『マティスとルオー』展

作風はまったく異なるものの,ギュスターヴ・モローの門下生として50年にわたり深い友情で結ばれた2人の画家の作品展.あべのハルカス美術館.

20170506.jpg


2人が学んだパリ国立美術学校で彼らを指導したギュスターヴ・モローは,後にルオーがマチエールを重視した宗教的な作品を描き,マティスは極端な構成の単純化に基づく色彩の画家になることを予言していたと言われます.この手の話は往々にして跡づけであることも多いとは思いますが,2人の作風を手短に表現するならまさにそういうことになるでしょう.展示の構成は以下のようになっていました.

1.国立美術学校からサロン・ドートンヌへ
2.パリ・ニース・ニューヨーク
3.出版人テリアードと占領期
4.『ジャズ』と《聖顔》

どちらかというとルオーの作品が主体ですが,同時代の2人の作品が並行して展示され,その間に2人が交わした書簡が提示されていきます.彼らの生きた時代は2度の世界大戦を経験しており,そうした困難の中にあった画家たちの状況が忍ばれます.

作品としては,特にルオーの初期作品に感銘を受けました.26歳で描いた『人物のいる風景』はレンブラントの影響が明らかな木炭画ですが,暗い画面の中月光に照らされた水面に小さく浮かび上がる人物のシルエットが犯しがたく神聖です.ルオーは後年,宗教画家という呼ばれ方をするようになりますが,私自身はあまりそうした呼称がルオー絵画の本質を捉えたものとは思っていません.しかしこの『人物のいる風景』-まだ完全には自己の表現を確立するには至っていない若き日の作品-を見ると,キリスト教絵画の範疇を超えた汎宗教的な祈りのようなものを感じます.

また,初期作品の中では,24歳頃の『女性裸体習作』も美しいです.写実性が強く,私には一見ルオーとはわかりませんが,それでもこの作品の魅力は何かと言えば,それは第一に女性の肌の質感であって,後年のルオーを予感させる点かもしれません.

同じくルオーの『ミゼレーレ』や『道化師』,『マドレーヌ』などは2014年のルオー展で見ています.いつもルオーを見るとサーカスの人々の表情に目が行きがちだったのですが,今回は上で挙げた『人物のいる風景』以外にも,『青い背景の花束』とか『聖ジャンヌダルク-古い町外れ』など,特に宗教性を帯びたテーマではない作品の中に一種の崇高さを見出すことができるように思えたのは一つの発見でした.

一方のマティス.ルオーと並べると淡泊さが目立ちますが,それでもたとえば『窓辺の女』では開け放たれた窓の向こうに明るい海が見えており,この作品が第1次世界大戦後の1920年に描かれたこと,および戦争中の1916年に描かれた有名な『窓』では外光がカーテンの隙間からしか射し込んでいなかったことを考え合わせると,この画家の作品がルオーとは違って時代の空気をより強く呼吸していたのではないかと感じられます.

また,マティスは“色彩の画家”と呼ばれて,たとえば今回も展示があった切り絵の『ジャズ』などでその評価が確立しましたが,『ロンサール 愛の詞華集』などの挿絵(リトグラフ)に見られる線描の美しさには認識を新たにしました.芸術家の個性にも様々な側面があり,ルオーとマティスという異質に見える2人の画家の交流が継続したのも,別に不思議なことではないのであって,そもそも異質という見方がそもそも偏っているように思えました.

丹後半島・経ヶ岬から間人へ -後半

経ヶ岬からR178に戻り,間人方面へ向かいます.昨年と同じく大成古墳群から立岩を見ることにして,丘を登ります.草原の花は今が盛りのように見えました.

20170507_1.jpg20170507_2.jpg


 20170507_3.jpg


20170507_4.jpg


時刻は12:00.Z4の温度計は30℃近くを示しており,ドライなためかそれほど暑さは感じませんが,とにかく陽射しが強烈.上空を舞っていたトビがわれわれのかなり近くまで降りてきました.

20170507_5.jpg20170507_6.jpg


写真を撮っていると,草の間に何やら動くモノ発見.夢中で何か探しているようです.はじめは背中しか見えなかったのですが,シャッターを切ったらこっちを見たのでアナグマとわかりました.そのうち悠然と古墳の岩の方へ消えていきました.

20170507_7.jpg20170507_8.jpg20170507_9.jpg


丹後半島には古代丹後大国の遺跡群が集中しています.立岩から少し南に下った所にある古代の里資料館へ初めて行ってみました.全体を概観するにはよかったですが,展示にはもう少し工夫があるとありがたいですね.たとえば,今出土品を見ている遺蹟の場所と成立年代がパネルに示されるようにしてもらえると,理解の助けになると思います.


丹後半島・経ヶ岬から間人へ

丹後半島をほぼ海岸沿いにトレースする国道178号線.険しい地形を縫って付けられているため,しばしば通行止めになります.今回3年ぶりに半島を周回できました.

中国道から舞鶴若狭道を通り,綾部宮津道の宮津天橋立ICから無料区間をへて与謝天橋立で一般道へ.すぐにR178へ合流.市街地を抜けると快走路になり,前走車もなかったのでいいペースで走っているとケイマンGTSに追いつきました.しばらく後について走りましたが,やがてケイマンは伊根の道の駅の方へ左折.ここからはまた単独走行.次第に高度が上がり,ロックシェッドが連続する区間を経て経ヶ岬駐車場への取り付け道へ右折.

20170505_01.jpg20170505_03.jpg


20170505_02.jpg20170505_04.jpg


Z4を駐め,経ヶ岬灯台への山道を登っていくと,やがて展望が開けてきます.岩礁風景を眺めながら少し下り始めると,灯台が木々の若葉の間に見えてきます.

20170505_1.jpg20170505_2.jpg


気温は季節外れの28℃.途中で杖をついたおばあちゃんがゆっくり登っていくのを追い越しました.かなりの年齢のように見えたので,この高温の中少し心配でした.灯台まで来ると風が涼しく感じられます.それほどアクセスが良い場所とは思われませんが,最近はこんなところにも外国人の姿か.彼女らはドイツからのようでした.

20170505_3.jpg


少し戻り,頂上の展望所へも行ってみました.気温が高くて霞んではいますが,袖志の棚田が遠望できます.

20170505_4.jpg20170505_5.jpg


山を下り始めたところで,巨木の枝に仰向けになって寝ている猿を見つけました.カメラのシャッター音がうるさかったのか,面倒くさそうに起き上がり,向こうへ行ってしまいました.

20170505_6.jpg20170505_7.jpg20170505_8.jpg


(大したことない後編へ続く)


クラーナハ展―500年後の誘惑

国立国際美術館.見にいってからひと月近くが経ってしまいました.

20170328.jpg


ルカス・クラーナハ(1472-1553)はドイツ・ルネサンス期の画家であり,大絵画工房の経営者にしてヴィッテンベルクの市長でもあったという人物です.イタリアで言えばミケランジェロ(1475-1564年)とほぼ同期.レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)やラファエロ(1483-1520)とも同時代人と言っていいと思いますが,私はこれまでまったく名前を聞いたことのなかった画家でした.

同名の息子がいて,やはり画家として工房の運営を引き継いだので,区別するときはルカス・クラーナハ(子)と表記されます.注目されるのは(父)の方.展示は様々な側面から以下のように分割されていました.

1.蛇の紋章とともに -宮廷画家としてのクラーナハ
2.時代の相貌 -肖像画家としてのクラーナハ
3.グラフィズムの実験 -版画家としてのクラーナハ
4.時を超えるアンビヴァレンス -裸体表現の諸相
5.誘惑する絵 -「女のちから」というテーマ系
6.宗教改革の「顔」たち -ルターを超えて

1.の「蛇の紋章」というのは,ザクセン選帝侯に見出されて宮廷画家となってから授かったもので,多くの作品にサインとして残されました.翼のある蛇が指輪をくわえています.2.では宮廷画家としての比較的スタンダードな作品を見ることができますが,大画面の肖像画作品一面に極細密な描写が施されているのに驚かされます.

3.の版画のテーマは聖書に基づくものが多かったようですが,どこか判じ絵のようなところがあって肉筆画の重厚とはかなり作風が異なります.そして,われわれ現代人がクラーナハ作品について抱く関心の中核は4.と5.の女性の裸体と彼女らのしたたかな振る舞いの表現にあります.

まず,有名な『ヴィーナス』.それほど大きな作品ではありません.そして,ヴィーナスというにはあまりに蠱惑的で,透明なヴェールをまとっていることもあって,ほとんど淫靡と言ってしまいたいような雰囲気が漂っています.このヴィーナスのプロポーションが現実の人体とはかけ離れていることがその一因でもあります.さらにこの作品のヴィーナスのポーズを実際にモデルを使って再現する試みをTV番組で見ましたが,プロのモデルでも数分は保たないほど不自然だとのこと.

こうした作品の多くは,クラーナハが仕えていたザクセン選帝侯が,男性貴族にプレゼントするために描かせたとも言われていて,そうだとすれば,作品のサイズの小ささも納得できる気がします.大きな部屋の壁に架けて堂々と鑑賞するといったものでは,少なくとも当時はなかったのではないか.

上のパンフレットに使われている作品『正義の寓意』は,剣と天秤を手にした女神という古典的テーマであるにもかかわらず,裸体の女神はやはり透明なヴェールを身に着けていて,かつ鑑賞者の視線が必ず彼女の局所に導かれるような仕掛けが施してあります.その部分は上のパンフレットではトリミングして使用されていますが.

切り取った敵将の首を平然と保つユディトや,自分に夢中な金満老人を受け入れつつ見下す若い女など,女性のしたたかな強さに注がれるクラーナハの視線は鮮烈です.それと同時に,当時勃興しつつあった宗教革命の潮流の中で,その中心にいたマルティン・ルターと親交を持ち,生き生きとした肖像画を残しています.一つのモノサシで計ることのできない巨大人格であったことが窺えます.

エルガーの交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲を聴く

演奏機会の少ないエルガーのヴァイオリン協奏曲が聴けました.兵庫県立芸術文化センター.

20170503.jpg


以前,このヴァイオリン協奏曲をヒラリー・ハーンが弾いたアルバムのことに触れたことがあります.そこでも書いたように,とにかくこの曲は演奏時間が長い.特に第3楽章が長い.第1,第2楽章の美点は理解しつつも,第3楽章のいつ終わるともつかない独白には辟易させられる・・・ 演奏機会が少ないのは,そんなところに理由があるのかもしれません.

もちろん,私自身はこの曲が大好きです.最終章は何が言いたいのかよくはわからないけれど,この切実さには耳を傾けざるをえないというようなところがあります.それにしてもイギリス人というのはこういう人たちなのかな.

ヴァイオリンは,この曲の演奏をライフワークとしているという漆原朝子.指揮はイギリスのジョセフ・ウォルフ.古典的な協奏曲は室内楽的な小規模編成で演奏されるのが常ですが,この曲でのPACオケは交響曲に匹敵する編成でした.

比較的長い導入部を経て入ってきた漆原のヴァイオリンは,美音というよりは陰影の強さを感じる暗めの音色ですが,この曲にはよくマッチしているように思いました.翳りのある曲調で叙情的ではありますが,一方できりりと背筋が伸びるようなところがあって,情緒に流れるような場面は一切ありません.第3楽章をライブで聴けたのは本当によかった.独白の過程にある種の逡巡は感じるものの,真実味にあふれた音楽で感動的でした.エルガーの協奏曲は,有名ヴァイオリニストなら誰でも録音しているというものではないので,漆原の録音が待たれます.

休憩をはさんで交響曲第1番です.こちらは比較的演奏されているようですが,私は初めてライブで聴きます.20世紀の音楽としては古風な感じがしますが,19世紀のブラームスとは違うし,もちろんブルックナーとも違う.チャイコフスキーとはもっと違うし,シベリウスほどのローカル性は感じない.しかし“英国的威厳”みたいなものがあるとしたら,まさにこうしたものだろうと思われる気風に満ちています.

そういう意味でのローカル性は確かにあって,この曲が英米で特に人気が高いと言われるのも頷けます.変イ長調という,弦楽には適さないとされて交響曲にはあまり使用されない調で書かれているせいか,第1楽章の行進曲風の場面でもどこか足取りが重めです.こういうところがアングロ・サクソン的自律の表明なのかもしれません.

前半も後半もすばらしい演奏で,観客からはアンコールを求める拍手が止みませんでしたが,結局指揮者とヴァイオリニストがそれに応えることはありませんでした.私はこの日のプログラムであれば,アンコールはなくてよかったと思います.


プロフィール

choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
FC2カウンター