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丹後半島・大成古墳と大江山・鬼嶽稲荷神社

GWの後半はいつものように丹後半島へ.宮津からR178を北上.世の中10連休で,さすがにいつものGWよりだいぶ混んでいました.みんな立ち寄る伊根もパスしておとなしく前車について行き,蒲入展望台へ.昨年は晴れるつもりで行ったらどんより曇っていて,海の色も冴えませんでした.今年もやや湿度が高くて霞んでいましたが,それでも経ヶ岬灯台ははっきりと見えていました.

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ここからはまっすぐに間人手前の大成古墳へ.ここも,いつもはほとんど誰もいないのに,今年はクルマが5~6台駐まっていました.気温は20℃程度で快適.草原にはハマダイコンが満開でした.いつものようにベンチに座っておにぎりを食べていると,トンビが下りてきましたが,さすがにおにぎりには興味なさそうで危険なことはありません.ここのトンビともほとんど顔見知り状態です.

草原から立岩を眺めていると,海岸から集団が上がってきました.ガイドさんが古墳の説明をしています.こういうツアーもあるんですね.とは言ってもこの古墳群についてそれほど多くのことが知られているわけではなく,あまり長い説明もないようでした.

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その立岩には,聖徳太子の弟の麿子親王によって大江山から追われた鬼の一匹が閉じ込められているという伝説があります.大江山はここから真南に40~50kmほど下ったところにありますが,麿子親王の鬼退治以外にも2つの鬼退治伝説があり,もっとも有名なのが酒呑童子に関する伝承です.

そんなわけで,帰りがてら大江山に寄ってみました.まずは頂上近くにある鬼嶽(おたけ)稲荷神社へ.大江山は古くは御嶽と呼ばれたとのことで,それがいつからか鬼嶽に変わったようです.きちんと調べていないので間違いかもしれませんが,鬼退治伝説と無縁ではないでしょう.

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そしてもう一つの鬼退治は,崇神天皇の弟の日子坐王(ひこいますのみこ)が“土蜘蛛”を退治したという話です.鬼嶽稲荷神社の社伝によると,この日子坐王の息子の丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)が,父の旧蹟であるこの地に神祠を建立したことが始まりとされています.

古事記や日本書紀の中で退治されてしまっている鬼達ですが,地方にいて朝廷の中央集権・律令政治に“まつろわぬ”有力者たちが鬼と呼ばれたとも考えられます.民間伝承がいつまでも語り継がれるのはそうした背景もあるに違いありません.酒呑童子の配下達も早口言葉の中に残っていて,今もテレビ局のアナウンサー達が練習しています.

【外郎売(ういろううり)】
・・・・・(略)
たぁぷぽぽ,たぁぷぽぽ,ちりからちりから,つったっぽ、たっぽたっぽ一干蛸.落ちたら煮て食お,煮ても焼いても食われぬ物は,五徳・鉄灸,金熊童子に,石熊・石持・虎熊・虎鱚.中でも東寺の羅生門には,茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる,彼の頼光の膝元去らず.鮒・金柑・椎茸・定めて後段な,蕎麦切り・素麺,饂飩か愚鈍な小新発知.小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ.
・・・・・(略)

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鳥居の前,東側斜面は大きく開けていて山深さが感じられます.大江山の場所については摂津付近という説もあり,都から人をさらってきて立て籠ったりするのにここの大江山はやや遠すぎると考える人もいます.そう言われるとそうかもしれず,もちろん私には判断できる根拠はありません.ただ,伝説にはこれだけの立地がふさわしいような気がするだけです.

林道の入口には「日本の鬼の交流博物館」があるので入ってみました.歴史・民俗的側面に対して,ややアートとしての鬼の展示が目立ち,子供向けも配慮したこともあって,やや物足りなさも感じました.

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ニコンD5000修理対象期間終了で思うこと

2010年から使ってきたニコンD5000ですが,充電のためにバッテリーを外すと日時の設定が消えるようになってしまいました.日時をバックアップするための内蔵電池が消耗してしまったようです.いちいち再設定するのが面倒なのでニコンに問い合わせたところ, すでに補給部品の供給期間を過ぎていて修理はできないとのことでした.

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カメラよお前もか.写真を撮る道具としてはまだまだ使えそうなのに,バッテリー充電のたびに日時設定をし直すのが面倒だからといって捨てられてしまうのか?

考えてみれば(考えるまでもなく)デジイチもデジタル家電であるからには,他の一般家電と同じく補給部品の供給を永遠に続けるわけにいかないのはわかります.しかし,私が学生の時に初めて手にしたカメラが機械式のミノルタSR505だったことがあるのでしょう,「カメラは機械だ」という思い込みが強く残っています.PCやケータイと同属とはなかなか思えません.

それに加えて,カメラは一緒に旅行をして,印象的な光景をそれを通して見てきたという,ほかの道具とは別格の位置づけにある道具です.クルマと同じで,ちょっと古くなったとか,小さな故障があるくらいで取り換える気にはならないし,仮に手放すとしても完動品でなければ誰かに使ってもらうこともできません.

D5000 はニコンデジイチの入門機で,まあ言えば写真好きの高校生が夏休みにバイトして買えるくらいの機種です.手頃なので,2012年だったかに同じ機種をもう一台中古で買うことになりました.妻も自分で撮りたがったからです.この1台も同様の症状がそのうち出るのだろうと覚悟しています.

なお,昨年春には同じニコンでD750を買いました.フルサイズ機を使ってみたかったからですが,このカメラは暗所での高感度撮影に強く,昨年夏に北海道で多くの博物館を見て回った際,記録写真を撮るのに大活躍してくれました.ISO12800なんて,画質にこだわる趣味の人ならたとえ「常用感度」といわれてもまず使うことはないようですが,私は記録として写っていれば満足なのでまったく平気です.普段から手ブレ写真やピンぼけ写真も平気でここに貼っていますしね.

このD750も長く使いそうですが,同じような小さな故障で悩まないように,メーカーにはできるだけ長期のサポートを望みたいものです.


「明恵の夢と高山寺」展

洛北・高山寺を開いた高僧・明恵の「夢の記述」に焦点をあてた美術展.大阪・中之島香雪美術館.

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GW前半は天気が悪く,5月6日に会期が終わるこの美術展はこういう場合のために取ってありました.先日3年ぶりに施無畏寺に行ったこともあって良いタイミングでした.プログラム全体の構成は以下.確かに明恵上人の夢に焦点を当てる意図が窺われます.

1.夢をみる 明恵という人
2.夢をしるす ある日の夢記
3.夢のあとさき 明恵示寂
4.夢をつなぐ 村山コレクション

とは言え,内実は高山寺所蔵品展です,高山寺の所蔵品で最も有名なのは,日本人なら誰でも知っている『鳥獣戯画』でしょう.義務教育の教科書に載っていますから私も知ってはいますが,現物を見るのは初めてです.それに,『鳥獣戯画』が甲・乙・丙・丁の四巻からなることも知りませんでした.教科書に載っているのは甲巻で,擬人化されたウサギやカエル,サルなどが登場します.ちゃんとストーリーも読み取れることから「漫画の原型」とされています.残念ながら,私が見に行った時期は展示替えが行われていて,甲巻・乙巻は見ることができませんでした.

丙巻では動物たちに混じって人間が登場します.『鳥獣戯画』が正式には『鳥獣人物戯画』である所以ですが,動物と人間の絡みはなかったように思います.丁巻は人間だけが描かれていて,相撲や綱引きといった遊戯の図だけでなく,公家や僧侶の振る舞いについて描いたものもあります.描線のタッチなど,その一部の写しが展示されていた甲巻・乙巻の図とはまったく違い,作者が異なっていることは明らかです.そもそも『鳥獣人物戯画』の作者や制作年代はよくわかっていません.

明恵上人関係でいうと,私がもっとも見たかったのが『明恵上人樹上坐禅像』でした.高山寺に行くといつも石水院内に掛けられている表装されたこの図の写しを見ますが,やはり今回現物の色彩のみずみずしさに触れられてよかったです.山中にある二股になった巨樹の枝に泰然と座っている明恵上人を描いています.修行には厳しく,弟子にも細かい訓戒を示したりしている(『阿留辺幾夜宇和』)上人ですが,この図での表情は穏やかで優しく,女性に好かれたのもわかる気がします.

今回のテーマである夢記(ゆめのき)ですが,これは上人が自身の見た夢の記録です.若い頃から途絶えることなく記録しており,それは睡眠時の夢だけでなく,白昼体験した宗教的幻想のようなものも含まれるそうです.一部にはイラストが描かれていますが,原本を見せられても私にはもちろん読めません.展示の工夫としては,このあたりにさらに解説があるとよかったように感じました.

それにしても,夢をきちんと記録するなんてことができるものでしょうか.私もごくたまに就寝中すごいアイデアを思いつくことがあるような気がして,一時期枕元にメモと鉛筆を置いていたことがあります.しかし,夜中に「これだ!」と目覚め,これは忘れてはいかんと書き付けたつもりのメモを朝になって見てみると,まったく判読できないか,あるいはまったく意味不明のどちらかで,がっかりして結局あきらめました.

話を元に戻して,上でも記したように女性にもてた清廉さと宗教的衝動から自分の右耳を切り落としてしまうような苛烈さが同居していたと思われる明恵上人ですが,『行状記』には北条泰時に講義する姿が描かれていて,これは『樹上坐禅像』の姿とは違って立派な衣をまとい,貫禄があります.決してみずから望んだわけではないと思いますが,名高い高僧として政治勢力とも対峙せざるを得なかったでしょう.『夢記』の表す上人の宗教的側面だけでなく,こうした時代背景を再確認できたのは収穫でした.

本年最後の桜を京都・常照皇寺で見る

今年の京阪神間の桜はいつもよりも遅かったようです.京北・常照皇寺の桜は4月下旬になっても「満開」とのことだったので,最後の桜を見に出かけました.

いつもどおり府道19号を辿ります.道沿いにたくさん植えられている桜はさすがにやや盛りを過ぎているものの,まだまだ十分に目を楽しませてくれました.


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参道に着くと,いつものように枝垂が満開状態で迎えてくれました.この時期(4月21日)にまだ桜が見られるとは思わないのか,駐車場はこれまでになく空いていました.石段を登っていくと,勅使門越しに御車返しも満開なのがわかりました.



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まずは最奥の先代九重桜に会いに行きます.私が気軽に見に行ける桜の中で,あたかも人格を持つように「会う」と言いたくなるのは,この老樹だけです.もう葉桜になっていましたが,受付の人は「今年も咲いてくれました」と嬉しそうでした.杖のように見える添え木を何本も当てられた姿は見ようによっては痛々しいかもしれませんが,できるだけ長生きしてほしいという周囲の人々の思いが伝わってくるようで,私はいい気持ちになります.


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御車返しはまさにこの時満開でした.毎年ワンパターンと言えばそうですが,山中にあって開花が遅く,数百年にわたる物語を反芻できるここの桜は,やはり私たちにとって特別です.


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吉野金峯山寺の夕座勤行と満開の桜見のこと -2日目

2日目の朝.昨夕の金峯山寺夕座勤行が大変気持ちよかったので,朝座にも出ようかと少し考えました.しかしこの日は奥千本の西行庵まで歩いて登るつもりで,結局勤行はあきらめました.

8時に宿を出ましたが,メインルートはすでに多くの観桜客であふれています.金峯山の登り口にある勝手神社は,妻の話によると能の『二人静』などの舞台になったところで,静御前の舞装束が納められているらしいなど由緒あるお社ですが,立ち寄ってみると残念ながら2001年に放火で焼けて現在社殿はなく,再建のための資金を募っているようでした.

ここから急勾配の坂を登って高度を稼ぐと,次第に見晴らしが良くなってきます.私たちが行った時期は,いわゆる中千本の桜がちょうど満開で,それが塊になって山を覆っているのが,あたかも淡いピンクの霞がかかっているようです.

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上千本まではマイクロバスが出ていますが,順番待ちの長い列ができていました.待ち時間40分とのこと.歩けるんだった歩いた方がいい.ここから整備された遊歩道を50分ほど登ると,吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)に着きました.そもそも創建がいつなのかわからないそうですが,少なくとも1300年は経っているようです.水の神様で「みくまり」が「みこもり」と訛って子授けの神様として信仰されてきたとのこと.何となくいい加減です.しかし,子供のできなかった秀吉がここに参拝して秀頼を授かったということで,今私たちが見ている社殿はその秀頼自身が建てたものです.

本殿は古色蒼然として風格がありますが,この時期はやはり桜に目が行きます.奥にある大きな枝垂れ桜が拝殿の屋根にかかってすばらしい.

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さらに上へ.春の盛りですが,初夏の到来を示す若葉が芽吹いています.奥千本へはここから金峯神社を経由してさらに1時間近くかかりました.本日の目的地である奥千本・西行庵到着.

南北朝の昔から,このあたりは京都にいられなくなった高貴の人が逃げてくるかくれ里であったわけで,そう思うと昨日の才谷からの険道アクセスも,実はあれでよかったような気がしました.西行はまだそれよりも前の人で,北面の武士だった西行がなぜ出家したかは諸説あるようですが,やはり「失恋説」が多くの支持を集めているように思います.その西行が放浪の旅の途中に結んだ庵の一つとされるのがここです.

桜の花を求めて吉野へ来たことは確かなようですが,当時からこの庵の周辺に桜が多かったのかどうか,私はよく知りません.このときはさすがにまだ奥千本はつぼみでした.ここが満開になるのは年によっては5月のGWになることもあるらしく,当然時期的には早すぎました.

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奥千本一帯は大峯奥駈道とも交差するかなり険しい山地で,もとは杉が植えられていたところを伐ってしまって,そこへ桜の木を植えようとしていますが,山肌が露出していて荒々しい景観になっています.西行庵の前にある東屋で下で買ってきた柿の葉寿司を食べ,金峯神社,水分神社まで下ります.

水分神社からは来たときとは違って中千本公園方面へ.花吹雪と若葉が視野の中で混ざり合い,どちらを向いても色数が多くて愉しめます.桜の近景のはるか向こうには昨夕行った金峯山寺が見えます.そのまま下って観光道路を渡り,如意輪寺を過ぎればもうメインストリートまでは間近です.

駐車場へ戻り,昨日と同じく険道を才谷方面へ下って帰路につきました次は.奥千本の満開を見に来なければいけませんね.


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choby

Author:choby
最悪想定する傾向はあるでしょうね.でも石橋叩いているだけの人生はつまらない.

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