではこれまでも何度か小鳥と衝突しています.虫を追って低空飛行しているのが危ない.今回は直前でよけてくれてお互い助かりました.

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峠を越えると一気に晴れてきました.所々路面が濡れていたので,ずっと晴れていたわけではなさそうでラッキーです.そのまま標津の町へ.斜里で知床へ向かうR334の分岐から標津まで50km近くあるはずですが,この間一度も先行車を見ませんでした.所要時間は書けませんが,私としてはかなりのペースで満足です.

トドワラまで行っている時間はさすがになさそうでしたが,天気もいいし,16:30近くなって涼しくなってきたので,ナラワラまでと思ってフラワーロードを走りました.前回来たときほど工事車両を見かけませんでしたが,道路脇の電柱が荒涼とした雰囲気を醸しているのは相変わらずです.左右に海を見ながら夕刻のオープンドライブ.


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ナラワラには誰もいませんでした.Z4を適当に駐めて夕景を眺めます.順光方向の青い海の色と,滅びゆく木々の姿の対比が印象に残ります.しばらくすると,ネイチャーセンターの方から数台のバイクツーリングの集団が来たので,Z4を駐車スペースの端に移動しました.道路を渡り,灌木の間を歩いていくと,すぐに北側の海岸に出ました.自分の足で歩くと,ここがいかに細い通路であるかがよくわかります.海の向こうには知床や国後が確認できました.


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(続く)

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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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