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プラド美術館展

スペイン・プラド美術館の収蔵品の中から17世紀の宮廷絵画を中心に.兵庫県立美術館.

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展示は7部構成.
Ⅰ.芸術
Ⅱ.知識
Ⅲ.神話
Ⅳ.宮廷
Ⅴ.風景
Ⅵ.静物
Ⅶ.宗教

ⅠとⅡは明確には区別されていないようで,絵画なのに「芸術」とは不思議な気がしましたが,要するに芸術というより触覚とか臭覚といった感覚そのものを描こうとした作品群ということのようです.本展の主役は7点のベラスケス作品ですが,Ⅰでは『ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像』がありました.17世紀のスペインを代表する彫刻家にベラスケス自らの姿を投影したような作品です.またⅡの『メニッポス』は複雑な経歴の後に哲学者となった人物のちょっと皮肉っぽい表情を描いています.その他の画家では,16世紀の作品を含んだキリストの生誕に関するテーマをもつものが何点か.

Ⅲでは,ベラスケスの『マルス』が登場します.ローマ神話における闘争の神の肖像であるはずですが,疲れ衰えてうなだれる中年男として描かれています.神様にも人間くさい悲哀を味わわせているのは面白い.その他ではヴィーナスやルクレティアの裸体像が目を引きます.こうした絵画は,宮廷の奥深くの秘密の部屋に集めて飾られていたとか.

Ⅳでのベラスケスは『狩猟服姿のフェリペ4世』.ベラスケスを第一宮廷画家に抜擢したパトロンを描いています.ハプスブルク家で繰り返された近親結婚が原因と思われる細長い顎や鼻を,おそらくはあまり脚色なく描いたのだろうと思います.宮廷画家の描く領袖様の肖像画なんて,我が国の隣国王朝の例を挙げるまでもないと思いますが,そこはさすがにベラスケスという気がします.

Ⅳではベラスケスの作品がもう1点.『バリェーカスの少年』がそれです.私は個人的に,今回見たベラスケスの作品の中ではこれが一番好きです.宮廷の子どもたちの遊び相手をする少年だそうですが,心身に障害のあることを示す深い緑色の衣装を身につけています.眼の描写は明確ではありませんが,表情からはこの少年の素朴さや,その陰からちょっとだけのぞく自負心のようなものが見て取れます.

Ⅴではパンプレットにも使われている『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』が目立っています.TVの美術番組でもこの作品を大きく取り上げて評価していますが,私にはこの絵だけはダメです.実際に自分で馬を走らせたことのある人ならわかると思いますが,これだけの体躯の馬に乗ると,股が大きく開いてしまってニーグリップするには相当の体力が必要です.ところがこの王太子(当時6歳とされる)の足はそれほど開いてはおらず,しかも極めて動的な馬の姿態に比べて乗り手の姿勢が静的すぎ,見るからに不自然です.指揮棒を持つ右手にも力感がありません.こんな嘘っぽい肖像を描かれてしまったせいかどうか,バルタサール・カルロスは気の毒にもわずか17歳で没したそうです.

Ⅶではベラスケスの作品がもう1点.『東方三博士の礼拝』で,これはきわめて古典的なテーマです.比較的若い時代の作品で,この日見た他の作品と比べて明快な線が特徴的です.

全体として,テーマの分類がやや混乱しているようにも思えた美術展でしたが,宮廷画という多くの制約があったであろうジャンルの中で,それでも人間を描こうとしている意図が明確な作品には好感が持てました.

理髪店で聴いたジャズ -「ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.2」 セロニアス・モンク

セロニアス・モンクの音楽は,やはりリヴァーサイドの名作群の印象が支配的です.私も「ブリリアント・コーナーズ」や「モンクス・ミュージック」,「セロニアス・ヒムセルフ」などを含め多くのリヴァーサイド盤を聴いて,ながいことそれだけでもうお腹いっぱい状態で十分な気がしていました.しかしそれは誤解でした.

今回聴かせてもらったのはブルーノートの1511,「ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.2」です.

 ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.2+10

1951年から1952年にかけての録音で,モンクがリヴァーサイドへ移籍する1955年よりもかなり前のアルバムです.評価の定まる前の作品というような意識がどこかにあって,これまでちゃんと聴いたことがありませんでした.しかしこれはなんと強烈な音楽であることか.

骨太で肉厚,一方で流麗さのかけらもなく,ちょっと聴きには洗練とはほど遠い.早い話がかなりヘンな音楽に聞こえます.実際これを現代に持ってきて音楽でございますと言ったところで,これほどごつごつして歯ごたえのあるものを好む聴衆の集団なんて,今や世界中どこを探してもいないでしょう.

しかし,トリッキーで屈曲したテーマや,めまぐるしく変化するリズムなどは時代的にもビバップ期ジャズの特徴と言えますし,モンクの音楽はあくまでもその土台の上で自分自身の音楽を展開した結果の産物だということが,よく聴けばわかります.それが結果的にかなり当時としては(現代でも)前衛的なものに聞こえたとしても,たとえば絵画で言えばジョルジョ・デ・キリコとか,あるいは一群のキュビスム絵画が今ではこれだけ人々に受容されているのだから,音楽だからダメということなどないと信じます.

ややもすると「孤高の天才」とか「ジャズの高僧」などと言われて求道的なイメージのあるモンクですが,その音楽は何よりネアカで,上で言ったようにはっきりと「ヘン」なのにも関わらず,聴いていると実に気分が浮き立ってきます.暑苦しく響くこともありますが,音楽が終わった後は風呂上がりのような気分.

もちろんVol.1の方もすばらしいです.

 ジーニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.1+3


北海道・十勝の児童詩誌「サイロ」のこと

北海道・帯広を拠点に,昭和35年から60年近くにわたって現在も毎月発行され続けているすごい文芸誌があります.「サイロ」という児童詩誌で,帯広に本社工場のある菓子メーカー・六花亭の創業者・小田豊四郎が創設しました.挿し絵は六花亭の包装紙も描いている山岳画家の坂本直之が,すべて無報酬で引き受けたということです.それが伝統となり,現在でも毎月の選考委員はすべて手弁当で活動していて,冊子自体も無料で配布されています.サイドは以下.

児童詩誌 サイロ http://www.oda-kikin.com/sairo.html

投稿者は十勝地方の小中学生の子どもたちですが,幼児の言葉を親が書き留めたものを投稿することもできるようで,これは全国何処からでも可能とのこと.広い農場での手伝いや,十勝平野の自然に対する感受性が,多くは不器用だが瑞々しく,時に先鋭的とすらいっていい言葉で綴られていて感銘を受けます.

前々回に触れた更科源蔵は,開拓期の北海道農民にとって,稲作は不可能,大豆が収穫できれば御の字で,それすらできなければビートやじゃがいもを作って牛を飼う以外になかったとして,「サイロには開拓農民のうめきがつまっている」と書きました.しかし,小田豊四郎の「サイロ」はそうした悲哀とは逆に,生業の支柱ないしは誇りのシンボルであり,十勝がようやく豊かな穀倉地帯として発展を始めた時代に呼応する意識を反映しているとみることができます.

小田はさずがにビジネスで成功した人だけあって前向きで活動的です.その人物像通りに,六花亭という会社としても食文化に関する図書館を持っていたり,美術館を運営していたりと様々な形で地域文化に関わろうという意図を打ち出していて興味深いものがあります.

一方再び更科源蔵を引くと,前掲書中「山麓の人々」の項で,都会での教育に絶望して道内僻地に赴任してくる学校教員のことに触れ,「夕昏になると暗闇の底が啼くような,さびしい声を出すシマリスや,小鳥の囀りのようにおどおどと岩場をかけるナキウサギなど,大陸系の小動物がまだ生息している山地は,すぐれた人間形成のために,最後に残された自然境といえるかもしれない」とも言っています.

内地とくらべてどうしても子どもが優れた文化へ接触しにくいという当時の十勝地方の状況を,子ども自らが表現することを通して変革しようとした小田と,厳しい自然をそのまま受け入れることで骨太な人格形成に役立つと考えた更科.年齢は更科の方が10歳ほど上ですがほぼ同時代人と言っていいでしょう.道内の同じ地域に対するアプローチの違いも興味深いですが,私としてはこうした活動や文筆のおかげで,自分が見て知っている士幌とか浦幌の景色が奥行きのあるものに思えるようになっています.

山田秀三著 北海道の地名

西日本の豪雨災害の復旧は,この猛暑でさらに苛酷な状況になっているようで胸が痛みます.例年より10日以上早かった梅雨入りと梅雨明け,その後の酷暑.今度は北海道にまた強い雨が降っているようです.

私が札幌に住んでいたのは今から40年程前ですが,その頃夏に市内の気温が30℃を超えるとみんな外に出たがりませんでした.今ではそれくらいの気温はごく日常的で,特に内陸部の気温は本土(内地)並ですね.これはやはりヒートアイランドというような局所的な現象としては説明できないような気がします.

「北海道には梅雨がない」というのは昔から誤解されてきたことで,本州に停滞していた梅雨前線が勢いを増した太平洋高気圧に押されるように北上するころ,北海道は雨がちになります.ちょうど本州の大学生が夏休みに入り,喜んですぐに北海道へツーリングに来てひどい目にあうのは昔からです.

しかし今年はそんな定型とは無関係に,北海道ではずっと雨が降っていますね.私も今年は8月に出かけるつもりなので注意して見ているのですが,本当に天気予報晴マークが少ない.荒れた天気にならないことを祈りたいです.

さて本題です.北海道の旅でなんと言っても魅力があることの一つは,そのエキゾチックな響きをもつ地名ー山や川の名前も含めてーです.以前にも少しだけ書いたことがありますが,アイヌ語に由来する地名は多くが地形や自然の標識をそのまま呼称にしたもので,響きこそエキゾチックですが意味はむしろ即物的とさえ言える日常性を保っています.私には,大きな滝を見て「銀河」とか「流星」などど形容する浮薄に比べてはるかに好もしく感じられます.

本書は,上で述べたようなアイヌ語地名の由来について,著者山田秀三によって徹底したフィールド調査が行われた上で著された労作であり,現代における北海道地名研究のバイブルです.もちろん,文献調査も綿密に行われていますが,地元のアイヌ古老への聞き取りなど,今では困難になった貴重なインタビューの結果も多く採り入れられています.

現在草風館 から出版されているのは,1984年に北海道新聞社から出版された旧版の復刻版です.新本で入手できますが結構高価なので,私は旧版を古本で買いました.最初から通読する必要はないかもしれませんが,北海道へ通ってあちこち走り回っている人だと,馴染みのある地名を引いてみて思わぬ発見がきっとあると思いますし,今では失われてしまった風景も目に浮かぶことでしょう.地名を辿りながら,時間軸方向の旅ができますね.

北海道の地名 (アイヌ語地名の研究―山田秀三著作集)

北海道の地名

二つの『北海道の旅』 -更科源蔵(1904-1985) と串田孫一(1912-2005) 後編

関西は数十年に一度の大雨が数日続き,大きな人的・物的被害が出ています.最悪の時期は越えたようですが,まだ降っている場所もあるし,これだけ広範囲だと復旧にも時間がかかりそうです.私の職場でも交通機関の不通により大きな影響が出ました.昨日の土曜も出勤しましたが,その時点ではまだ自宅から動けない同僚もいて組織も麻痺状態.本日日曜になってちょっとほっとしているところです.

さて前回の続き.もう一つの「北海道の旅」は串田孫一の著作です.山に関するエッセイや雑誌の出版で知られた人で,この本でも関心の中心は山登りだと言っていいでしょう.1962年5月末の15日間北海道にいて,登った山は有珠山,十勝岳,礼文岳,斜里岳の4座.本人も「予定をきちんと守るような旅ではない」と書いている通り,確かに少々行き当たりばったりな印象はあります.

しかし旅の途中で見たものの描写はきわめて詳細で,中でも自然や山岳風景に関するものはさすがに精彩があります.著者は絵も描く人で,その文章は中国語の「描述」という言葉をあてたくなります.こういう叙述を,途中の話としては出てくる日高山脈のペテガリ岳や,芦別岳,利尻岳に登った記録として読みたかった気がします.

ただ,その精細描写は第三者にとってはまったくどうでもよいようなことにまで適用されるので,どうしても間延びした印象が拭えません.たとえば,有珠山へ登る尾根からはるか下の駐車場へバスでやってくる観光客を見下ろし,どう読んでも軽侮の感情というほかないことを細かく書いています.汽車で通り過ぎただけの登別の駅舎にある小さな牛舎とサイロの観光施設を見て,「誰かそばにいて記念写真でも撮っていたら自分はすっかり嬉しくなるのに」などとも言っています.たしかにこうしたバカな建物は現在でも日本中にありますが,いちいち拘泥していたらきりがありません.放っておけばいいのに,このように自分自身の冷笑的な態度までわざわざ明らかにする必要がどこにあるのか,私には理解できかねます.

著者はこの時50歳,文筆家として世に知られ,すでに完全にできあがった人物です.しかしこの本を読む限り,日常生活では「嫌な奴」というほかなかったように感じます.函館駅で親切から声をかけてくれた国鉄駅員に対して,「時刻表なら自分も持っている」という言い方で断り,有珠山で出会ってその後は一緒に旅をすることになる若者のことを「私の友達になれた彼」と知人に紹介する.この若者については,自分と旅するにふさわしいかどうか,口頭試問のようなことさえしています.

若い知人の住む町に着くと,宿からその人の職場に電話しておいて「驚いてすぐにやって来た」と平然としています.呆れるほかありません.また,当時の日本においてはソ連が仮想敵国で,北海道に自衛隊員が多く配置されていたわけですが,著者が自衛隊および自衛隊員に対していだいているあからさまな敵意が作中あちこちに現れて憂鬱になります.多くの読者を持つ著作家ならこんなところで小言を言っていないで,周辺にある専制国家の専横に対してどうしたら暴力以外の方法をもって対抗できるのか,きちんと公の場で論陣を張ってもらいたい.しかしこの人がそうした発言を積極的に行った形跡はないように思います.

私は若い頃に長い旅をして,その時のことを時々思い返してはここに書いて「旅行」カテゴリに置いています.極端に未熟だった時代の無謀ともいえる旅行だったので,旅で起こったり見えたりことは結局のところ,すべて自分の人格に起因するのだと理解せざるをえませんでした.苦い体験が多かったけれど,得たものがあったとすればそうした認識だと思っています.

そのような私の理解からすると,この本の著者が現実の旅で精細にものを見る能力は本物だけれど,一方でていねいな言葉遣いながら実は皮肉っぽく尊大で,日常的な場における言葉に関しても驚くほど無神経な面を持っているというのも,旅をしているからこそ明らかになったと言えそうです.

この本に関する私の印象は世評とかけ離れたものかもしれませんが,少なくとも著者は率直に語っているため,旅をしているときに出会う事物への接し方について改めて考え直す機会にはなりました.
(終わり)
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Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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