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松浦武四郎紀行集より「知床日誌」

去年の北海道旅行の番外編として,幕末の探検家松浦武四郎が野付半島先端部で見たはずの通行屋についてメモし.キラク伝説についても触れておきました.まったく新年らしくない話題ですが,以下はさらにその補足です.

2018年北海道ツーリング 番外編 -野付通行屋異聞

この時は武四郎の作った地図に「会所」の存在が記してあったことで,武四郎は当然この場所に行ったはずと考えたわけです.正月休みに文献を探したところ,下記紀行集が出版されていたことを知りました.

松浦武四郎紀行集〈下〉 (1977年)

すでに絶版になって久しいようで,古本は大変に高価です.近隣の公立図書館を当たったところ,尼崎市立図書館が所蔵していることがわかったので早速借りてきました.安政3年(1856年)の蝦夷・北蝦夷地探査の記録です.3月29日に函館を発ち,海岸沿いを反時計回りに移動してオホーツク沿岸へ.さらに北上して宗谷から樺太に渡り,宗谷に戻ったあとは日本海沿岸を南下し,10月13日に函館に戻っています.この間の日記が,「**日誌」というタイトルで分割して出版されたようです.

野付半島については,その中の「知床日誌」に記載がありました.

「ノツケ -通行屋,辨天社,制札,蔵々多し.また諸方の出稼小屋多し.クナシリ渡海場なり.- に着.此処一ツの岬にして腮(ノツキ)の出たる如きと云義也.ノツケはノツキの訛り也.爰にて支配人-傳藏-に頼ミ案内者-ウエンベツ酋長アイヨフキ,シベツ小使イネンケカル-貳人を増す.夜,間宮氏に連らしと云者-チャシコツ首長チンバを呼,諸方山越の話し等承りしが頗る益を得たる事有り.」

国後島への渡航地で通行屋があったことは史料の通りです.また,荒れる北の海が目の前なので,弁天様の社があるのは頷けます.支配人傳藏とは3代目加賀伝蔵のことで間違いないでしょう.アイヌ搾取のシステムとして悪評高い松前藩の場所請負制度用人を務める蝦夷通辞(通訳)であり,アイヌ語に関する貴重な記録を加賀家文書として残しました,当然といえば当然でしょうが,武四郎も情報収集のために面会していたんですね.

「間宮氏」は言うまでもなく間宮林蔵のことで,このチンバという酋長が林蔵の樺太探検に同行したのだろうかなどと想像が広がります.ウエンベツ,シベツ,チャシコツなどそれぞれ今の地名でいえば陸別,標津あたりで,武四郎も蝦夷地探索のために周辺地域の有力アイヌ人から助力を得ていたことがよくわかります.

「出稼小屋多し」という記述はちょっと気になりますが,いずれにしても歓楽街キラクについての手がかりにはなりそうもありません.伝説は伝説のまま・・・というところですね.

2018年のツーリングまとめ

この1ヶ月ほどはほぼ休日のない状態が続きましたが,なんとか乗り切って年末を迎えました.こんな独り言ブログでも見に来てくださる方がいるので,何週間も更新しないのは申し訳ない気もします.とはいえ元々きちんとした情報提供とか同好者のコミュニケーションが目的で始めたものではありませんので,ここはご寛恕願うほかありません.

Z4のオドメーターは現在56,300kmほど.2018年のスタートが50,221kmだったので,1年間で約6,000kmですね.北海道へ行ったので,昨年よりは多少距離が伸びました.200km前後を走ったドライブをまとめると以下.

目的地
概算距離
(km)
3月三ツ塚史跡梅林 200
3月淡路島・広田梅林 200
4月常照皇寺 200
4月兵庫・天滝 300
4月兵庫・氷ノ山 300
5月丹後半島  400
6月奈良・玉置神社 300
8月北海道 2250
9月姫路 180
9月滋賀・佐川美術館 180
10月山口・岩国 800
合  計 5,310


北海道から帰ってきて放心してしまい,しばらくはツーリングらしいことをしないのはいつも通り.今年の北海道ツアーはこれまでに増して印象的なことが多かったので,なおさらです.細々とではあるけれど,来年も乗り続けるつもりです.

京都国立近代美術館第4回コレクション展

藤田嗣治展に続いて,並行開催されている京都国立近代美術館のコレクション展を見ましたが,これが実にすはらしかった.藤田嗣治展とコラボレーションする形で,同時代から現代の西洋美術および国内民藝運動の陶磁器の展示です.グルーピングは以下.

A パリに集った芸術家たち
B 没後50年 マルセル・デュシャン特集
C 日本の洋画 -藤田嗣治の同時代人-
D 川勝コレクションにみる河井寛次郎の陶芸
E 特集展示:宮本憲吉
F 1918.11.1. 国画創作協会展 開ク
その他屋外展示

藤田嗣治自身の作品もありましたし,ふ藤田とその時代に緩やかに関連した作家や作品を選択して展示が行われていました.藤田の少女画はどうも人形みたいであまり感心しませんが,それを補って余りあるのがピカソやマン・レイ,シャガールらの絵画です.

マン・レイの「アングルのヴァイオリン」は裸婦の背中を弦楽器に見立てた発想で,誰でもそう思ってるとはいってもやはりjこれだけの鮮烈さを持つ表現というのは希有でしょう.ピカソの「静物-パレット,燭台とミノタウルスの頭部」というモチーフを用いた作品は他にもありますが,これはポップな色使いでピカソが牡牛を描くときにしばしばもたらされる陰惨な印象はありません.

モディリアニの「ベアトリス・ヘイスティングの肖像」,顔立ちがなんだか「展開図」みたいだし,首だって長すぎるのだけど,いつも感じるように,それぞれのパーツのリアリティがすごい.眼が特徴的と言われて確かにそのとおりなのですが,私はモディリアニの女性像は唇が好きです.シャガールの2点「花と恋人たち」,「屋根の上の花」もいい.

何点かある写真がまたすごい.オーギュスト・アジェの前衛的な写真もいいけれど,アーノルド・ニューマンの「イーゴリ・ストラヴィンスキー」には痺れました.グランドピアノの黒い天板が大きく画面を占める中,左下隅に配置されたストラヴィンスキーの確固たる姿は一度見たら忘れられません.

その他,エルンストの油彩画や,建築家ル・コルビュジェのリトグラフまであります.コルビュジェについては,このブログでおそらく過去一回だけ触れたことがありますが,その時に言及した「直交性と精神の解放」に呼応するように,この日見たリトグラフのタイトルは「直角の詩」.徹底してますね.

以下,マルセル・デュシャンの3次元オブジェが多数.私はこの分野をかなり苦手としていますが,理由の一つはこうした現物を見る機会が少なくてなかなか理解が進まないことがあると思います.ちょっと俳句や短歌に似たところがあるかな.ヘンな比喩ですが,「そことそこを関連づけるか」というひらめきが見えれば「わかる愉しみ」があるように思います.なかなかそのレベルには至りませんが.

最後は河井寛次郎と富本憲吉の陶磁器.ともにバーナード・リーチを介して民藝運動にかかわりますが,その傾倒の熱量には若干の差があるようです.ただ,このあたりになると藤田展から連続して3時間くらいが経過していてちょっと疲れが出ていました.マルセル・デュシャンから一足飛びに「日用の美」に回帰するのにはちょっと無理がありますね.この辺がその美術館の収蔵品を鑑賞する場合のネックかもしれません.





藤田嗣治展

2年前に兵庫県立美術館で見てから間がないですが,再びの藤田嗣治展.京都国立近代美術館.

20181126.jpg


乳白色の裸体画と戦場絵画のギャップ一つだけでいくらでも議論のできる画家です.多様な側面のある人なので,館内スペースの区画数も下記のように一般的な美術展より多めでした.

1.原風景 -家族と風景
2.はじまりのパリ -第一次世界大戦をはさんで
3.1920年代の自画像と肖像 -「時代」をまとうひとの姿
4.「乳白色の裸婦」の時代
5.1930年代・旅する画家 -北米・中南米・アジア
6-1 歴史に直面する -二度目の「大戦」との遭遇
6-2 歴史に直面する -作戦記録画へ
7.最後の20年 -東京・ニューヨーク・パリ
8.カトリックへの道行き

藤田嗣治の回顧展というと,やはりこうしてその起伏に富んだ画業と人生を時系列的に追うという形になるのでしょう.2016年に兵庫県立美術館で見た作品も多く,私にとっては今回それほど大きな発見はなかったように思います.

それでも,1回目のパリ時代初期には同時代の画家達の影響が至る所に見て取れ,特にモディリアニの人物描写が反映されたと思える「断崖の若いカップル」,シャガール風の浮遊感覚「目隠し遊び」などでそれが顕著です.キュビスムまで試した作品があり,乳白色肌の女性画に行き着くまでの模索の跡をたどることができました.

パリを出て中南米やアジアを巡った旅の途上の作品は,パリ時代とは異なり素朴なリアリズムへの回帰とでも呼びたくなるような画風です.こういう作品群からはしかし,うまいとは思うものの,物珍しい風物人物を記録したという以上の感銘を得るには至りませんでした.そして,日本へ戻ってからの戦争画についてはここでも何度か採りあげていますが,やはり作品そのものよりも,藤田がそれを描かざるをえない環境に置かれたという経緯の方に関心が行ってしまいます.

「アッツ島」よりもさらに凄惨な「サイパン島同胞臣節を全うす」は初めて見たと思います.パリ画壇の寵児として求めに応じて美しい女性画を描いたのとまったく同じように,国内の趨勢が求めればこの画家の「絵描き」的性分がこのような絵も描かせてしまったのだろうと気づき,軽いショックを感じました.

戦後,それらの戦争協力を非難されて日本にいられなくなり,藤田は結局ニューヨークを経由してパリに戻ります.そのまま二度と日本に帰ることはありませんでした.晩年の藤田はカトリックに傾倒し,ついに洗礼を受けてカトリック教徒となります.教会建築の設計までやっていて,これがまたなんともいえず瀟洒で洗練された美しいものです.

藤田の宗教画,特に藤田自身が登場するような作品については,もはや芸術作品と言っていいのかよくわからないところがあるなあと複雑な印象を持ちます.藤田がキリスト者として生きていくための絵画による宣誓のようにも見えます.今回の美術展では展示はありませんでしたが,藤田の手作り工芸作品も大変愛らしく自由闊達なもので,結局の所こうした無心なもの作りがこの人の本質ではないかと改めて強く感じた次第でした.

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戸田弥生 ソロ・ヴァイオリン・リサイタル

“ストリング・狂(マニア)!”と題された戸田弥生のソロ・コンサート.ザ・フェニックスホール.

20181121.jpg 


戸田弥生の演奏を聴くのはこれが3度目です.過去2回は次.
戸田弥生の無伴奏ヴァイオリン・リサイタル(2013年)
戸田弥生&エル=バシャ デュオ・リサイタル(2015年)

2013年は今回と同じくソロ・コンサートで,曲目もかなり重複がありますが,この時はバルトーク,プロコフィエフ,イザイ,そしてバッハと,採りあげた無伴奏曲を全曲弾いてくれました.これに対し,今回は17世紀のバッハを起点として,プレリュードやフーガといった同形式の曲が,19世紀から20世紀にかけてのイザイやレーガーといった作曲家たちの作品の中にどのように反響しているかを聴くような曲目構成になっているところが注目点です.「バッハからの発信」という副題は,まさにその点に与えられています.演奏曲目は以下.

バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタより 第1楽章 “シャコンヌのリズムで”
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番より “プレリュード”
レーガー:“プレリュード”
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番より 第2楽章 “フーガ”
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番より 第2楽章 “フーガ”
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第6番
休憩
一柳 慧:“展望”(ヴァイオリン・ソロのための)
ストラヴィンスキー:エレジー
J.S.バッハ:シャコンヌ

バルトークはバッハからはるか300年近くを隔ててシャコンヌへの敬意を示します.しかし,この曲をバルトークが作曲したのは故国ハンガリーを脱出してアメリカへ移住したものの生活にはなじめず,つにに白血病を得て亡くなる前年(1944年)ということもあって,至る所苦しげな呻きや悲痛な叫びに満ちています.バッハのシャコンヌが,峻厳な姿をしていながら聴く者を前に向かせるのとはかなり違った音楽にきこえます.

次にくるバッハのプレリュード.循環的で速いパッセージがホールを満たし,その響きがちらの意識と共振するような感覚にとらわれました.私はバッハの無伴奏曲についてはゆっくりしたテンポで弾いてもらうのが好きなのですが,これだけ速い演奏に静謐・平穏を感じるのは初めての体験です.

対応して弾かれるレーガーのプレリュードは,ト短調という調性もあってか荘重で悲劇的な曲想ですが,やはりバッハからの系譜がはっきりと意識されます.

続く2曲はイザイとバッハのフーガ.今回のコンサートでは戸田自身が曲目や演奏の解説をしてくれましたが,このイザイはまさにバッハそのものを弾いている気がするとのことでした.聴き手のこちらとしてももちろん印象は同じです.

休憩をはさんで最初の曲は,一柳 慧の「展望」.音楽における空間あるいは視覚的表現を追求してきたこの作曲家らしいテーマの曲です.何の仕掛けもないたった一挺のヴァイオリンから宇宙的とさえ言えるような音が響いてきて,作曲家と演奏家が行った高度な追求に強い感銘を受けます.明るい太陽の下というより,どちらかというと暗い夜空に交錯する光芒の下で時折遠景が浮かび上がるといった風です.極めて前衛的な音楽ながら,難しい印象は一切なく,「佳曲」という表現を使いたくなりました.

ストラヴィンスキーの「エレジー」は,1940年に死去したヴァイオリン奏者に献呈された曲.ストラヴィンスキーに作曲を依頼したのがヴィオラ奏者であったため,ヴァイオリンでもヴィオラでも弾けるとのこと.ヴァイオリンの場合は弱音器を付けて演奏されます.それほど悲痛な感じはなく,静かにその人柄や演奏を偲ぶようです.

再び採りあげられるイザイは,無伴奏ソナタの第6番.戸田は私が聴いた2013年のソロ・コンサートでもこの曲を演奏しており,6曲の中でもこの曲への傾倒が強いようです.スペイン風の曲想が特徴的.ベルギー出身の作曲家としてネイティブな感覚は持っていなかったと思いますが,どちらかというと厳しい曲が多いように感じるイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタ中,明るい光とリズムにあふれて印象に残ります.

そして最後はバッハのシャコンヌ.この日最初に弾いたバルトークと円環をなす配置です.戸田弥生は今回を含めてこれまで私が聴いた3度のコンサートとすべてでこの曲を演奏しています.この人のシャコンヌのもつ緊迫感,一瞬の弛緩もない密度感には毎回圧倒され,いつも必ずどこかで鳥肌がたつ瞬間があります.比較的小さなホールで聴いていることもあると思いますが,戸田の表現の強さ生々しさはこれまで聴いたあらゆる演奏家の中でも際立っていて,もっとも胸打たれるシャコンヌを聴かせてくれる人だと思います.

アンコールは,クールダウンにアンダンテが聴きたいなと思いましたが,戸田はシャコンヌが含まれるパルティータ2番からサラバンドを弾いてくれました.この厳粛さで終わるのがこの人らしいところでしょう.硬質で骨太で緊密.戸田弥生のコンサートは聴き手を選ぶでしょうが,「ここは一歩も譲らない」という意思が明確で,潔いと思います.

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choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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